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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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わたしのパリ再訪②

自民党の総裁選挙の感想を入れましたので間延びしましたが、パリの続き。

9月20日から25日の5泊6日の滞在中、毎日、並木の色が変わっていました。それから2週間あまり、今頃はすっかり紅葉?黄葉?し、そして時折しぐれる雨も冷たく感じられていることでしょう。それにしても、自由・平等・博愛(Liberté, Égalité, Fraternité)を国是とし政治的には成熟している感のあるフランスですが、昨年来、3度目の内閣総辞職、今回辞職されたルコルニュ首相は9月9日に就任されたものの組閣が出来ず、やっと10月5日に陣容を発表されたものの14時間後、首相を受けられてたった26日後に、多分、何ら内閣としての成果のないまま総辞職されました。ところが、マクロン大統領は先日10月10日に、そのお辞めになったばかりのルコルニュ前首相に復帰を要請されました・・・フランス政界でのこの1週間・・・この1年の混乱などと他人事的に申せないことがわが国にも発生しています。確かに先の党首選で決まったのは自民党の総裁であって、国の首相ではありません。けど、もし・・・と云ってもわが国では首相は国民が直接選ぶ仕組みはありません。さりとて、各党の党首も首相を選ぶ前提では選ばれていない・・・もどかしいですね。

さてさてパリ!パリは20の行政区が真ん中の1区から時計回りに20区までぐるぐる回っています。私どもが滞在したノボテル パリ サントル トゥール エッフェル、通称ノボテルエッフェルはパリ15区、エッフェル塔からセーヌ川沿いに徒歩10分あまりでした。観光案内には70年代都市開発時に建設された高層ビル群からなるモダンで活気あるボーグルネル地区にあるとありましたが、人通りは多いものの活気に関してはちょっと違うなぁ・・・という感じ。周辺には確かにショッピングセンターやスーパーや、和食店ではありませんがお寿司やラーメンが頂けるお店や韓国、インド料理店もあり、便利ではありましたが。むしろ1年余り前のオリンピックの高揚がさめたからかもしれませんが、毎日のように通る新宿歌舞伎町の活気とは大いに異なった感じでした。

ホテルと云えば、その昔滞在した「ホテル・ド・クリヨン」、ネットサーチしますと何と現在は1泊32万円!何故、そんな超高級ホテルに泊まれたかは、現地エージェントの手違いでダブルブッキング、クリスマス時期で他に空きがなく、普通なら泊まれぬどころか、ロビーにも入れないであろう高級ホテルを経験できたのでした。

パリの行政区

この話は、また、いずれ。そしてその56年前には、セーヌ川沿いをテクテク、テクテク歩き回まわりましたが船には乗りませんでした。そもそも船の記憶がありません。

さて、同行した看護師起業家たちはオリンピックをきっかけに街の各所に整備された電動自転車の1か月パスをつかって結構遠くの名所旧跡を訪問したり、研修見学後ですが深更に至るオペラを鑑賞したり、めったに取れないフリータイムを効率的効果的にご活用でしたが、私は怠け者しました。一番近くのエッフェル塔の下まで行ったのは前回書きましたが、今回はその続き、エッフェル塔近くの船乗り場で5分後に出るという遊覧船があったので、セキュリティチェックもそこそこに飛びのりました。ちょうど1時間で約3,000円ほどでした。少し肌寒くはありましたが、頑張ってデッキで周辺景色を楽しみました。周りのお客の多く、ほとんどはベトナムの方々・・・かつての宗主国(これも死語ですか、ね)を観光するというのはどのような気持ちでしょうか?同時に、1990年代初頭、かつてインドシナとして共にフランス支配下にあったべトナムやカンボジアでの国際協力に従事した日々を思い出しました。

修復がほぼ終わったノートルダム寺院(船から)

パリ市の下水は最終的にセーヌ川に流れ込むそうですが、現在、十分近代的下水処理システムが整備されており住宅の下水が直接流れ込んでいることはないそうです。とは言え、やはり見た目がそれほどきれいでないところと、割合、透き通っているところがありました。オリンピック時に環境改善された証としてパリ市長らが遊泳されましたが、何と100年ぶりだったとか。そのセーヌ川の源流はフランス東部、ワインで有名なブルゴーニュ地方コート・ドール県にあります。実は、WHOで勤務した頃、スタッフたちと訪れたことがあります。小さな公園というには何もないところの奥に小さな祠があって、水がわいておりました。

