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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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「人類は兄弟」宮﨑かづゑと第九を聴く

2024年12月8日、宮﨑かづゑさんには恒例の年末行事となっている「第九」を一緒に聴きました。

今年96歳のかづゑさんは、10歳の時・・・つまり86年間を国立ハンセン病療養所長島愛生園でくらしてきました。それはちょうど私が生きてきた期間にほぼ等しい長さです。彼女は、その長さを、最近、あっという間のことだったとおっしゃいます。

2013年4月2日、卒業研究のテーマをハンセン病療養所(の看護)にしたいと申し出ていた前職の看護大学4年生たち3名と長島愛生園を訪問しました。その時、学生との対談に出てくださったのが宮﨑かづゑさんでした。前年12月にかづゑさんは最初の著書『長い道』を上梓されています。その初版の帯に「ネコとの生活」という言葉があったことで、私は中身をみないまま、ネコにつられてその本を購入していました。が、当時、2期務めた学長職任期の終わりを前に、入学試験、成績判定、卒業式と学務業務が詰まっていたことと12年間暮らした福岡から新たな職場の東京に転居するなどもあって、読まないままその本はネコ蔵書の一角に積読していました。

新職場の東京から西に向かった私は、九州から東に向かった学生と岡山駅でドッキングし愛生園に向かいました。のどかな春の午後でしたが、お目にかかったかづゑさんの諸々の障害に、覚悟してきたはずの学生が最初の言葉を出せなかったのです。さほどの外観ながら、かづゑさんは明るく、前向き、「なんでも聞きなさい!」と学生を叱咤してくださったのです。実際、看護学生が言葉を失う・・・そんな状態にもかかわらず・・・とこんな言い方をすることすら逆鱗に触れそうなほど、かづゑさんは当たり前の人でした。その後色々なことがあって、何度もお目にかかることになるのですが、とにかく、純なこころ、類まれな好奇心、あくなき向上心と工夫する力、ハンセン病を患ったこともその後遺症も並ではないにもかかわらず周りがついてゆけないほどのアクティブさ。前向きなどという言葉では言い尽くせぬ行動力と実行力です。五体満足である私がいつも叱咤激励されてきました。畏友熊谷博子監督が、8年をかけて「かづゑ的」というドキュメンタリーを撮ってくださいました。その撮影の初めに・・・入浴シーンを撮って欲しいのだが・・・と相談を受けたのですが、「エエッ!お風呂のシーン!」と絶句した私でした。

が、実際の撮影時、四肢に障害のあるかづゑさんの裸体は美しく、突然、どこかでみたことがあるような気がしました・・・ギリシャ、ローマ彫刻のトルソ(人間の頭部と四肢=手足を除く胴体部分)のように神々しいまでの存在感でした。涙が出ました・・・ご本人が何を想い、監督がそれをどう作品にされたのか・・・ぜひ、『かづゑ的』をご鑑賞下さい。

その最初の頃、11月の終わりだったのでしょうか、突如、「第九」を聴きたいとおっしゃったのです。それも『かづゑ的』に含まれています。新型コロナパンデミックで抜けた年もありましたが、以来、年末の恒例となった「岡山フィルハーモニック管弦楽団」の「かづゑの第九」鑑賞です。

眠ったかのように深く静かに歓喜の歌に溶け込んでいるかづゑさん。
その頭の中にどんなことがあるのか・・・傍で、私は圧倒されていました。偏見を恐れずに申しますと、明確に病気が判る前も病弱だったがゆえに、かづゑさんは小学校低学年も満足に通えていない、そして10歳で療養所に入所したので、学歴はないに等しいのです。本を読むことが好きだったというだけでは、現在の知性と見識、広い世界観、文学や音楽その他諸々に関する見識が身につくのでしょうか。私と一緒に訪問する大学生だけでなく大学院卒や留学経験ある友人たちとも遜色なくどころか、丁々発止の対話をされる・・・96歳!86年の隔離生活・・・80代の私が今も叱咤激励されていますが、「ハイ!努力します!」としか言えないのです。

そのかづゑさんから、久しぶりに「一緒に第九を聴きたい!」とのリクエスト、岡山に参りました。
今年の「岡山第九」は、秋山和慶指揮者活動60周年記念でした。

最初に、同じくベートーベンの劇付随音楽「エグモント」序曲 作品84、すでに熱気がホールに満ちていました。

岡山シンフォニーホール 開館から 30 年以上経つシンフォニーホールは、2025(令7 )年6月以降、改修入り、再開は2027(令7 )年6月の予定。(岡山シンフォニーホールHPより)

