活動年表History Of Our Activity

公益財団法人 笹川保健財団(Sasakawa Health Foundation)

1974年に設立された笹川保健財団の40年に及ぶ活動は、医療面中心から、社会面中心へ、そして現在の医療と社会の両面からの取り組みへと変化してきました。

医療面での活動が中心の時期(設立~1990年代)

初代理事長で日本のハンセン病化学療法の父と呼ばれる石館守三博士の信念を受け、笹川保健財団は設立当初からハンセン病を公衆衛生上の問題としてとらえ、WHO、各国保健省、世界ハンセン病団体連合(ILEP)加盟団体を通じて、科学的根拠に基づいた手法による患者発見、診断、治療、障がい予防の推進を支援してきました。

医療面での支援例として、患者発見・診断・治療マニュアル「Atlas of Leprosy」の9言語版制作・配布、ハンセン病治療薬であるMDT無償供与、後遺障がいを防ぐためのステロイド剤の配布等が挙げられます。特に、後遺障がいの原因となるらい反応と呼ばれる炎症の治療に必要なステロイド剤は、医師数が少ない開発途上国の草の根レベルの保健職員でも安全に使用できるよう、使用量を調整して包装した「プレドニパック」として無償供与されました。これは各国保健省やILEP団体より多くの要請を受けたユニークな取り組みであり、らい反応の治療とその後の後遺障がいの予防に大きく貢献しました。

診断・治療の手引書、ハンセン病アトラス。草の根レベルでの過酷な使用に耐えるようラミネート加工され、持ち運びやすいようにコンパクトに作られている。

このほか、フィールド活動用車両をはじめとする対策活動に必要な資機材の供与、保健職員・ボランティアの技術研修や専門家の現地派遣、早期診断法の研究開発への助成など多岐にわたる支援を行い、医療面から世界のハンセン病問題の解決を大きく推進してきました。

社会面が中心の時期(1990年代後半~)

1990年代後半、多くの患者が治癒していく中、社会に根強く残るハンセン病に対する強い偏見と差別が浮き彫りになり始めると、世界各地で回復者リーダーが声を上げ、ハンセン病やハンセン病にかかった人に対する正しい理解を求めていくようになりました。笹川保健財団ではこの動きをいち早くとらえ、回復者支援を開始しました。2000年前後約10年の間に、こうしたリーダーを中心とした小さなネットワークが世界各国で立ち上がっていきました。回復者の多くが長い間の偏見と差別、それに伴う貧困の中、自分の存在価値さえ持てずにいる現実を踏まえ、リーダーたちがまず開始したのが、自信と尊厳を取り戻す機会としてのエンパワメントワークショップの開催でした。2~3日間のワークショップの間に、回復者の表情に驚くほどの前向きな変化が起きてきます。参加者の多くが、自身や子弟の教育と生活を支える仕事を強く求めていました。そこで、教育支援や収入創出活動への支援も並行して実施していきました。これらの過程を通じ、多くの回復者が少しずつ自信と自尊の気持ちを取り戻すと共に、発言力をつけていくことができました。

笹川保健財団は、ハンセン病問題には回復者組織が社会を動かす強い「声」を発するべきであり、その声を持っていることを信じてきました。そのため現在までに、アジアを中心とし、アフリカ、南米の回復者組織の、組織運営、啓発活動、教育支援、小規模事業立ち上げ支援、セルフケア指導や患者相談など多岐にわたる活動に対する協力を行っています。組織としての体制が整いつつある中、インド、インドネシア、中国、ブラジルなどでは、国のハンセン病対策や保健政策にも、回復者の声が反映されるまでに成長してきています。

医療・社会両面からの支援(2000年代後半~現在)

私たちは、ハンセン病問題の真の解決には医療面と社会面の両方から取り組む必要があり、またそのどの過程にも回復者の声と経験が反映されなければならない、とこれまでの経験から学んできました。これを踏まえ、現在笹川保健財団では、回復者組織基盤の強化、回復者のハンセン病対策活動への積極的参加に加え、ハンセン病の歴史を通し、私たち一人一人が内なる差別問題を考えるため、またより良い未来の構築へと活かすため、ハンセン病の歴史資料の調査・保存に対する支援にも力を入れています。

