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看護の力 (次回 看護師の力に続く)

2014年度の日本財団ホスピスナース研修会地方版を、秋の気配が忍び寄る仙台で開催致しました。十数年の経過から3,000名を超える研修修了者を擁するこの活動は、弊財団の一大事業ですが、昨年から、東京での年次研修会に加え、地方開催を加え、大阪に続いて東北に参りました。今年は、現在進行中の新事業「日本財団在宅看護センター」起業家育成の研修生17名も参加し、総勢80名余でした。
研修は、初日の講演会、ランチョンセミナー、事例検討会と、二日目はオプショナルで、東北大震災の被災地南三陸町訪問と現地で、あの大災害を経験された3人の看護部長の講演からなりました。今回は、初日の講演から私の思ったことです。
基調講演は、千葉大学大学院看護学研究科教授手島恵先生「今、看護師だからできること-働く意味を見出す」でした。手島教授は、20年前、当財団の前身である笹川医学医療研究財団の支援で渡米の機会を得られたと仰せでした。財団としては、その大きな成果をうかがうことにもなります。
先生のお話は、壮大な看護の未来を示すもののようですが、私には本来の看護のあるべき姿を語られているとも聴こえました。2010年、バンドエイドでよくしられていますが、実は保健関連ではアメリカ有数の財団であるRWJF(Robert Wood Johnson Foundation ロバート ウッド ジョンソン 財団)が、IOM(Institute of Medicine、米国医学研究所)と共同でまとめた“Future of Nursing(看護の未来・・・未来の看護でしょうか)”や、Laurie Barclayの提言“Institute of Medicine Recommends More Training, Independence for Nurse(2010 Oct)”を基に、看護力の強化に何が必要かを、諄々と説かれました。
世界は、看護力を必要としています。中でも、高齢化最先端のわが国のそれは焦眉の急です。明らかな病気をもたなくとも、健康水準低下が必死の高齢者では、そのADL(Activities of Daily Life、日常生活動作)を如何に維持し、あるいは対応するかは、明らかな病気の治療cureとは異なる養護careとして必要です。どうころんでも、かつての青年・荘年期に戻ることなく、ADLが徐々に低下、やがて死に至る人生の終末をどう養護careするか、このことは、悪性腫瘍など、死を避け難い疾患のEoL(End of Life 終末期)と同様、主に看護が担うべき役割ではないでしょうか。しかるべきphysical assessment(実際にはADLをふくむ身体機能評価、と私は考えています)を行える看護(師)の機能を活用すれば、careをうける人々のQoL(Quality of Life生活/人生の質)はかわります。そして膨大な医療費で押しひしがれてゆくだろう未来の社会を癒せると、常々申している私には、まさにわが意を得たりの想いのご講演でした。
嬉しいことは、先生のお話を、十分、咀嚼吸収されていた風の参加者の反応です。
グローバリゼーション(globalization、グローバル化)は、まるでそれが増殖能をもった生き物のように、世界中を席巻し、そしてますます複雑化してゆきます。国際社会という得体のしれない未来の中で、人類にとって、個々の人間にとって必要なものは、健康・・・それを支えるための教育です。地域の人々に最も近く、病める人の傍に位置する看護師が、これからの社会で何を為すべきが、手島先生の講義から、それを噛みしめられた皆さまのお顔は、ピカピカにみえました。手島先生、ご参加の皆さま、お疲れ様でした。

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