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戦争と看護師

先週末、荒木映子氏の「ナイチンゲールの末裔たち」(岩波書店)を読みました。ご承知のように、フローレンス・ナイチンゲールは、近代看護の祖といわれていますが、その名声が確立したのは、クリミヤ戦争(注1)でした。

身体的に弱った人、幼子を世話することは、恐らく、有史以来、何らかの形で行われてきたでしょう。そのいわば本能的な行為を高度に学問的に発展させた近代的看護は、約200年前に生まれたナイチンゲールを待たねばならなかったのです。

医療は、壊れた健康を扱うがために、ある意味わかりやすいところがあります。途上国で勤務していても、目に見える外傷を適切に処置することで得られる感謝の念、時には敬意は、判らない原因で苦しんでいる人、妊産婦のケアや育児への関与とは大いに異なります。医療が目に見えやすいに対して、看護は、見え難い・・・判り難い、と思いました。

だからとは申しませんが、街の浮浪者であったり、時にはsex workerとも混同されるような立場の女性が為してきた「仕事」を、修練を経た人材が担うべき専門職に変容させるには、フローレンス・ナイチンゲールが必要だったのです。しかし、昨今、ナイチンゲールが、下賤な仕事を立派な専門職に改革した!!との見方が少し変わりつつあるようです。がそれはそれとして、この本は、戦争史としても、女性史としても興味深いものでした。

ただ、たんなる看護の歴史本ではありません。

どちらかと申せば、戦争-それも、第一次世界大戦という100年前の、あえて申せば古い形の「紛争」を、当時、恐らく斬新だっただろう看護師という女性主体の仕事を通じてみる・・・歴史書でしょうか。1980年代末から90年代、世界で頻発した地域武力紛争という新しい形の「戦争」の場で働いたものとしては、女性の戦争関与としても、大変、面白い-interesting-な本でした。

古い紛争への女性の参画は、恐らく、唯一看護師だったかと思います。一方、私が関与した新しい戦争では、戦いの担い手としての女性の参画もありました。たとえば、私が受けた地雷除去訓練の指導者は、ある国の女性の陸軍大尉でした。

ナイチンゲール時代には、それぞれの国がお国のために戦い、銃後のまもりだけでなく、相当数の女性が看護師などになって戦場に入っています。

ただ、しかるべき訓練を受けた専門職看護師はそれほど多くなく、どちらかといえば、奉仕的愛国心的関与があれば許されたのでしょう。しかし、本書によれば、奉仕的精神で参加した、上流階級女性の看護師は、社会的立場は高くなかったものの、訓練を受けた職業的看護師には劣っていたようです。当たり前ですが、看護は、気持ちだけでできる仕事ではありません。

本書の中には、私の前職であった日本赤十字社の、かつて救護看護師についても詳しく書かれています。先年のNHK大河ドラマの主人公新島八重も、日清戦争と日露戦争で篤志看護して、国内でですが、傷病兵看護に当たっています。そして、その当時、第一次世界戦争の戦場であったヨーロッパに渡った日本の看護師の活動も記載されています。

こうした戦争という「不本位な」機会を利して看護が発展してきたことは事実ですが、それは、医学においても、輸血学や戦傷外科、PTSDの発展につながったことを思うと致し方ない事実であったともいえます。

私どもは、戦場ではなくて、地域の医療施設、またご自宅での療養における看護職の活動範囲を強化拡張したいと考えています。戦争が起こらないように、人々のこころに平和のとりでを築くこと(注2)も含めて。

注1:クリミヤ戦争(1853-56):中世の終わり、英仏とオスマン帝国(現トルコ)とイタリア北部の小国サルディニア公国が南下政策をとるロシアと戦い、当時の全ヨーロッパを巻き込んだ大規模戦争。結局、どの国も明らかな勝利を得ないまま、ロシアは近代化の遅れから、また外交力を示せなかったオーストリアは国際的地位を失い、英仏とも疲弊した。唯一、勝ち組に乗ったサルディニア公国は、力を得て後のイタリア統一戦争を先導した。
自分の希望と国の要請から戦場の病院に乗り込んだものの、ナイチンゲールが軍の認知を得るまでには時間を要した。しかし、後に、毎夜、ランプをもって傷病兵を見回る姿が「ランプの貴婦人」として一声を風靡し、その名声が確立した。

注2:ユネスコ憲章の言葉:戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。