JP / EN

Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

猫イメージ

感染症との戦い―麻疹が、再び人の命を奪った・・・

11月3日、文化の日。秋の叙勲も文化勲章も、そして運動会も紅葉も各地の行楽地の美しい景色や子どもたちのはじける笑顔も、そんな楽しげなニュースを、おめでたい、あるいはゆったりした気持ちで眺められるのも、国が平和であるからこそだと思います。

中間選挙を控え、政治一色のアメリカから気になるニュースです。ニューヨーク州で、麻疹(はしか)による子どもの死亡が30年以上ぶりに報じられました。麻疹?今さら、アメリカで麻疹死?

麻疹は、かつて世界中で子どもたちの命を奪った感染症でした。私が小児科医だった大昔、麻疹は決して軽い病気ではありませんでした。もっとも、大概の子どもは、ぐずぐずと調子の悪い数日間の後、高熱、発疹、咳や結膜炎などを経て回復しましたが、ときに肺炎や脳炎を合併し命を失うこともありました。さらに治癒後、何年も経ってから重篤な神経疾患を発症することもあります。しかし、ワクチンが開発され、普及したことで、麻疹は予防可能な感染症となりました。

40年近く前、難民キャンプでの保健活動に関与した際、何はさておいても、すべての子どもに麻疹、三種混合(ジフテリア・百日咳・破傷風)、BCG(結核)、そしてポリオのワクチン、合わせて6種類の感染症予防の接種を実施するのに大わらわでした。

アメリカは2000年に麻疹「排除」を達成しましたが、近年、再び患者が増加しています。2025年には2,289人、2026年は10月末までに既に4,800人超の患者が確認されています。なぜ??これほど医療が発達した国で予防可能な感染症が再び流行しているのでしょうか。

日本でも、麻疹が長い間、特に子どもたちにとって危険な感染症でしたが、私が医師になった頃、1966年に麻疹ワクチンが導入され、1978年には定期予防接種とされました。それでも接種率は十分ではなく、2000年前後には年間20~30人程度の麻疹死亡が報告されていました。

アメリカの麻疹患者数(Centers for Disease Control and Preventionデータ参照)

また、比較的最近の2007~08年、若者を中心に大きな流行があり、いくつかの大学が休校になりましたが、麻疹は子どもだけの病気ではないことを、改めて認識しました。その後、麻疹ワクチン2回接種の徹底、感染者発生時の迅速な対応など、地道な公衆衛生活動の結果、2015年、日本はWHOから麻疹の「排除」達成を認定されました。

感染症対策の究極の目標の一つは「根絶」です。その昔、天然痘は人類が根絶に成功した唯一のヒトの感染症となりましたが、日本の麻疹は「排除」です。国内の持続的感染はなくなったものの、海外からの持ち込みがあると免疫を持たない人々の間で再流行する危険性が残っています。実際、わが国では2019年に744人もの患者が報告されました。幸か不幸か、新型コロナウイルス感染症パンデミックで海外との往来が制限された時期には麻疹も減りました。しかし、人の往来が再び活発になるにつれて、感染が増えています。

医学の歴史の大方の部分は、感染症との戦いでもありました。前述の天然痘は1980年にWHOが根絶を宣言し、やはり子どもにとって深刻な感染症であるポリオも、世界の大部分で姿を消しました。麻疹もワクチンで制御できるようになりました。が、天然痘以外の感染症との戦いは終わっていません。麻疹ウイルスは極めて感染力が強く、集団の中に免疫を持たない人が増えれば、再び流行しますので、地域全体で95%以上という高いワクチン接種率を維持し続けることが重要です。

ところが近年、いくつかの国でワクチン接種率の低下が問題となっています。む?なぜ、でしょう。
そもそも、ワクチンが十分に手に入らないこともあります。40年ほど昔、難民キャンプで予防接種を実施するためには、1年少々の準備期間が必要でした。子ども数を把握し、それに合わせてワクチンを注文する。入手できる日時を確認して接種日を決め、注射器やその他の資材も注文する。ワクチンには冷蔵保存と凍らせての保存が必要なもの、冷凍保存も必要、冷蔵庫や冷凍庫、運搬時のクールボックスの準備・・・今思い返しても気が遠くなるほどの準備量でした。

