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鳥取県日野町・・・高齢化する地方の保健医療体制

日本には「日野」という町が2つあります。ひとつは滋賀県の日野町、戦国時代のキリシタン大名だった蒲生氏郷(がもううじさと 1556〈弘治2〉‐1595〈文禄4〉)の居城があったところです。氏郷は、近江日野から伊勢松坂、陸奥黒川を転々としました。最後の黒川城は後の会津若松城、白虎隊や「八重の桜」のお城です。近江日野、伊勢松阪は関西での勤務時に何度も、会津若松は現職になってから2、3度訪問しています。

今日の主題は、財団の「Sasakawa看護フェロー」事業の一環として先週訪問した鳥取県日野町です。この日野は、以前から取り上げている生田長江(いくたちょうこう 1882〈明15〉4.21‐1936〈昭11〉1.11)の郷里です。が、長江は14歳で大阪、17歳で東京に向かい、19歳頃にハンセン病らしいと自覚した後、30代後半で顔面に症状がでたとされ、この病気は簡単に感染しない認識はありながらも、ただ一度、1923(大12)年の正月後、郷里から東京に戻ったと記録があるばかりで郷里に長期滞在はしていないようです。でも長江の郷里は鳥取県日野町です。

1868年、わが国は明治維新という、いわばトップダウンの革命で近代化を目指し、富国強兵にまい進しました。が、同時に西欧先進国からの文化の導入にもつとめました。鹿鳴館(ろくめいかん。1883年建造の西洋館、国賓や外国からの外交官接待の社交場)もありましたが、本当は西洋文化導入も大事だったでしょうが、その代表的知識人が長江だと思います。長江のすごいところは、本業の翻訳、評論、創作活動を通じ大正デモクラシー(ほぼ大正時代に広がった文化風潮。自由主義の運動や思想の広がり、普通選挙、言論の自由、男女平等、部落解放、スト権、海外派兵停止など各種社会活動が展開された)ともよばれる近代化に名が残る多数者に影響を及ぼしたというより、積極的に人材育成した方のように思います。夏目漱石、森鴎外、高山樗牛、与謝野鉄幹・晶子夫妻、佐藤春夫、有島武郎、森田草兵、それから大杉栄。さらに当時は当たり前だった「男尊女卑」的風潮の中で男性と対等のヒトとして女性を遇しています。平塚らいてう、山川菊枝、伊藤野枝、高群逸枝・・・近代史の中の女性開発のバックボーン的な方であったとも申せます。

今回の訪問は、笹川保健財団の「Sasakawa看護フェロー」事業の国内研修として、まもなくアメリカ・カナダの保健系大学院に留学する看護師たちと参りました。本事業は日本では経験しがたい多様性(diversity)を実感しつつ研究研修することが目的ですが、同時に世界最速の超高齢社会、つまり人類が初めて経験する事態にあるわが国の実態も見聞しておいて欲しいと実施しています。今回は、岡山県のハンセン病療養所、国立療養所長島愛生園、岡山市内の在宅/訪問看護事務所(「日本財団在宅看護センターネットワーク」メンバー「晴(ハル)」)での実習と日野町訪問でした。

11月から3月まで日野川に来る鴛鴦

日野町では、長江のドキュメンタリー的小説『火口に立つ。』の著者松本薫氏との面談ほか、幕末から明治中期までこの地に栄えた「たたら製鉄」、そしてこの地の日野川に11月下旬から3月まで渡来する「鴛鴦(おしどり)の集団」見学もありましたが、ここでは、人類初の超高齢過疎地の人々の健康の砦としての日野病院組合「日野病院」での解説を振り返ります。

院長以下、看護局長、訪問看護ステーション管理者、「宅配便」担当者、福祉担当者から、実践と問題、新しい取り組みの解説をうかがいました。一言では申せませんが、要は病院が「令和5年度自治体立優良病院総務大臣表彰」を受けられた記念冊子にある「出かける医療 近づく医療」、つまり訪問、在宅医療であり、私どもが進めている訪問在宅看護とも共通の姿勢と拝察いたしました。

日野病院は、鳥取県西部の中山間地域にある日野(ひの)  、江府(こうふ)伯耆(ほうき)  の3町で構成する日野病院組合立の施設です。日野町には、日本海側の鳥取県米子市にある伯耆大山(ほうきだいせん)駅と瀬戸内海に面する岡山県倉敷市の倉敷駅を結ぶ伯備線が通っていますが、町の根雨駅は無人です。過疎地・・・と簡単に申しますが、1970年6,757人だった人口は2024年11月1日には2,620名、高齢化率は51%です(日野町HPより)。
今年訪問したいくつかの地で○○街道と名のついた古来の名門街道を歩きました。その四つ角で東西南北、どの方向をみても人影がない・・・悲しい想いでしたが、日野を通る出雲街道もまた・・・・

日野病院、令和5年自治体立優良病院総務大臣表彰受賞!

