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地域保健と看護-オランダの在宅看護

「光陰矢の如し」という言葉があります。この理事長ブログは、10月で止まっていますが、その間も、時は刻々とすすみ、あなたも私も1カ月半ほど歳を取り、つまり、それだけ経験を積みました。が、それだけ、来るべき死に近づいたのでもありましょう。 などと、怠けた云い訳ですが。
10月、弊財団のこれまで、そしてこれからの看護系プログラムを考える機会として、オランダに参りました。ご承知の方も多いと思いますが、この国の高齢者ケアが注目を浴びています。わが国に比し、高齢化率はまだ低いのですが、それにしても、ヨーロッパ諸国の中で対応が出遅れたともされるオランダでは、大胆な地域保健改革が進んでいます。これらについては、東海大学廣瀬真理子先生の論文「オランダにおける終末期ケアの現状と課題 海外社会保障研究 Autumn 2009」や、在宅ケアの看護師団体Buurtzorg(ブートトゾルフと聴こえます、total careの意と伺いました)についての労働政策・研究機構堀田聡子先生の詳細な論文「オランダのケア提供体制とケア従事者をめぐる方策-我が国における地域包括ケア提供体制の充実に向けて- JILPT Discussion Paper Series 12-07」をご高覧ください。今回はほんの数日の見学でしたので、制度の是非など述べられませんが、常々、思ってきた看護の世界性(universality)と地域性(locality)を実感しました。
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Buurtzorgは、現在7000名もの看護が所属しているそうですが、各地域では、在宅専従の看護師十数名が1チームをつくり、様々な勤務時間で、看護/介護を要する高齢のカップルや独居者をケアしています。ある地域に根を張る働きやすい仕組みが、ほぼ確立され、住民はそれを享受する・・・ 今後、わが国でも、地域でのケアを担う看護師の役割が普遍化するだろう、つまり、地域住民のケアは看護師という世界的趨勢を確信しました。実際には、医師の関与は前提でしょうが、明らかな急性病変がない限り、相当、健康が低下している方々も、看護によって自宅生活を維持しておられるようでした。訪問した3人の高齢女性は、介助なく、ベッドを離れられない状況でしたが、花に囲まれ、一見、優雅な様子でした。「在宅」という言葉ですが、日本では、医療施設付属の「訪問」看護センターが退院した病者(患者は病院に入院しているヒト、自宅にいる病人は何と呼ぶべきか??)をフォローする・・だから、「ケア提供者」に主体を置いた「訪問」看護に対し、彼の地では、「病者」の生活の場「在宅」でのケアでした。ただし、オランダの在宅は、家庭医との連携の下にあり、この制度の普遍化をまっての車の両輪でしょうか。
さて、Buurtzorgナースの独り住まい高齢者訪問のお伴をさせて頂きました。看護師でない私が、外国の看護を評価はできませんが、日本のそれとはやや違う、看護の質の違いかナとも思いました。そもそも、ヒトという同じ生物ながら、例えば、環境が異なれば、多少、皮膚構造も違ってきて、入浴やシャワーといった生活習慣の差が生まれ、さらに重要なことは生活様式や独りで生きることに対する考え方の違いも大きいと思いました。朝の訪問は、まず、シャワーから始まります。日本の、どっぷりお湯につかる入浴法とは異なり、どちらかと云えば、顔を洗うに近い感じ、温泉文化、お風呂がリラックスの手段である私(たち)とは、全然違う・・・つまり、看護の地域性あるいは個人性でしょうか。
ともあれ、看護師が、健康が壊れたヒト(病人)あるいは健康状態の低下したヒト(高齢者)の、自宅での生活を支えていることは事実、他にも介護を中心とする多職種の関与があってこそ、この地の高齢者の在宅生活が維持されているのでしょうが、日本の高齢者の一人として、さらに自立意欲を持たねば!!とケアを受ける側としての自覚を高めて参りました。