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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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「障がい児」ケア…どんなタイトルが適切か、迷いながらのタイトルです。

人影が少なく、電車もバスも普段よりはゆったりの東京、さしもの酷暑も一息ついた感じです。とは申せ、台風は次々に発生していますし、相変わらずの局所的豪雨、くれぐれも気を付けましょう、お互いに。

さて、8月初め、日本財団在宅看護センターのお仲間、Lanaケア湘南の代表理事である岡本直美氏が参加されるという軽井沢キッズケアラボ」の1日に紛れ込ませて頂きました。

ご承知の方も多いようですが、これは、福井県福井市にある、医療ケアの必要な障がいを持つ子どもたちが、通いではありますが、楽しく過ごせることを実践されている「オレンジキッズケアラボ」の活動の一環として2015年から始まっているものです。

概要は、上記ホームページをご覧いただきたいのですが、夏季、今年は7月16日から8月11日までの約1カ月、軽井沢でリゾート生活を送れるスペースを確保し、さまざま障がいをもつ子どもや大人の誰でもが、色々な活動(お絵かき、水遊び、スイカ割りなどは軽い部類、なんと乗馬や気球乗り!!・・・)に参画できるように多様なサポートが講じられる夏季限定の壮大なプロジェクトです。

「オレンジキッズラボ」は、本拠が福井県福井市の在宅医療専門クリニック「オレンジホームケアクリニック」の関連組織ですが、軽井沢に夏季プログラムを開かれるに当たり、地元長野県の佐久総合病院や軽井沢病院、さらに各地からの専門職を含むボランティアらが支援するという夢のコラボのようでした。食事やちょっとした行動や動作などにも、専門的介護や必要なら医療ケアもあって安心というだけでなく、雰囲気が素敵でした。障がいが有る無しに関わらず、皆が一緒に楽しくワイワイ・・・サポートされサポートしておられました。

私は、ホンの一瞬を拝見しただけですが、その昔(1960年代ですから、大昔ですが)の小児科医時代と、その頃にお世話した赤ちゃん、お子さんたちを思い出しつつ、医療とケアの進歩、時代の変化を実感しました。

障がいがあることイコール制限だったその昔に比べ、だれにも訪れる夏だけでなく、すべての時間を出来るだけ、他の子どもと同じように経験すること、それは子どもだけでなく、家族にとってもすばらしいことだと申せます。が、その昔は、医療施設の中ですら「言うは易し、行うは難し」でした。そして、障がい児のケアは、ほとんどが家族、取り分け母親に負担を押しつけていたと思います。

さて今回、湘南から二家族をお連れしての参加だった岡本氏は、遅れて参加した私をピックアップしたり、子どものケアをしたり、そして、率先して、ご自分がエンジョイされたり(失礼!!)、湘南~軽井沢往復運転、2泊3日でお疲れだったと思いましたが、良い経験をさせて頂きました。僅かな時間ですが、ご一緒した二家族とも、しっかりプログラムを堪能されたのではないか、今後の在宅看護における障がい児ケアの在り方を考える上でも、貴重な学びでした。

その前後、ちょっと気になる論文/論評を見ました。NEJM(New England Journal of Medicine: 1812年創刊の世界最古で、権威ある査読付き医学雑誌)に、「あなたの命を救った私を許してくれますか(Will you forgive me for saving you?)」との投稿があったのです。さらに、続けてすぐに、この記事への反応が掲載されました。最初のものは、家庭内で虐待され、仮死状態で運び込まれた幼児を担当した医師の葛藤であり、後は、その葛藤を理解することへの葛藤ともいえましょう。

医師は、病める人の命と健康を護ることが本務であり、病者を前に、その責任を果たすことに気持ちが揺らぐことはありません。少なくとも私自身は、20代から40代にかけて臨床に身を置いた間、そうだったと断言できます。小児科医であったことと関係するかもしれませんが、どんなに障がいが重いと思っても、「あなたの命を救った」「私を許してくれますか?」との気持ちは持ったことはありませんでした。幸せな医師であったのでしょう。が、現在は、家庭で、親や兄弟から虐待される子どもをどう扱うのか・・それは、障がい者や高齢者への虐待も同じと申せましょう。

どの生命も、自分のイノチと同じく尊いと云い、それを護るために出来得る限りを行うこと・・・ストレートで判り易い医療の根源が揺らいでいるとは思いませんが、何故、それをまっとうできない事態が生じたのでしょうか。どうすれば良いのでしょうか?