3町の人口合計は1万を切り、年少人口の少ない人口ピラミッドに愕然とします(日野病院院長幸田雅彦先生のパワーポイント)。が、これは明日の日本全体でもありましょう。

鳥取県日野郡3町の人口経過・予測(日野病院幸田院長 講義資料から)

ただ、勇気づけられたのは、日野病院がそれを漫然と眺めていないことです。院長は多岐の過疎地医療施設対策を解説下さいました。まず「かかりつけ病院」機能はすべての(年齢の)住民対策であり、本病院で可能な一、二次医療はむろん、ある程度の高度医療もやる!この地の最後の医の砦をお護りくださる、まるで現在の大名としてのお覚悟でした。「殿!お願いします。」 そしてICT活用した福祉医療連携は「地域包括ケア」対策であり、第三の使命として最重要な「地域医療の教育病院」責務とともに鳥取大学地域医療総合教育研修センターとしての機能でもあります。フンフン・・・とうなずけるほど簡単はないでしょうが、実践を伴っているご解説に感動しました。

かつて私が従事した、いわゆる途上国での国際保健活動は国全体の医療レベルが低く人材も乏しかったものの、人はいっぱいいて、皆、やる気満々、人々の意識は上向きだったのに対し、現在の日本の過疎高齢化地にはそんな気迫がない。病院スタッフは申すまでもなく、地域の人々・・・半分以上が高齢者のお気持ちを燃やし続ける難しさは並や大抵のことではないと拝察いたしました。地域保健力維持に看護力を活用したい私どもにとって、幸田院長の示しされた過疎地病院モデルは大きなヒントでした。すなわち99ベッド中の25が地域包括ケア対応ベッド(=在宅復帰支援ベッド、入院後の治療で病態改善した後、在宅や介護施設での生活を想定した支援やリハビリテーションを主体とする)、在宅療養が困難あるいは不可能な高齢者ばかりの地域の病院のあり方でしょうか。

近藤仁子看護局長の講義も、単に病院看護の域にとどまらず、地域全体をもふくむ包括的ケア構想でした。さらにどこでも看護師不足が当たり前で、日野病院もそうだろうと思いますが、手間がかかる高齢者ばかリの患者が主体の病院でありながら、看護師たちがwebも含みますが、毎年、数回も全国で学会発表されています。しかも、皆の眼が院内に留まらず、院外すなわち地域に向いています。ですから、二十数年前からの「病院拠点の訪問看護」が生きている・・・日野、江府、伯耆の3町を超えて、鳥取最南端の日南町から岡山県側にまで及んでいるのです。

私が、思わず腰を浮かせたのは「日野病院看護の宅配便」です。かのジブリの「魔女の宅急便」になぞらえての命名とか・・・これをまねる地域が出てきそう、そして財団でも支援したい活動です。それは地域に出かけて健康相談・受診相談を行うことが主目的ではありますが、同時に病院の看護・医療を住民の目線で見て、考えて質向上をはかる、病院の看護力と地域活動が一体化しています。私がやりたい看護の地域化が日野で実践されている・・・この活動から、山間部の高齢者にとって必要最低限の買い物すらどれほどの負担か、特に独居者の孤独と不安への認識など、地域の看護師が為すべきことがここではすでに実践されている・・・不謹慎な言い方ですがワクワクしました。それだけではないのです!2022年から、現地の合同会社「ひまわり」と町が共同事業で開始された移動販売との連携もなされています。

今回、都会のようにタクシーやレンタカーがなかった日野へは、岡山から貸切りのマイクロバスで参りました。午後6時前、山間のためもあって、すでに真っ暗、点々とした薄明かりはありましたが、人々の気配は皆無に近い・・・前述生田長江関係者との夕食は地元の産物ばかりのおでんが主体、地産米のおいしいおにぎり。しかし、人手のせいで、19時半までに温泉に入らねばならない・・・

過疎高齢化した地域を実感させられましたが、拠点病院を中心に、医師、看護師、そして福祉の専門家が一体化して実践しておられる地域保健をしっかりと学んだ研修旅行、海外に目が向きがちなSasakawa看護フェローたちにも、自分の国の現状を実感できるビビッドな機会でした。

世界に目をむけ、どこで看護力を発揮、貢献するか、各々の考えは否定しません。が、自分が寄って立つ祖国の将来があやういとすれば、また、別の考えもあるやもしれません。祖国、郷里とは何か・・・