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「おもてなし」と「気配り」

「おもてなし」は、2020オリンピック招致会議で一躍世界に広がりました(数人の外国人友人からメイルを受けました)が、日本古来の麗しい文化を示す言葉です。
いくつかの国で仕事した間、日本の文化の良さを文字化して伝えるのは英語力もさることながら、なかなか難いものだと感じていました。つまり、「カクカクすれば」例えば、美味しいお茶とお饅頭を急いで出せば、それが「コレ」つまり「おもてなし」ですとは云えないこと、しかも、そのカクカクを担う=為す個々の立ち振る舞いや人となりによって、コレが微妙に異なります。
曰く云い難い・・いわゆる近代西洋科学的になり難いものが文化かもしれませんが、良き「日本」を表象するコトやモノやシグサは実は一杯あります。当然、他の文化にもそのような特性があるのでしょうが、通常は、それが判るほど深くかかわっていないのでしょう。「おもてなし」もその一つかもしれません。個人の家を訪問する際にはさりげなく、ホテルや旅館、多数の顧客が訪れるレストランやショッピングセンターでは、それが売り物の一つでもありますが。
ちょっと拝見したインターネットのgoo辞書には、おもてなしとは「客を取り扱うこと。待遇」で、例として手厚いおもてなしを受ける」、また、「食事や茶菓のごちそう。饗応」で、「茶菓のおもてなしを受ける」、さらに、これが個人レベルでは重要なことですが、おもてなしとは、「身に備わったものごし。身のこなし」などとあります。最後の例の引用は、古文中の古文、源氏物語末摘花の「いとわろかりしかたちざまなれど、おもてなしに隠されて口惜しうはあらざりきかし」が引用されています。現代、このような事例がないとすれば、それこそ口惜しうはあらざりきです。
おもてなしを目的に人々が訪問するのではありませんが病院など、人を対象とするところでは「おもてなし」が必要です。「おもてなしの心」という、さらに、曰く云い難い日本的表現にhospitality が当てられています。つまり、病院やホスピスと語源を一にしているのですから、やはり、おもてなしが必要な所と納得です。
さてさて、「おもてなし」の評価などという無機質なことを為すべきでないのですが、「おもてなし」を受けた、と感じるには、もてなす側に相手に対する優しい気持ちや積極的な受け入れの姿勢があって、それがちょっとした心づかいやしぐさ、そして優しいと感じる行為となり、ホンワカ感じられるのですが、受け手の気持ちは働きかけ手のこころの問題・・・・と、段々深みに入ります。
数日前、福岡空港からバンコックに向けて飛び立ちました。飛行機で窓側に座った時、以前から気付いていたことがあります。
ドアが閉まって安全が確認されると、小さなトーイングカーが、大きな機体を滑走路に向けます。その作業を終えられた2,3人の地上作業員が、ほとんど直立不動で並ばれ、動きだす機に深々と一礼された後、しばらく手を振って下さいます。海外の空港では目にとまったことがないのです、日本だけでしょうか?日本では、すべての空港で行われているのでしょうね?日本のすべての空港を発する飛行機のすべてに、地上作業員は、毎回、そうしておられるのだろうと・・・私は、それを拝見するたびに、心の中で「行って参ります。ありがとうございました」と申し上げます。
近代科学の産物、大かたはコンピューター制御されているものに頭を下げる、「おもてなし」と表裏一体のような「きづかい」「きくばり」でしょうか。
大いに誇ってよい日本文化だと思います。