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迎賓館

その昔の国際保健稼業の仲間から誘われて、迎賓館に参りました。毎日のように、その近傍を通っていますが、中に入るのは初めてでした。

まずは、事前予約が必要ですが、それに基づき、入館料1,500円を支払います。荷物チェックがありますが、要所要所でご指示下さる案内係は、皆さま、丁寧で、ご親切でした。案内カセットがあり、また、各部屋には、歴史的エピソードやいわれを解説下さるボランティアもおいでなので、時間を掛けて話をうかがえば、明治以来の、日本の国際化と云うよりは西欧化の歴史を興味深く学ぶこともできます。

そもそも、迎賓館は、1909(明治42)年に、元紀州藩のお屋敷跡に建設されたそうです。紀州藩は、良く知られるように徳川御三家のひとつですが、それは、1600(慶長5)年、天下分け目の関ヶ原の戦いの後、天下を取った徳川側についた甲斐の国(今の山梨県当たり)を収めていた浅野家に紀伊の地があたえられたことに始まります。色々な状況の後、1619(元和5)年、浅野家が安芸の国(今の広島県)に移動させられた後、徳川家康の十男(すごいですね!)で、それまで駿河藩(今の静岡)を収めていた徳川頼則が紀州入りしました。ま、十男とは申せ、ご本家将軍の息子が着任するのですから、領地も広がり、江戸文化も持ち込まれたでしょう。55万5千石の大藩となり、また徳川家直轄の親藩となりました。その後、またまた色々ありましたが、紀州藩5代藩主吉宗が第8代将軍を継いだことで、紀州藩の存在はますます大きくなりました。ですから、その頃、現在の迎賓館の辺りには、和歌山出身のお侍が闊歩していたことでしょう。

さて、1868(明治元)年、新生明治政府は、都を東京とし、徳川家居城江戸城の西の丸御殿を皇居として天皇をお迎えしました。が、この御殿は、1873(明治6)年に失火により焼失しました。その頃の政府は、あれこれ国造りに追われていたのでしょう。新たな宮殿を急いで作らなくてよいとの明治天皇のご意向で、旧紀州藩江戸藩邸であった青山御所が仮の皇居となった・・・当然、大名のお屋敷ですから、西洋風ではなかったでしょう。色々な儀式式典に差支えもあったことで、新たな宮殿の造営が許された・・・そこで、西欧風の建物が現れたという次第のようです。

明治政府は、わが国は、当時の先進国・・・ヨーロッパ諸国と肩を並べるには、富国強兵を目指したとされますが、政治、外交、国防、そして経済・産業、教育や医療も先進ヨーロッパ諸国の制度の良いとこ取り!で国造りを進めたとも申せます。

そのような時代、現在の迎賓館は、1909(明治42)年に、東宮御所=皇太子殿下のお住まいとして建設されました。ネオ・バロック風という様式、正門から本館を眺めますと、オオッ!!ベルサイユ宮殿?バッキンガム宮殿??と一瞬思いますが、・・・ま、本家の壮大さには比ぶべくもありません。何故って、どの方向でも、ひとつふたつは、周辺の高層ビルが睥睨するように取り囲んでいます。

それにしても、100年以上も昔、よくこのような西洋風建造物を建てられたものだと思いました。設計は、当時の宮廷建築家片山東熊<カタヤマトウクマ 1854.1.18ー1917.10.24>という方です。この方は、明治政府が招いた御雇い外国人で、建築学教授として来日したジョサイア・コンドル(1852.9.28ー1920.6.21、イギリス人)先生の教え子だそうです。

コンドル先生は、明治時代の国際社交界の場、鹿鳴館や神田駿河台の正教会の大聖堂、通称「ニコライ堂」や、当時の貴族たち住宅をてがけられており、『耳なし芳一』の著者ラフカディオ・ハーンと同じように、日本人女性と結婚して、日本文化に通暁されていたそうです。東大の構内に立像があるので、一度、拝見せねば、と思いました。

そのお弟子であった片山東熊先生は、国宝迎賓館だけでなく、今は犬山市の明治村に保存されている日本赤十字病院の設計ほか、奈良と京都の国立博物館、鳥取市の有名な西洋館人風閣(じんぷうかく)、東京国立博物館表慶館など、多数の重要文化財となっている建造物を手掛けられています。実際には、海外に出られていないようですが、周りとの調和だけでなく、建物のそこかしこに日本の伝統を取り入れ、各地の伝統産業を活用し、何か日本を彷彿させるものがどの部屋にもありました。が、とにかく重厚な凝った設計、曰くある壁や天井の絵、タペストリー、最も重い800Kgもあるというシャンデリア、ほとんどがヨーロッパから輸入されたものであろう中にある日本のシンボリックなデザインや意匠・・・一生懸命見学しますと、天井を見上げたり、足元のカーペットをみたり、暖炉の飾りをみたり、壁の飾りを眺めたりと、相当疲れました。

メインの建物の裏には、大きな噴水があります。

東京のど真ん中にしては、広い面積ですが、ベルサイユ宮殿やバッキンガム宮殿に比べると、狭い・・・と思いました。今回は、時間の都合もあって、和風館とその庭園はパスしました。次回、また・・・・