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国境

2017年3月5日のニューヨークタイムスインタネット版に「国境を閉ざすことは『人道の危機』をきたす(Closed Afghan-Pakistani Border Is Becoming ‘Humanitarian Crisis’ 下部写真参照)」なる記事がありました。

目下の国境問題と云えば、アメリカとメキシコでしょうか。

選挙中から、全長3,141Kmにわたる両国国境に塀を造ると公約してきたトランプ大統領は、就任直後に壁建設を命じる大統領令に署名しました。そんなことができるのか、と思っていましたが、3月5日には、国土安全保障省傘下の税関国境警備局が、企業に壁設計案提出を求める方針を明らかにしています。そして、驚いたことに(というのは、私の意識の問題ですが)、壁建設事業に関心を示す企業が、何と300社もあることです。まだ、詳細が不明なままですが、彼の国でも、政府発注公共事業を受注してきた建設会社が多く手を挙げている様子です。100億ドル(約1兆1400億円)とか、250億ドルとかの総工費ですから、ビジネス的には大きな仕事かもしれませんが、何か釈然としません。

一方、上記ニューヨークタイムスの記事は、アフガニスタンとパキスタン間の通称デュランドラインとよばれる2,640Kmの国境です。

アフガニスタンやパキスタン北西部には、古来、同民族が住んでいましたが、1893年、当時は英領だったインド帝国の外務大臣モーティマ・デュランド(イギリス人)とアフガニスタン国王アブダラフマーン・ハーンが合意した国境線のせいで、同じ民族が片やアフガン人、片やパキスタン人に二分された経緯があります。この辺りは、1970年代の旧ソビエトのアフガン侵攻以来、タリバンやアルカイダや、現在のISISイスラム国と、落ち着かない状態が続いていますが、19世紀から20世紀にかけては、アフガニスタンという国の独立が(大英帝国によっ)保障されたことで、大英帝国と南下政策をとるロシア帝国間の、いわゆるグレート・ゲームがひとまずの安定を見たことは事実です。

間もなく40年にもなりますが、旧ソビエト軍の侵攻によって生じた数百万のアフガン難民がパキスタンに流入したのは、かつて同民族だった親和性によることは、現地で勤務した際に実感しました。

アフリカ諸国と共に、長く地域武力紛争が続いているこの地、荒々しい天候ではありますが、美しい自然に恵まれた地、どうすればこの地に安定が根付くのか、当時、鉄の鎖で仕切られただけの国境に比し、街灯が続いている、立派になった国境の写真を見ながら、ため息が出るばかりです。

アフニスタンとパキスタンの国境