患者作業で島に刻まれたアメリカ統治下の保健省紋章
2006年に開館した資料館

ハンセン病の歴史

紀元前

B.C.1500

インドでハンセン病と思われる病気についての記述が認められる。

0

720

日本書紀にハンセン病と思われる病気についての記述が認められる。

730

光明皇后がハンセン病患者を含めた貧者救済のための施楽院で奉仕する。

1000~1400

ヨーロッパでハンセン病蔓延のピークを迎える。

1200~1400

忍性、叡尊らが救らい事業を展開する。

1500~1600

キリスト教宣教師が救らい事業を展開する。

1500~1800

ヨーロッパから中米に、ま たアフリカから南米にハンセン病がもたらされる。

1700~1800

ヨーロッパから北米にハンセン病がもたらされる。

1850~1930

アジアから太平洋諸国にハンセン病がもたらされる。

1865

ハワイでハンセン病患者治療のためのカリヒ病院が開院。

1872

後藤昌文が東京に私設の「らい病舎」(起廃病院)を設立する。

1873

ノルウェーのハンセン博士がらい菌を発見する。伝染病という認識が広がり、地域や故郷から患者を徐々に追い出すようになる。

1880

群馬県草津の湯ノ沢に患者が集住を始める。

1889

テストウィードが御殿場に神山復生病院を設立する。

1894

好善社が東京に慰廃園を設立する。

1895

ハンナ・リデルが熊本に回春病院を設立する。

1897

第1回国際らい学会議がベルリンで開かれ、隔離政策が推奨される。

1898

マリー・コールが熊本に待労院を設立する。

1898

インドでらい条例が公布される。

1900

内務省が第1回らい患者数調査を実施する。全国の患者数は30,359人、罹患率は1万人当たり9.6人。

1906

綱脇龍妙が山梨に深敬園を設立する。

1907

法律第11号「癩予防二関スル件」が公布される。

1907

フィリピンでハンセン病隔離が法制化される。

1909

日本で初めての公立ハンセン病療養所が全国5箇所に設立される。

1909

第2回国際らい学会(ベルゲン)で隔離・分離政策の必要性が強調され、早期にハンセン病患者から子供を引き離すことが推奨される。

1916

朝鮮総督府が小鹿島慈恵医院を開設。

1917

コンウォール・リーが草津町湯ノ沢に聖バルナバ医院を設立する。

1923

第3回国際らい会議(ストラスブルグ)で、患者の子供は両親より分離することが推奨される。

1929

愛知県で無癩県運動が開始される。

1929

法律第11号「癩予防二関スル件」が改定され、国立療養所開設が明記される。

1930

台湾総督府が楽生院を開設。

1930

全国で最初の国立療養所長島愛生園が設立される。

1941

アメリカでファジェイ博士がハンセン病治療薬にプロミンを初めて試用する。1950年以降は静脈注射で投薬するプロミンを錠剤にしたダプソンが世界的にハンセン病治療薬として使用されるようになる。

1946

石館守三博士らがプロミンの合成に成功する。1948年から療養所で普及し始める。

1948

優生保護法でハンセン病患者に対する断種が法制化される。

1949

プロミンの使用が予算化される。

1951

全国国立癩療養所患者協議会(全癩患協)が結成される(1953年より全患協と改称)。

1953

新らい予防法が制定される。強制隔離政策は継続される。

1956

ローマで「らい患者救済および社会復帰に関する国際会議」が開催される。患者の人間性回復の推進、在宅治療の促進、施設収容を最小限に限ることを推奨した「ローマ宣言」が採択される。

