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看護の現象学 村上靖彦『仙人と妄想デートする 看護の現象学と自由の哲学』から

村上靖彦氏でもなく、村上靖彦先生でもなく、この方は、歴史上の哲学者に敬称を付けずに、アリストテレスはとか、デカルトが、フッサールがと書くように、無敬称が相応しいように思いつつ、この新作を拝読しています。

前著『摘便とお花見』もそうでしたが、看護師へのインタビューの分析で、看護の実践を現象学化されている、という理解は間違っていないと思いますが、深く考えても考えなくとも、とても難しい本だと思います。

が、インタビューを受けられた看護師各位の話し言葉は「…せなあかんのやから(…シナイトダメダカラ)」とか、「そうせ(え)へんかったら‥(ソノヨウニシナカッタラ‥)」とか、「ほんなら…(ソウナラ)」といった、柔らかなオオサカ弁であるために、関西人の私には、声を出して、面白く読めました。いえ、声を出して読まないと、理解できなかったところがありましたし、拝読中と記した理由は、一回で、サラーッッッと読める本ではないからです。看護の現象化って、何のこと?でもあります。

がん患者をケアする看護師の語りの分析であった『摘便とお花見』も、私には難しい本でしたが、看護師の実践についての語り‥実際はインタビューを、哲学者が分析されたもの。ひとつ一つの言葉の意味ではなく、看護師の吐露する実践についての語りの裏にある看護という行為、ただし、それは看護師からの一方的な働き掛けではなく、看護の受け手との交流によって生まれる経過、現象、結果のもつ意味の分析でしょうか。

「仙人」が何を意味し、「妄想デート」とは何か?
「医療の世界には技術、法、倫理の制約がある」が、それら外的規範から離れて、個々の看護師は、患者や家族との間に、それぞれの状況に応じた「自発的実践の『プラットフォーム』が生まれる」と、帯にも書かれています。

今回は、精神科の看護、産科での死産児のケアの語りと、訪問看護の語りです。
「医療上、為すすべがなくなり」、「自宅という何もないところで」、「どうしたらよいか分かんない家族しかいない」「末期がんの患者」を「素手で看護し、そして看取る(…それが在宅看護。村上本では訪問看護)」過程におけるプラットフォームが分析されています。

ホント、やわな本ではありません。
古典的と申すと叱られるかもしれませんが、看護は五感!! 手当が基本との考えに凝り固まっているベテラン看護師サンは、「その通り。わが意を得たり!!」かもしれず、先進機器も行使せざるを得ない部門でバリバリ働いている新進気鋭のナースは、「そうだけど‥‥、実際には手を当てている間もない、機械があるから助かる命もあるし…」と、ちょっと反発もあるかもしれません。

個々の人を看る看護は、患者と看護者の対人関係でもあり、それは極めてミクロな世界でもありますが、両者の関係性において、共に解放され自由になるためにプラットフォーム形成がある…という解説は、自分の、大昔の臨床時代を振り返り、医師にも当てはまるべきだと思いました。つまり、西欧科学として進んできた近代医学、医療は統計的数字によりエビデンスが根拠になっていますが、結局、個々の人間の生と死を扱うという点では、ケア側の個々人の経験を分析することは十分以上に意味あるものであるべきです。

そして、現在の、あえて申せば、医療の危機時代にあって、医療施設の中ですら看護の力が十分見えていない(と私は思っています)し、「地域保健の中では、まったく看護師力が活用されていない」との想いから、現在、「日本財団在宅看護センター起業家育成事業」を展開している私には、看護師とその周囲にいる人々だけでなく、政策策定者や為政者が、少々高価(2,300円)ですが、この本をしっかり読んでほしいと願います。

『摘便とお花見: 看護の語りの現象学』 村上靖彦 医学書院 2013 2,160円
『仙人と妄想デートする: 看護の現象学と自由の哲学』 村上靖彦 人文書院 2016 2,300円

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