そして、第九は圧巻、あっという間に終わり、観客が立ち上がって喝采するスタンディングオベーションもあって、それはそれは聴きごたえがありました。2024年が終る・・・かづゑさんもそう感じたようです。岡山シンフォニーホールは改修で次の第九は3年後・・・それは私たちにはないかもしれません。

ちょっと緊張気味のかづゑさん 岡山シンフォニーホールで、髙次秀明専務理事と
素晴らしい指揮!マエストロ秋山和慶

いつものように、シンフォニーホールなどを管轄する公益財団法人「岡山文化芸術創造」専務理事髙次秀明様にもご挨拶し、車いすの席に案内していただきました。他にも車いすの方がおいででした。それもこれも既にありふれた当たり前の様子・・・大都会でない中規模都市ならではですが、車で小1時間程度で、立派なコンサートホールに行き着ける、ゆったりと乗り降りできるスペースもあって、毎年、車いすで第九をお楽しみの方々をお見掛けしますが、どこかヨーロッパの都市のような雰囲気です。

さて通称「第九」、正式には「交響曲第9番 ニ短調 作品125」は作曲家Beethovenがドイツ人ですから「Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125」、馴染みの合唱付き第九は、1824年・・・つまり正確に200年前にルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベンが、独唱と合唱をつけて作曲した最後の交響曲です。合唱の詩はドイツの詩人・小説家シラー(1759.11.10 -1805.5.9)の『歓喜に寄す』ということはぼんやり知っていましたし、その昔、医学生でドイツ語学習が必修だった頃には、最初の出だし“O Freunde, nicht diese Töne! Sondern laßt uns angenehmere anstimmen und freudenvollere・・・と暗記したこともありました。

が、今演奏会の冊子に、岡山フィル音楽主幹柴田勲さまの解説で「・・・・曲が素晴らしいのは言うまでもないが、「人類みな兄弟」という歌詞がイイ。」とあります。エエッ、あわてて歌詞全文をみました。

「おお友よ、このような調べではなく、もっと心地よく、もっと喜びに満ちたものを 歌おうではないか!
喜びよ、美しい神々の輝き、エリュシオンから来た娘よ、われらは炎に酔いしれ、天なる者よ、あなたの聖所に入る!
あなたの魔法は再び結びつける、生き方が厳しく違ったものも;すべての人々は兄弟となる、暮らしの剣が分かつものを;乞食も王侯の兄弟となる、あなたの柔らかな翼が宿るところで。

偉大な成功をつかんだ者、友の友となれた者、優しい伴侶を得た者は、その歓びの声を加えよ! たとえ地上で一つの魂を 自分のものと呼べる者でさえも。 それができなかった者は、涙を流し、この絆から退くのだ!
すべての生き物は喜びを飲む、自然の乳房から。 すべての善人も、すべての悪人も、その薔薇の道をたどる。
彼女はキスとぶどうを与えた、死において試された友を。  快楽は虫にも与えられ、ケルビムは神の前に立つ。
太陽が空を飛ぶように喜びにあふれ、天の壮麗な計画を巡るように、兄弟よ、自分の道を進め、英雄が勝利へ向かうように喜びに満ちて。
抱き合え、数百万の人々よ! このキスを全世界へ! 兄弟よ、星の彼方に 愛する父がいなければならない。

あなたたちは倒れるのか、数百万の人々よ?  創造主を感じるのか、世界よ? 彼を星の彼方に探せ! 星の上に彼が住んでいるはずだ。」(Chat-GPTを利用して訳しました!!)

3節目でした。シラーは世界級のマルチ学者(小説家、詩人、自然科学者、生物学者、地質学者、哲学者、法律家)で政治家の偉大なヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749.8.28 -1832.3.22)との交友も有名ですが、医学を学んでいます。そして、そのシラーが、私たち笹川保健財団の開祖良一翁が、1920年頃に唱えられた「世界は一家、人類はみな兄弟姉妹」を、さらにその100年前に詩に謳っていた!シラーを読み返したいと思っています。

良い初冬の心の洗濯でした。かづゑさん、お声掛け、ありがとう。

ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー
ベートーベン(1820)
ヨーゼフ・カール・シュティーラー画
長島愛生園の桜・・・紅葉も、ほとんど散っていました・・・
長島愛生園近郊の紅葉・・・少し遅かった!