1958

ローマで「らい患者救済および社会復帰に関する国際会議」が開催される。患者の人間第7回国際らい学会が東京で開催される。隔離政策を直ちに破棄することが提唱される。

1963

らい予防法改正の気運が高まり、全患協が厚生大臣に「らい予防法改正要望書」を提出。

1964

ダプソンに対する薬剤耐性症例が発見される。耐性は1970年代を通して世界的に確認される。フィリピンの隔離政策が撤廃される。

1969

ハワイで隔離法が廃止される。

1981

WHO研究グループがハンセン病治療法としてMDTを推奨し、1982年に発表する。

1981

ブラジルで全国回復者組織「ハンセン病回復者社会復帰運動(MORHAN)」が設立される。

1984

インドのマハラシュトラ州でらい条例が廃止される。以後、各州にて徐々に廃止されていく。

1985

世界122カ国でハンセン病が公衆衛生上の問題(1万人当たり1人以上の患者)と認知される。

1991

全患協が厚生大臣に「らい予防法改正要請書」を提出。

1991

WHO第44回世界保健総会で、2000年末までに公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧が決議される。

1993

東村山市に高松宮記念ハンセン病資料館が完成する。

1994

ベトナム・ハノイで開催された第1回ハンセン病制圧国際会議で、各国保健相、NGO及びWHOの間で、世界のハンセン病制圧に対する取り組みと戦略を確認する。

1994

ブラジルのペトロポリス市で、ハンセン病国際ネットワーク「アイディア(IDEA)」が設立される。

1995

日本財団がWHOを通じてMDTの全世界への無料配布を開始する。

1996

らい予防法の廃止に関する法律公布により、従来のらい予防法が廃止される。

1996

全患協が全国国立ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)と改称。

1996

エチオピアで全国回復者組織「全エチオピア回復者協会(ENAPAL)」が設立される。

1998

熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提訴される。

1999

東京地裁・岡山地裁に「らい予防法」人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟が提訴される。

1999

WHOと主要パートナーによる、グローバルアライアンス(ハンセン病制圧世界同盟)の立ち上げが合意される。アメリカのカーヴィル療養所が閉鎖される。

2001

熊本地裁判決が下り、原告側(回復者)の完全勝訴となる。熊本地裁判決に対し、国側は控訴を断念する。

2002

ハンセン病問題に関する検証会議設置(最終報告書は2005年に発表)。

2005

多磨全生園における医療過誤訴訟で、東京地裁判決が下り、原告の勝訴となる。

2005

インドが公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧に成功。インドにて初の全インド回復者会議が開かれる。

2006

インドで全国回復者ネットワーク「ナショナル・フォーラム」(2013年にAPALと名称変更)が設立される。

2007

高松宮記念ハンセン病資料館が国立ハンセン病資料館として再開館する。

2007

韓国にて、隔離や虐殺の犠牲になったハンセン病患者・回復者の補償に関するハンセン病特別法が成立する。

2007

ブラジルで法律11520により、過去の隔離の被害に対して賠償金として年金を支払うことが決定された。

2008

ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(ハンセン病問題基本法)が成立する。

2008

国際連合人権理事会にて、「ハンセン病差別撤廃決議」が全会一致で採択される。国際連合にて人権問題としてのハンセン病が初めて協議された。

2010

「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別撤廃のための原則及びガイドライン」が、国際連合人権理事会で採択される。また、国際連合総会にて、「ハンセン病差別撤廃決議」が全会一致で採択される。

2011

バングラデシュにてハンセン病差別法が廃止される。

2012

多磨全生園の敷地内に「花さき保育園」が、菊池恵楓園内に「かえでの森こども園」が開園される。

2013

国際ハンセン病サミットにて、蔓延国17カ国が「バンコク宣言」を採択し、ハンセン病制圧への新たな決意を表明。

2016

1898年制定のインドらい条例の廃止。しかし、依然、差別的法律は残る。

2017

国連人権理事会において、ハンセン病の患者、回復者、その家族に対する差別撤廃の問題を担当する新たな特別報告者として、ポルトガルのアリス・クルス博士が任命された。

2018

国際ハンセン病団体連合(ILEP)、ノバルティス財団、WHOなどハンセン病対策実施団体・個人による連携グローバルパートナーシップ(Global Partnership for Zero Leprosy)発足。