行き交うセーヌ川クルーズの船

船を降りた後、超人気ではありませんが、やはり名所旧跡ではあるパンテオン(Panthéon)を目指しました。もともとはギリシャの神殿であるパンテオンがなぜパリにあるのかといえば、18世紀後半にルイ15世がパリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴをお祀りするために建造を命じた教会だったそうです。フランスブルボン王朝はルイ王朝とも呼ばれますが、ルイと名乗られる王様が多かったのですね。そのブルボン王朝は1589年から、ナポレオン1世時代やフランス革命を間に挟んで最終的には1830年まで241年続きました。日本の徳川時代は1603年から1868年の265年・・・何だか似ていますね。

パンテオン遠景
セーヌ川の流域と源(Wikipediaより)

ルイ王朝では1643~1715年の72年間も在位した「太陽王」ルイ14世時代が絶頂期、その14世が建てられたヴェルサイユ宮殿で、たった4歳で皇帝位を継いだのが孫のルイ15世です。この方はあまり有能ではなかったとか、結果として次の16世ではフランス革命が勃発し、王妃マリー・アントワネットともどもギロチンで一生を終えられた・・・国家弱体化時代の皇帝でありましたが、教会としてパンテオン建築の天井の壮大なフレスコ画やフーコーの振り子展示(地球の自転を示す実験装置)が有名だそうで、ちょっと見たいと思いましたがとても大勢の入場待ちの列に恐れをなし断念しました。パンテオンは現在はフランスの「偉人(この言葉も死語?)」の国立霊廟・・つまりお墓です。ちなみにお祀りされているのは哲学者ヴォルテール、思想家ジャン=ジャック・ルソー、小説家ヴィクトル・ユーゴー、エミール・ゾラ、アレクサンドル・デュマそしてノーベル賞物理学賞受賞者マリ・キュリーとピエール・キュリーご夫妻、政治家シモーヌ・ヴェイユ、歌手ジョセフィン・ベーカーら。

ですが、せっかくなので、パンテオンの傍の列のない建物に入りました。

パンテオン正面の天井

それは聖ジュヌヴィエーヴ図書館(元は、6世紀に設立された聖ジュヌヴィエーヴ修道院・・・日本の法隆寺は7世紀初頭の607年・・16世紀の政治的混乱で蔵書は散逸したが、17世紀に枢機卿(カトリック教会で教皇の次のランク)フランソワ・ド・ラ・ロシュフコーが図書を寄贈され図書館再建が始まり、さらにフランス革命をかいくぐり現聖ジュヌヴィエーヴ図書館として発展したそうです。この図書館最古の写本は9世紀にさかのぼるそうですが、これらは後に取得されたものとありました。原本は残っていないそうですが、日本では10世紀後半の生まれの紫式部の源氏物語がありますね・・・その昔、印刷術はドイツのグーテンベルグが1445年頃に始めたと教わりましたが、それは活版印刷でした。現在、判っている世界最古の印刷物は中国北宋時代(1102-1106)の膠泥活字による『観無量壽経』だそうです。

聖ジュヌヴィエーヴ図書館ホール
聖ジュヌヴィエーヴ図書館閲覧室

ラテン語、15世紀の分厚い書籍が展示されており、読めませんが感動しました。この歴史的図書館は現役で、観光させていただいている広間も、たくさんの読書机が並んでおり、黙々と勉強なさっていらっしゃる?方々もおいででしたし、国コーナーには日本関連書籍もならんでいました。

図書館前の壮大な建造物はサンテティエンヌ・デュ・モン教会(1492年から1626年までかかって完成)、無信心な観光客として侵入いたしました。荘厳重厚な雰囲気、神秘的で立派なステンドグラス、緻密な彫刻が施された内陣障壁(と呼ぶ仕切り?)に圧倒されました。後で調べるとパリに唯一残る内陣仕切りだそうです。聖職者と信者を隔てる壁・・・俗界と聖職者を隔てる、ちょっと差別・・・などと俗人は思いました。いずこの教会にも著名人が埋葬されていますが、ここでは偶然気が付いたのは数学者・哲学者パスカルのお墓でした。で、他にどなた・・・とキョロキョロしますとジャン・ラシーヌ(劇作家)とシャルル・ペロー(童話作家)がお眠りでした。観光案内書には1631年に建造されたパリ最古の(パイプ?)オルガンがあり現在も使用されているとありましたが、それは気が付きませんでした。

パリ再訪は、主体の診療看護師の活動見学、在宅医療・看護など、収穫は豊富でしたが、それらはいずれ報告書にて。

サンテティエンヌ・デュ・モン教会
サンテティエンヌ・デュ・モン教会のパスカルのお墓(左)と教会横のコルネイユの像・・・肩に鳩をのせて