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「ワトソン、クリックの二重らせん」DNAと卵巣がん

11月6日、DNAの二重らせん構造を発見し、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスとともに1962年のノーベル医学・生理学賞をうけたジェームズ・ワトソン博士が亡くなったとの報道がありました。正確な理解はおいて、今では常識のように口にする「DNA」とか「二重らせん」という言葉・・・タイムスリップして学生時代に戻りました。

DNAは、私たちの体を構成する「細胞」の中の「核」にあること、親から子へのさまざまな情報を伝える遺伝子情報を持っていること、いわゆる「二重らせん(ダブルヘリックス)」という、一見“ねじれたハシゴ”のような形であること、そのハシゴの段に当たる部分はたった4つのアミノ酸からなること、そしてこの4つのいわば「文字」の並び方が私たちの体のつくり方やご先祖から受け継ぎ、子孫におくる身体の機能的器質的資質を決めていることは中学レベルの知識になっています。残念ながら私たちは、それをコントロールする術はもちませんが、通常は遺伝子情報が正しく機能すれば細胞が正常に増え、身体の調子も順調に機能し、逆にDNAが壊れたり異常になったりするとがん!になったりするのです。

BBC NEWS JAPANより

この、いわば私たちの命の設計図をなしているのはA:アデニン(Adenine)、T:チミン(Thymine)、G:グアニン(Guanine)、C:シトシン(Cytosine)とたった4つのアミノ酸です。1962年、医学生の私たちはノーベル賞報道から、その最初の報告は“Nature”誌のたった1ページ強の論文(“Molecular Structure of Nucleic Acids: A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid.”)だったことも知りました。ウ~ム、個々のヒトの遺伝はたった4個のアミノ酸の組み合わせからなるのだ・・・ショックというか、何やらモヤモヤしました。よく理解できてはいませんでしたが、医学・生物学が新しい時代を迎えた・・・という感慨みたいなものはわかりました。

素晴らしい学者であったワトソン博士は、ちょっとびっくりするような姿勢やご発言もありました。

DNA(deoxyribonucleic acid デオキシリボ核酸)の二重らせん構造(Wikipediaより)

BBCの写真の記事の続きです。
「ワトソン氏は1953年、イギリスの科学者フランシス・クリック氏と共にDNAの二重らせん構造を特定し、分子生物学が躍進する基礎を築いた。1962年には、クリック氏およびモーリス・ウィルキンス氏と一緒に、DNAの二重らせん構造の発見によりノーベル賞を受賞。「私たちは生命の秘密を発見した」と、3人は当時話していた。DNAは1869年に発見されたが、DNAが細胞内の遺伝物質だと判明したのは1943年になってからだった。
ロンドン大学キングス・カレッジの研究者ロザリンド・フランクリン氏が1952年に、DNA繊維の高解像度写真をX線で撮影することに成功。英ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所のクリック氏とワトソン氏は、フランクリン氏の知らないうちにその画像を使用し、DNAの二重らせん構造を示す分子の模型を作成した。

顕微鏡をみるロザリンド・フランクリン(参考 Nature)https://www.nature.com/articles/d41586-023-01313-5?utm_source=chatgpt.com

ノーベル賞をクリック、ワトソン両氏と共同で受賞したウィルキンス氏は、DNA分子構造の特定について、フランクリン氏と一緒に研究していた。
ワトソン氏の評判と地位は、人種や性別に関する本人の発言によって大いに損なわれた。
ワトソン氏は2007年に英タイムズ紙に対し、自分は「アフリカの将来について本質的に悲観的」だと話し、「我々の社会政策は、彼らの知能が我々と同じだという事実に基づいているが、すべての実験結果はそうではないと語っているからだ」と発言した。この発言により、彼はニューヨークのコールド・スプリング・ハーバー研究所の学長職を失った。」(BBCより引用)

「若い」「女性」研究者の成果を無断で使った・・・そして人種偏見があった、のです。

後に知ったたった1ページ強の論文は“速報(Letter)”で、データはなく理論モデルの「構造」の提案だったからともされましたが、実際には「二重らせん」を証明するX線写真=実験データを持っておらず、しかもその成果を得ていたロザリンド・フランクリンに無断で借用していたのです。

閑話休題 ロザリンド・フランクリン(1920.7.25-1958.4.16)です。
後で気付いたのですが、“Nature”誌の同じ号にはロザリンド・フランクリンのX線データの詳細な論文も載っていたのです。が、「ワトソン・クリックのDNA二重らせん」とよばれるDNA構造に関する論文にはフランクリンが発見したという事実もその名前もありません。