軽井沢キッズケアラボのさわやかさと、NEJMの二つの投稿の重さ・・・少し長いですが日本語訳も下にお付けしておきます。

New England Journal of Medicine 2018.7.5 379号

あなたを救った私を許してくれますか? トーリー・マガウン博士

Will you forgive me for saving you?

(原文)https://www.nejm.org/doi/pdf/10.1056/NEJMp1804030

Torree McGowan, M.D.

はじめて、あなたに会った日のことを覚えている。静かな日曜日の朝だった。受付の近くで騒ぎを聞いた。あなたのお母さんが叫んだ。「赤ちゃんは息をしていない!」

あなたを最初に見たとき、あなたはお母さんの腕に抱かれていた。悲しいことには、赤ちゃんらしく心地よくお母さんに寄り添うのでもなく、よちよち歩きをしているのでもなかった。あなたの小さな体はぴくぴく動いていた。専門用語で「異常肢位」という状態で、まるまる太ったよちよち歩きの子どもには、あまりにも残酷な言葉だと、医者としての私には感じられた。

急いで外傷センターに運び、病院全体であなたの治療に当たった。みんなの助けを借りて、私は一歩退いて、あなたの人生を永遠に変えてしまう決定を下そうとしていた。

あなたの小さな心臓の動きはあまりにも遅かった。子どもの心臓は、走ったり笑ったりするように早いものだが、あなたの心臓は遅く、どもるような感じで、今にも力尽きそうだった。また、あなたの心臓は強いと分かったが、あなたの脳はあまりにも大きく損傷を受け身体が消え入りそうだった。

次の瞬間の行動、私はぼんやりしたまま、骨に穴をあけるドリルのように、大声で、厳しいが的確な命令を発した。モニター表示が下がり始め、どの数値も心配だった。私はあなたを見た。あなたのすべてを見て、すべての部分を測定し評価分類した。

私の目はあなたの額のあたりをさまよった。右の額のちょうど眉の上、大きな痛ましい紫色のコブがあった。何度もその傷を見た。表面にこのようなヒドイ傷があるということは、その中にどれほど恐ろしい損傷が隠されているかだと判る。

私たちのチームは一生懸命働き、治療、点滴、モニターなど、多数の優秀な専門家が助けてくれた。あまりにもたくさんが治療に当たったが、それでもさらに多くの手が、あなたの小さな体に触れた。私たちは、あなたが怖がらないように小さな声で話した。

あなたを人工呼吸器に付けた時をはっきり覚えている。このような処置は何百回となくやってきたが、私の目の前がぼんやりしているのに気付いた。揺れているのは私の手だ。私は作業を止めて震えが止まるまで自分の指を見ていた。そして二度深い息をしたあと、あなたに呼吸チューブを挿管した。

呼吸装置が作動し、時を刻む音が始まると、状況が落ち着いた。あなたの体は、鎮静薬に反応し腕の緊張が緩んだ。消え入りそうだった鼓動が再び始まった。美しいブルーの瞳の中で瞳孔が反応し始めた。

ヘリコプターの音が、さらなる助っ人の到着を知らせた。あなたを初めて見た時、外傷センターで治療を始めた時、外部に応援を要請したのは、この小さな町の病院では、あなたの小さな命を救うための重篤なケガの治療ができないからであり、私は、要請に応えて駆けつけてくれた人々にはとても感謝している。

あなたが、さまざまな救命装置をつけられ、包帯で巻かれてミイラ状態で外傷センターから運び出されると、狂乱状態は一段落した。あなたが私の手を離れた時、あなたの命を救うために闘っている間、あなたに付き添っていたあなたを愛している人々の向こうに、その日、最初の嘘をついた男が一人いた。その男は、私の目を見ようとはせず、あなたが転んで壁の角で頭を打ったと言った。が、その男は、私たちが事情を知っていることを分かっていたはずだ。

あなたのことを考えていた間、私は、あなたの額が見え、そしてあちらの世界とこちらの世界を分ける境界が見えた。あなたの左手が胸の上でけいれんし、そして、だらりとするのが見えた。私は奇跡を願った。

小さな町にはありがちなことだが、あなたに何が起きたのかをちょっと聞いた。あなたの手術の噂についても聞き、あの日曜日の前に、あなたが保育所で笑う幸せな子どもだった時の写真も見た。あなたが家に帰ったと聞いた日には、悲しい誇りを感じた。おしめを替えるときに、あなたがじっとしていなかったというだけの理由で、あの男が悪事を働いたことを新聞で読んだ。

