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死を迎える場所と死の質

Quality(クオリティ 品質)と云う単語は、Quantity(クァンティティ 量)と対比しますが、この言葉が日本で広がったのは、1950年代、アメリカの統計学者William Edwards Deming博士による企業製品の品質管理が始まりかと思います。デミング博士は、第二次世界大戦後、日本を統治したGHQ(General Head-Quarter 連合国軍最高司令官総司令部)にも属されていたそうですが、日本企業に統計学的手法を用いた設計・企画、製造、(製品の)品質検査そして流通という、今ではマネイジメント界の常識とのなっているTQC(Total Quality Control 統合的品質管理)やTQM(Total Quality Management 総合的品質管理)の概念を植え付け、その実践指導されました。現在、毎年、TQMの進歩に功績ある団体や個人に与えられるデミング賞の所以です。

保健医療分野でqualityと申せば、その昔、私も身をおいた検査関係の精度管理(quality control)が早いものでしょうが、ここしばらくはQOL(Quality of Life 生活の品質、実際には、生活・生存状態の質的レベル)があります。これに加えて、近頃はQOD(Quality of Death死の質、実際には死の過程の在り方でしょうか)が加わりました。死に方・・・ではありません。どのように死の過程を経るのか、と云った方が適切でしょうか。超高齢社会に突入し、生まれるより亡くなる方が多いわが国だけでなく、世界各地でも、一生の最後(End of Life)を対象とした新たな取り組みや研究が始まっていることから、EOLとQODは軌を一にするように見えます。人は死すべきものです。私もあなたも、皆、必ず、生を終えます。EOLはその生の最後に重点を置いた見方であり、QODは、死の在り方、死への過程に重点を置いた見方と申せましょう。

手前味噌の話。笹川記念保健財団は、誰であれ、どんな原因で生を終えるのであれ、どこであれ、人々が望むなら、住み慣れた家、居住地で心安らかに人生をまっとうできるよう、治療と生活力支援の両面に専門性を発揮できる看護師の力=看護力を活用すべきと、昨年から、親財団の協力を得て「日本財団在宅看護センター」を運営する看護職のための研修を始めています。

そのような中で、面白い(日本語ではゲラゲラ笑うも、興味深いも同じ言葉ですが、ここでは後者の意、つまりinteresting)な論文を読みました。

ひとつは、「治癒見込みのないがん患者の在院死は家庭死よりましか?また、どんな要因が影響するか。集団ベースの研究。(Is dying in hospital better than home in incurable cancer and what factors influence this? A population-based study. DOI 10.1186/s12916-015-0466-5)」です。調査では、がん患者は自宅、病院を問わず、それまで長く過ごした所で最後を迎えること、ほとんどの例(91%)で、何処で亡くなるかは、本人と家族の考え、在宅緩和ケアの有無、在宅看護の可否が、最後の看取りの場を決めているとしています。特に、家族が回復不能と思い、本人の意思が強いと在宅での死につながるとしています。一方、病院死は、在院日数の長さにも関係するが、家庭医の往診が少ないこと、家族が多くかかわれないことが理由だそうです。そして、在宅、病院を問わず、痛みは同じレベルだが、家庭での看取りは、本人のこころがより平穏であることと家族の悲嘆がより和らげられる、としています。

二つ目は、「死をむかえるに、家庭は、常に最良のかつ望まれる場所か?(Is home always the best and preferred place of death? DOI: 10.1136/bmj.h4855)」です。これは、発表者の研究でなく、ANALYSIS分析の項にあるよう、多数の報告や資料を基にした著者の見解です。本文は2頁弱ですが、47もの論文などが引用されていますが、今や死を迎える場所、看取りの場所、終末期(End of Life、EOL)はどこでも問題になっていることが判ります。面白い(interestingな)論評ですが、そもそも、何処で死を迎えるかより、人は痛みや苦しみなく、予期せずパッと死にたい―日本風にピン・ピン・コロリを望んでいるとか、多数者が家庭で死にたいと云いながら、実際には病院で亡くなる人が多いとか、質問のしかたで答えは変わるとか、死の場所は大して問題でなく、疼痛管理、症状対策が大事とか、在宅死を良い死(good death)と云ったら、他は悪い死(bad death)なのか、などなど。要は、まだ、固まった見解がないことが判ります。さらに、EOL(終末期)のケアの質指標に看取り場所ばかりを取り上げると、本当に問題とすべき、本人や家族が思う死の過程における問題が曖昧になるとし、結局、症状管理、特に痛みのコントロールと家族つまり愛する人が一緒にいることが、(何処で死ぬにしても)重要だとしています。それにしても、実際には多くの人が亡くなる施設つまり病院には、多々、改善の余地があるともしています。

まことにinterestingな論評ですが、さまざまな国でのピン・ピン・コロリ願望を調べてみたいなどと、自分の死に場所云々をさておいて、余計な妄想が膨らみました。

ついでですが、Economist エコノミストという週刊誌は、数年来Quality of Death Index(死の品質指数)を発表しています。英国は、1960年代、彼のシシリー・ソンダース医師によるホスピス運動が始まった国ですが、その所為もあって、常にこの指数のトップにあります。2015年版には、祝うべきことかどうか判らないが、と書きながらも、End of Lifeが充実していることをちょっと誇らしげに記載しています。次回、その内容をお知らせしましょう。

quality of death index