「DNA二重らせん構造モデル」という生命の設計図はどう「複製」され、「遺伝情報」はどう「次世代に伝わる」のか、それを成し遂げた一人の(女性)科学者ロザリンド・フランクリンは忘れ去られたという前に無視されていました。 ワトソン死去のニュースをみてそのことを思い出しました。

フランクリンは、若くしてX線解析専門家として頭角を現していたそうです。パリからロンドンのキングス・カレッジに招かれ、そこでDNA構造解析を担当します。彼女の精緻な技術があったからこそ「写真51(Photo 51)」と命名されたX線解析像・・・明らかな螺旋構造を示すパターンが得られたのです。が、男性優位の職場での女性の存在は無視され、業績への評価は低く、成果が適正には評価されていなかった・・・そして卵巣がんでたった37歳という若さで彼女は1958年に亡くなりました。ノーベル賞は1962年です。

ケンブリッジ大学で研究していたワトソンとクリックにフランクリンの写真を見せたのはキングス・カレッジで彼女と一緒に研究していたモーリス・ウィルキンス、それも無断で重要な「写真51」とよばれる二重らせんをうかがわせる成果をみせた。それがワトソンとクリックの考えをさらに発展させたにしても無断・・・は許せない!が、その頃、イギリスの研究所でさえも研究データの取り扱いはあいまいだった、そして何よりもジェンダー差別があったのです。

ノーベル賞は生存者にしか授与されません。亡くなっていたフランクリンは対象外としても、その業績は評価されねばならいですが、フランクリンのことが知られるまでには時間がありました。ワトソンは、1968年に、『二重らせん』を出版し、その中で「フランクリンは気難しくヒステリックなダークレディ」と書いたのです。それをみたフランクリンの友人で作家のアン・セイヤーが、(多分怒って!)出版したのがフランクリンの伝記『ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光』(1975)です。この中でフランクリンこそがノーベル賞をもらうべき研究者でワトソンやウィルキンスらは研究成果を盗んだ!!と非難しました。後年、ワトソンは「彼女の重要性を軽視していた」とは述べましたが、この本のおかげで、私も、二重らせん構造発見の事実を知ったのです。

現在では、DNA構造解明はフランクリンの貢献によるとされていますし、2007年に『生物と無生物のあいだ』というベストセラーを書かれた 青山学院大学総合文化政策学部教授福岡伸一先生は、DNAの二重らせん構造は「ワトソン・クリック・フランクリン構造”とよぶべき」と述べておられます。

分野は違いますが、フランクリンと同時期、DDTの散布が環境破壊をもたらしていると訴えた『沈黙の春』のレイチェル・カーソン(1907.5.25‐1964.4.14)も、少し時代はさかのぼりますが、高名な文化人類学者マーガレット・ミッチェル(1901.12.16 ‐1978.11.15)もさまざまな分野における女性の先駆者は似たような、敢えて云えば、ジェンダーの壁に囲まれていた中で業績を上げられています。

ところで、フランクリンは、前述のように1958年に37歳で卵巣がんでなくなっています。実験のための大量X線を浴びたことが原因ともいわれていますが、周囲の男性研究者との葛藤というストレスがあった、と私は強く思っています。

そのフランクリンの命を奪った卵巣がん・・・最近では、卵巣がんの最大のDNAリスク因子は「BRCA1/BRCA2(BRCAはDNAの損傷を修復する機能を持つ遺伝子。その変異が乳がん、卵巣がん、前立腺がん、膵臓がんなどの発症リスクを高めとされる)遺伝子変異」とされています。卵巣がんの中でも特に高異型度漿液性がんの50%以上はDNA修復異常を持つことが判ってきました。数年前、アメリカの有名な女優アンジェリーナ・ジョリーが「予防的卵巣摘出」を公表して世界的注目を浴びましたが、多分、このような遺伝子が見つかったのでしょう。このことは、また、別の疑問・・・健康者の遺伝子異常をみつけがん発症を予防することの是非、ウ~ん!です。高価な医療、どこまでやるのかやれるか・・・難しいですがひとつの科学的進歩であることは事実です。

2025年のノーベル生理学・医学賞は大阪大学の坂口志文特任教授、米システム生物学研究所メアリー・ブランコウ氏、米ソノマ・バイオセラピューティクスのフレッド・ラムズデル氏、3人は免疫が細胞を区別し外敵の病原体だけを攻撃する仕組みを解明した・・・それが「制御性T細胞」で、免疫反応の暴走を抑える「警備役」として、がん細胞増殖や自己免疫疾患に関係すると。フランクリンの時代からさらに発展していますね。今年は化学賞に京都大学高等研究院北川進特別教授も受賞されています。嬉しいですね。