ある朝、私はいつもの同じ救急治療部にいて、いつもの同じ椅子に座っていたとき、あなたのお母さんが叫ぶのを聞いた。無線のガタガタという音が聞こえ、消えて行った。「TBIによると・・・。呼吸困難だ」私は緊張し、それがあなただということが分かった。

あたまのコブは消え、渦巻き状の傷が残っていた。脳に怪我をした患者に共通する、ちょっとテカテカした跡が皮膚に残っていた。それが、怪我によるものが、治療によるものかは分からなかったが、光沢に気が付いた。

あなたのお母さんに、ふたたび話す機会があった。私を抱きしめて、あなたを救ったことに礼を云われた。あなたのおばあさんは素晴らしい人だ。あなたを完全に愛していて、毎日、世話をしている。私たちは、少しの間、一緒にいた。このことをあなたは覚えていないだろうが、私は決して忘れない。

あなたがベッドに横たわっているのを見て、ちょっと笑っているような表情を見ると、何かうれしいことがあるに違いないと思う。あなたは「モアナ」が好きだから、お母さんが繰り返し見せている。あなたが幸せということを知っているのかどうかは分からないが、苦しみを知っていることだけは確かだ。看護師が点滴の用意をすると、あなたは、できる限り抵抗しようとし、顔をしかめ、逃げようとする。その苦しみだけが、あなたに分かるすべてでないことを願う。

私を許してくれるだろうか。あなたは、死にかけており、生きることができないのでは、と私は心配した。そのときでさえ、「生きる」ことが相対的で、あなたのために救おうとしている命は、心配だった。あなたの体のどこかで喜びを感じ、喜びが苦しみに勝ることを願っている。あなたがちょっとだけ覚えていてくれることを願っている。私は決してあなたのことを忘れないから。

あなたを救ったのはいい人生のためだったのか、私には分からない。私がしたことをうれしいと思ってくれているだろうか?あなたのお母さんとおばあさんは、あなたの世話と犠牲が永遠に続くいまでも、私に感謝してくれているだろうか?あなたの命を救った私を許してください。

 

「あなたを救った私を許してくれますか?」への反応 ジョンズホプキンス大学小児救急センター長イボール・ベルコビッツ博士

Reflections on “Will You Forgive Me for Saving You?”

(原文)https://closler.org/passion-in-the-medical-profession/reflections-on-will-you-forgive-me-for-saving-you

Ivor Berkowitz, MD, Johns Hopkins University School of Medicine

 

暴行を加えられ危篤状態にある子どもの蘇生現場の救急室の秩序のある混沌と、自分自身の不安や両親の悲しみと打ちひしがれた叫びをトーリー・マガウン医師が抑制のきいた書き方で投稿したNEJMの強烈な記事を読んだ。私は、心の底に重圧を感じ、私自身の不安が迫って心臓の鼓動が高鳴り、手が震えるようだった。

私にはその感覚が分かる。緊急治療室や小児用ICUで、危篤状態にある子どもの蘇生処置をする時、何度も経験したこの感覚は、何年たっても消え去ることはない。今でも、危篤の子どもに気管挿管をするときには、震える手を落ち着かせ、呼吸を整えなければならない。

マガウン医師は、その子が、どのようにゆっくりと蘇生に反応したかを「心臓の鼓動が聞こえ、美しい青い瞳の瞳孔が収縮し・・・」と記載している。医療チームの努力が報われるのは、どれほど満足感があり、奇跡的なことだろう。死に直面しながら、振り返り、そして死に背を向ける子どもの回復力が、何年も前に、私を小児科の道に進ませた。

最後の二つの節に私は涙した。「あなたを救った私を許してくれますか」という、祈りのような懇願は、私を覆っているベールを引きちぎり、重篤な病気に罹っている子どもの蘇生処置の後で現れる心配と畏れに向き合わせる。

あなたとあなたの家族に、生涯にわたる負担と苦しみをもたらすために、私はあなたを救ったのだろうか。蘇生処置の緊急性を考えると、集中治療医にできることは、命を救うことだけである。緊急時、必死に蘇生している時には予測できないことが多く、我々は可能な限り全力を尽くして命を救う。

夜、ベッドに入ってから、ようやく自問する。我々はいい人生のためにあなたを救ったのかと。