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最期の日々を看取る人々 緩和医療学会に参加して

先週末、パシフィコ横浜で、第22回日本緩和医療学会学術大会が開催されました。

緩和医療/ケア=看取りでは、決してありません。WHOの定義(*)でも、それを終末期ケアとは見なしていません。むしろ、がんなど、厳しい治療を要する際、積極的にそれに立ち向かうための支援の一つの柱とも云えましょう。

今学会の参加者は、何と8,500名以上​。過疎地、限界集落などと呼ばれる地方の小さな村落の人口を上回る数の緩和ケア関係者が参集したことになります。

私ども笹川記念保健協力財団は、約20年前、つまりこの学会が生まれた22年前に遅れることわずかの時期から、当該分野の人材育成支援を行っておりますので、​本学会の盛会は、ある意味ご同慶の至りであります。が、これが本当に、医療施設や自宅を問わず、療養する人々に必要な緩和ケアが実践される証であることを示しているか、そして緩和ケアそのものが、これほど​に関心事となっている事態への制度、体制が確立しているのだろうか、と老婆心もチラと​動きました。

何はともあれ、22回目にして女性医師として初めて年次大会長を​大々成功裏に務めあげられた帝京大学医学部教授有賀悦子先生には、新たな試みなども含め、その成功を心からお祝いするとともに、お疲れ様でしたと申し上げます。

学会のさなかに、3年弱の闘病の間、ほんわかしたブログを記されていた市川海老蔵夫人小林麻央さんが身罷られました。たった34歳、幼子おふたりを残しての旅立ち、ご本人とご夫君である海老蔵氏、そしてご家族には、どう考えても早すぎる、理不尽な・・・との想いでしょう。自分の多すぎる年齢を思い、身内でなくとも代わってあげたいなどと、余計なことを思っている善意のお年寄りもおいでではないかと思います。

一番苦しいのはご本人であるのに、多くの人々に癒しを与え、闘病の苦しみを超越した何か神がかり的な優しさと勇気のあり方を伝達され、その昔と変わらぬ素敵な笑顔を残して去って行かれました。イギリスBBCは、昨年11月23日、2016年の世界に感動を与えた100人の女性(100 Women 2016: Kokoro – the cancer blog gripping Japan)に取り上げ​、また、訃報では、Mao Kobayashi: Japanese cancer blogger dies at 34として、決して海老蔵氏夫人ではなく、小林麻央個人の死を取り上げてい​ます。

新聞一面、NHKニュースのトップに扱うのは如何かとか、一般メディアや医師や保健関係者ブログ、ITジャーナルにも盛んに取り上げられています。が、個々の人間が、その最期の日々をどのように過ごすかは、人の数だけ異なる過ごし方がある、あって良いのではないかと、私は思っています。​再度申しますが、緩和医療、緩和ケアは、必ずしも、死の直近の日々のためのものではありません。が、それでも、それぞれの人々の最期を支える役割を担うことが​医療の一分野、そしてその専門家がこの分野を為していると申せましょう。

高齢者の最期の日々における過剰ともいえる医療の是非や超高価薬の使用にもご意見がありますが、自費なら良いとか保険ならダメとも、一律何歳以上はダメなども云い難い、いえ、誰が​それを決められるのでしょうか。

人の誕生と死は、本来神さまの領域なのに、医者が入り込み過ぎたからややこしくなっているのだ、との意見もあるとか。独り身で後期高齢年齢まで生き​てきたので申すのではないのですが、医療資源​は無限ではありません。本当に必要な時に、​きちんと​活用するためには、濫用しない、無駄に使い過ぎないこと​が必要だと思います。​念のための検査のすべてが無用、年寄りは病院に行くな、と申しているのではありません。あまりに安易に、ついでに・・・と云う発想を少し見直しても良いのではないでしょうか?​

昨今は医療保険と​呼ばれることも多い​わが国の健康保険​は、1961年以来、徹底し​て等しく国民を守ってきました。この​わが国が誇るべき医療​制度ほど、恙なく実践されてきた保険制度はありません。が、急激な超高齢化社会の到来​と本当はそれこそが問題である少子化によって、支払う世代(就労層)が細り、保険を使用する世代(高齢者)が巨大化しつつあることから、今まで通りのまま​では継続が覚束なくなったのです。それ故に、介護保険が生まれましたが、この制度も濫用すれば維持できなくなりましょう。既に、アクティブに収入のある高齢者は3割負担などが議論されていますが、わが国人口の30%に迫っている高齢者の大勢が、払うのは少し、使うのは目いっぱいでは、それも​間もなく・・・予測より早く費えてしまうでしょう。​高齢者の一員として思うのは、上手にこれらの制度を維持するには、どのように効果的に、少し長い目でみて、活用するか・・・をよく考えることでしょう。​

学会では、大勢の多種多様な保健専門家の発表を聴かせて頂きました。嬉しいことに、今年1月に、「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業の3期生を終え、青森県十和田市で開業したばかりの太田緑氏(一般社団法人緑の杜 日本財団在宅看護センター みどりの風訪問看護ステーション 代表理事)がシンポジウムで、地元の緩和医療における看護師のかかわりを発表してくれました。

​そしてインターナショナルジョイントシンポジウムの「Integration(統合)」​では、内外の緩和ケアの第一線研究実践家が、内容の濃い発表、熱い議論を交わされました。どの国の緩和ケアにも、未だ問題はあるようですが、日本の​医療、緩和ケアは十分質が高く、そして患者中心であることを、テキサス大学付属の有名ながんセンターUT MD Anderson Cancer Centerの​Eduardo Bruera​博士が評価されました。多忙な医師や医療関係者が、えてするとブラック産業のようにも云われる今日この頃ですが、病める人​、苦難を持つ人々を助ける仕事は、中々に​勤務時間で割り切れない仕事であります。​かつて、国民の1/4とも1/3とも云われる人々が保険を持っていなかったアメリカでは、前大統領が苦心された改革医療制度(オバマケア)を、現大統領が廃棄改変しようとされています。​個人主義が確立しているため、国家が個人の自由を束縛すべきでないと、国民皆保険よりは、民間企業の保険が主流なのです。Bruera博士は、アメリカの医療は、​遺憾ながら、患者中心​というよりは、商業主義が優位になることもあるが、日本の医療​制度と医療は​勝れている、自信を持って、と鼓舞されました。

2日間、早朝8時過ぎから、ちょっと頑張って勉強させて頂きました。その成果は、共に学会に参加した現在進行中の「日本財団在宅看護センター」起業家育成事業4期生の研修中に、存分に活用させて頂きます。

(*) WHOによる緩和ケア定義:緩和ケアとは「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対し、疾患早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関し、きちんと評価し、それが障害とならないように予防したり対処したりすることであり、クオリティ・オブ・ライフを改善するためのアプローチ」である。

Palliative care is an approach that improves the quality of life of patients and their families facing the problem associated with life-threatening illness, through the prevention and relief of suffering by means of early identification and impeccable assessment and treatment of pain and other problems, physical, psychosocial, and spiritual.