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健康と命をまもる仕事

上空800Kmとはいえ、また、日本の上空をミサイルが飛びました。

原始的な武器が工夫発明されて、いくさの歴史は変わりました。どんどん、武力が過激に発展した結果、わが国だけが経験した原爆や水爆に行き着いたとも申せます。

世界各地では、今も大小さまざまな規模の紛争が続いています。このような地域では巨大な、もちろん、原子力を用いるレベルの闘争はありませんが、小型化された武器が出回る中に、何が混じるか、予測はつきません。そもそも、現在の紛争地、紛争国には、使われている武器すら産生する能力がないところが多いのに、武器が出回っている・・・おかしなことだと、紛争地勤務中も思っていました。誰が、どんな意図で武器を、武器を求める資金を提供しているのでしょうか?

何より、武力をもって武力を制することの愚かしさを、長い戦争の歴史から、まだ、人類は学んでいない・・・学問は何をしているのでしょうか?

先日、最近出版された『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(青山透子著、宝島社)を読みました。1985年(昭和60年)8月12日の夕刻、日本航空123便が群馬県御巣鷹山尾根に墜落した事故は、実は事件ではなかったのか・・・という衝撃的なノンフィクションで、この著者の2冊目です。過去、同様のノンフィクションが数冊出版されていますが、私が、この「事故」に執着しているのは、当日の個人的な対話の記憶からです。

1985年、今から32年も前の対話を何故記憶しているのか、です。
人々の健康、命をまもる仕事と云えば、直ちに医師や看護師と云った保健関連の仕事がでてまいります。

その日、当時勤務していた奈良医大では、後に国立循環器病センターの総長になられた北村総一郎第三外科学教授による心臓手術が行われていました。人工心肺を用いた大掛かりな手術では、出血管理も重要で、中央検査室で血液を担当していた私と止血検査チームは、朝早い手術前から、患者の凝固(血が固まる能力)止血(固まった血液が溶解する能力)検査を担当し、出血や血液の固まり過ぎをコントロールする薬剤の使用量をアドバイスしていました。
夕方、手術室のラウンジのTVでは、既に日航ジャンボが行方不明になっていることを報じていました。手術を終えた後、緑色の手術着のまま、ラウンジに現れた北村教授との対話です。

しばらくTVをみてから、仰せになりました。
「なぁ、キタさん!!ワシらは、朝から、延べ何十人もかかって、たった一人の病人のいのちを救うのに苦闘しているンじゃけど、ジャンボが一機墜ちたら、500人も亡くなるんヤなぁ・・・」
「・・・まだ、墜ちたとは決まってないけど・・・」

人々のいのちをまもる・・・とはどういうことなのか?
後に、集団の健康をまもるPublic Health(公衆衛生)に従事することになりましたが、この日の、この対話は、その後、現在に至るまで、しばしば、頭の中でエコーしています。

飛行機、JRや私鉄、地下鉄の列車、バス、乗用車・・・毎日頂いている食べ物、飲料、住んでいる家、働いている建物、すべて安全が当たり前と思っていますが、それをまもるためには、医師でも看護師でもない、他のさまざまな方々が関与されていますね。改めて、そう思います。