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チェルノブイリ医療協力

1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故における住民への健康障害の早期発見のため、検診車や医療機材の提供、また日本の医師、臨床検査技師、放射線技師による現地専門家への技術協力を当時のソビエト連邦で行いました。

1986年4月26日、ソビエト連邦ウクライナのチェルノブイリで人類史上最悪の原子力発電所事故が発生しました。放射能汚染は広範に及び、特に影響の大きい地域(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア)の住民に健康障害が懸念され、1990年に当時のソ連政府から医療協力の要請がありました。当財団は原爆医療の知識と経験をもつ放射線影響研究所理事長 重松逸造氏をリーダーとする調査団を現地に派遣し、ソ連保健省と協議を重ねました。協議では、ソ連のなかでも特に放射能汚染が深刻な5カ所を定め、それぞれの地域の医療施設を基幹センターとして医療協力を行う方針となり、1991年に地域住民の検診に着手しました。

しかし約1年の準備期間を経て、実際に現地で協力活動を始めた数ヵ月後にソ連は崩壊、連邦を構成していた国々が独立を宣言し、チェルノブイリ医療協力実施国がロシア、ウクライナ、ベラルーシの3国となりました。医療協力は1991年から2001年にかけて、特に放射線の影響を受けやすい児童(事故当時0歳から10歳)を中心に検診を行い、約20万人の子どもたちの検診を行いました。

検診車贈呈式(モスクワ・赤の広場)

検診は広島・長崎の被ばく医療の経験から、1.被曝線量、2.甲状腺検査、3.血液検査を主検査項目として、1.甲状腺用超音波診断装置・チェアタイプ線量計(ホールボディカウンター)・血球分析装置を搭載した検診車で近くの町村の学校へ赴き児童を検診する、2.検診車に搭載したものと同じ機材を各センターにも設置し、バスで児童をセンターへ運んできてセンターで検診する、という2つの方法で実施しました。
国境を超えた5センターには同一の医療機材と試薬を供給しました。検診車、送迎用バス、ミニバスに加え、主な医療機材としては、甲状腺用超音波診断装置(設置型および携帯型)、チェアタイプ人体測定線量計、環境測定用ガンマ線サーベイメーター、自動血球分析装置、顕微鏡、コンピューター、保冷庫、超低温冷凍庫など、また採血器具などの消耗品、種々の試薬を提供しました。

検診活動をスムーズに行うために、開始時から3カ月間ほど日本の医師、臨床検査技師、放射線技師が各センターに滞在し、現地の担当者と共に検診に従事し技術移転を図りました。その後は、検診業務は現地医師、検査技師が担い、日本からは年数回専門家が5センターを訪れ指導を行いました。また現地の医師、技師に対し、現地や日本で研修を実施しました。
毎年5センターの担当者が検診のデータを持ち寄り、日本人専門家も参加してモスクワなどでワークショップを開き、それぞれの問題点を協議し検診活動の統一性を図りました。その結果は英語、ロシア語でそれぞれ報告書にまとめられました。さらに5年間各センター所在地でシンポジウムを開催しました。
人道的支援としてスタートしましたが、3カ国5センターで同じ機材を用い、同じ方法で児童の検診を進めたことで、結果として貴重な科学的データが蓄積されました。この検診結果の比較などから、チェルノブイリ原発事故後、大気中に大量放出された放射性ヨウ素による内部被ばくの影響により、小児甲状腺がんが多発していることが、科学的に証明されたのです。これら子どもたちに生涯続く発がんリスクに、どう国際社会が対応するかが大きな問題となっています。

1999年には、ベラルーシのゴメリ州立診断センターと日本の長崎大学医学部とを結ぶ通信衛星を使った画像送受信システムを立ち上げました。このシステムを用い、ゴメリから甲状腺超音波診断画像を長崎大学へ送り、受信した長崎大学では専門医のコメントをつけてゴメリへ返送し、甲状腺がんの確定診断に大きな役割を果たしました。
この成果を受け、当財団は世界保健機関(World Health Organization)と協力し、2000年5月にベラルーシで遠隔医療のパイロット・プロジェクトを開始しました。2004年にはベラルーシのミンスク医科大学とゴメリ医科大学との間で遠隔講義も始まり、日本との通信以外でも地域ネットが拡大され、これによって、ベラルーシ国内の甲状腺診断を中心とした医療格差や、医学教育の格差の是正に大きく貢献することができました。

チェルノブイリ医療協力実施にあたり当財団はモスクワ事務所を設置、モスクワ事務所のロシア人スタッフは日本の事務局と5センターとを結ぶ連絡係として、日本から派遣する専門家受け入れや旅程の調整、日本から頻繁に送らなければならない検診に必要な試薬や消耗品の受け取り、さらにそれらを5センターに配送する業務を担っていました。また、いつも日本人に同行してくれた通訳は、プロばかりでなく、モスクワ大学の日本語の先生、そして学生たちにも担っていただきました。10年余りの支援活動は、モスクワ事務所と通訳の方々に支えられて大きな成果を残すことが出来ました。

検診車と検診を受ける子どもたち
検診期間 1991年5月~2001年3月
検診児童数 約20万人
検診実施地域(州) および「5センター」 ロシア ブリヤンスク州(クリンシィセンター)
ウクライナ キエフ州(キエフセンター) ジトミール州(コロステンセンター)
ベラルーシ ゴメリ州(ゴメリセンター) モギリョフ州(モギリョフセンター)
ロシア、ウクライナ、ベラルーシ人 医師の日本での研修 延べ115名
ロシア、ウクライナ、ベラルーシ人 医師のこれら3国での研修 延べ110名
技術協力のため日本人医師の 現地への派遣 延べ441名