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虐殺の歴史をもつ街―ナールデンで想う

笹川保健財団では、すでに120を超える起業者集団となった「日本財団在宅看護センターネットワーク」の仲間と、2023年から海外研修を続けています。これまでは北欧を中心とした訪欧が多く、昨年秋のスイス・ジュネーブのWHO本部とパリに続き、2026年秋はオランダを訪れました。

オランダといえば、訪問看護で世界的に知られる「ビュートゾルフ(Buurtzorg)」があります。また、世界に先駆けて安楽死を法制化した国の一つでもあり、近年では日本語の「いきがい」という考え方も取り入れられた「ポジティブ・ヘルス(Positive Health)」が注目されています。それらについての研修報告書は目下準備中ですが、今日は、長年、記憶の底にあった街、ナールデン(Naarden)の話です。

毎度の古い話になりますが、30年近く昔、難民支援に関わり始めた頃のことです。避難の原因には災害もありますが、紛争、迫害、虐殺――それまで私にはあまり馴染みのなかった言葉が、書物や書類の中に次々と現れ、戸惑ったことを覚えています。

現代の国際的な難民保護制度は、第二次世界大戦と、その前後にヨーロッパで生じた大量の難民・避難民への対応を大きな契機として形づくられました。そして20世紀の大量殺戮を考えるとき、ナチス・ドイツによる「ホロコースト」を避けて通ることはできません。

では、もっと昔はどうだったのか―。
そんなことを調べていたときに知ったのが、現在のオランダの首都アムステルダムからさほど遠くない、小さな美しい町ナールデンで起きた虐殺でした。それから二、三十年。今年、財団の研修旅行の週末を利用して、ようやくその地を訪ねました。

ナールデン

地図を拡大してみると、ナールデンが見事な星形をした要塞都市であることが分かります。日本でいえば函館の五稜郭を思わせます。五稜郭は戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争で、榎本武揚ら旧幕府軍が立て籠もった西洋式城郭ですが、ナールデンは一つの城ではなく、町全体が城壁、稜堡、堀によって要塞化されています。そして、その姿が今もよく残っています。ところが実際に歩いてみると、緑と水に囲まれ、およそ戦争、イクサなどという殺伐とした言葉が浮かばない、静かな街です。少々退屈に思えるほど穏やかで、ここに住民を巻き込んだ凄惨な虐殺の歴史があったとは、とても信じられない佇まいでした。

ことは16世紀に遡ります。
当時のネーデルラント(Nederlanden、「低地の国々」の意。現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを中心とする地域)は、スペイン王フェリペ2世の支配下にありました。フェリペ2世(1527~1598)はハプスブルク家系のスペイン国王で、16世紀後半、「太陽の沈まない帝国」と称されたスペインの最盛期を統治した人物です。(余計な一言ですが、若い頃の肖像画はなかなかのイケメンです。)

一方、ネーデルラントには宗教改革の波が及び、プロテスタントが広がっていました。熱烈なカトリックであったフェリペ2世にとって、これは許し難い動きでした。しかし、この対立を単純に「カトリック対プロテスタント」の宗教戦争と考えるのも正確ではないようです。宗教上の対立に加え、スペインによる中央集権的統治、重税、地域の自治や特権をめぐる反発などが複雑に絡み合っていました。

1572年12月、スペイン軍がナールデンに迫ります。
町は当初、門を閉ざして抵抗しました。しかしスペイン側から、降伏すれば住民の生命と財産は守るという趣旨の約束がなされ、街は兵を受け入れました。

ところが、その約束は破られました。住民たちが集められ、殺害され、街は略奪され、火を放たれました。犠牲者数には諸説ありますが、これが現在「ナールデンの虐殺(Massacre of Naarden)」として記憶されている惨事です。その歴史を伝える小さな資料館が、今も街並みの中にひっそりとありました。

興味深いのは、当時のナールデンの住民の多くがカトリックだったとされることです。つまり、ここで起きたことを「カトリック対プロテスタント」という単純な構図だけで説明することはできません。

資料館の入口

宗教、政治、支配と抵抗、そして恐怖。それらが絡み合えば疑心暗鬼が生まれ、昨日までの隣人が突然「敵」とされる。人が略奪者となり、あるいは殺戮される側となる。戦争を安全な事務所の机の前で論じるのとは、まったく違う現実です。

スペイン側には、ナールデンへの苛烈な処罰を見れば、他の町々も恐れて服従するだろうという思惑があったのでしょう。しかし結果は逆でした。虐殺はネーデルラント側の反発と抵抗を強め、その後続く長い独立への戦いの一場面となりました。

それから454年。
現在のオランダは宗教的寛容、人権、対話重視の国として知られています。もちろん、現在のオランダにも移民をめぐる摩擦や社会の分断があり、決して理想郷ではありません。それでも、宗教も出自も異なる人々が暮らし、かつて宗教と支配をめぐって凄惨な流血を経験したこの国が、長い時間をかけて「異なる者たちが共存する仕組み」を築いてきたことには、素直に感銘を受けます。ナールデンの街の中央あたり、そう離れていないところに、カトリックとプロテスタント、それぞれの歴史につながる教会もあり、週末でもあったせいでしょう三々五々、人々がお堂に吸い込まれていました。

ナールデンに残る大砲

その近くの古いホテルの前で、野良猫?お散歩の家猫?を相手に朝のコーヒーを飲みながら、思いました。「平和とは、戦争を知らないことではない。戦争の記憶を抱きながら、それでも同じ過ちを繰り返さない社会をつくり、維持し続けることではないか―」と。それにしても、科学も医学も、これほどまでに進歩した現在です。世界の各地では今なお、宗教、民族、領土、国家、安全保障―さまざまな名のもとに戦争が続き、「戦え」と命じる為政者がいて、そのために多数の人々が殺され、傷つき、家を追われています。「なんてこと!人類は何のために学んできたのか?」静かすぎるナールデンの街で、私はそんなことを思いました。

1572年の虐殺は、すでに遠い歴史です。しかし戦争そのものは、決して「記憶のかなた」の出来事ではありません。いま、この瞬間にも続いている。人類は、戦争を始める方法については、嫌というほど学んできました。が、では、戦争をやめる方法を、私たちはいつになったら本気で学ぶのでしょうか。

ナールデンの猫
ナールデンの街並み
ホテル前のカフェ
資料館の入り口上の虐殺の様子を描いたレリーフ