当時、十分な品質のワクチンを大量生産できる国は限られていましたが、今、調べてみると、WHOの2025年版世界ワクチン市場報告では、2024年の市場について、世界137の製造企業からのワクチン分析をしています。製造国は、米、英、仏、独、日、中、ベルギー、インド、韓国、インドネシア、ブラジル、キューバなどですが、実際には、わずか10の企業が世界のワクチン供給量の約78%を占めているというのです。

Breaking news: Child dies from measles in New York state’s first fatal case in 30 years(The New York Timesより)

ウ~ン、ですね。世界全体をみると、いつでも医療や予防接種を受けられるわけではない(貧困、紛争、医療制度の不備、医療人材の不足、そして人々の知識不足・・・)国や地域がある一方、先進国では、なんとワクチン不信や予防接種に関する誤解もある。ご承知のことですが、ワクチンには副反応の可能性があり、安全性監視は必須です。万が一の事故には、きちんとした保障制度もあります。しかし、そのことと誤解や科学的根拠のない情報で予防接種を受けないのは別問題だと思います。

その昔、感染症は恐ろしい病気でした。対症療法しかなかった時代から、抗菌薬によって多くの細菌感染症が治療できるようになり、ウイルス感染症の一部にもワクチンや抗ウイルス薬による予防・治療が可能になりました。栄養や生活環境も改善し、医学的知識が広がり、公衆衛生活動が進められ、多くの感染症がコントロールできるようになりました。ワクチンが普及して発症が減る。患者が減れば、その病気の恐ろしさも忘れられ、予防の必要性も実感されなくなる・・・これら公衆衛生活動は成功すると重要性が忘れられるとすれば、何とも皮肉なことです。

高齢化と人口減少、経済低迷がある日本では、地域の医療資源も限られます。感染症対策は、医師が患者を診療するだけで完結しません。日頃から地域住民の健康状態の把握し、必要な情報の伝達、予防接種の継続が感染予防と拡大防止につながります。こうした地道な公衆衛生活動に従事する保健師や地域看護師の役割も、ますます重要です。

かつて私が働いた開発途上国の紛争地では、感染症はしばしば、貧困、栄養不良、不衛生な避難生活、そして十分に機能しない医療保健制度の結果でもありました。しかし今回、世界最大の経済力と高度な医療技術を持つアメリカで、子どもが麻疹によって命を失いました。予防接種に対して、さまざまな意見があることは事実です。しかし、科学的根拠の乏しい情報に大人が影響され、その結果として子どもを守れなかったとしたら、ちょっとではなく、大いに遺憾と言うべきでしょう。大国アメリカで、貧困国と別の理由で子どもの健康が損なわれている。誰か一人の責任を問うというより、社会全体で考えるべき問題ではないかと思います。

ついでに日本の事実です。国立健康危機管理研究機構(かつて勤務した国立国際医療センター)の2026年リスク評価では、3月19日までに139例の麻疹が報告され、その57%が10~20代、つまり若い世代です。活発に動き回ることでウイルスをまき散らす危険性は大きいのかな・・・

感染症が撲滅されつつあることはよろしいのですが、こんな問題もあります。実際、世界的に麻疹の診療経験を持つ医療者が少なくなり、診断に時間を要することが指摘されているのです。これは、私ども笹川保健財団が関わるハンセン病についても共通問題です。世界的にハンセン病の診療経験を持つ医療者が減り、早期診断が難しくなっている地域があります。感染症対策の成功がその病気を診断できる医療者育成には負の効果・・・医学の進歩と公衆衛生の成功が、新たな課題を生んでいるのですね。感染症との戦いは病原体を撲滅する、制圧するだけでは終わらない・・・得られた知識と経験を次の世代に伝え、継続して社会全体で予防の仕組みを守り続けることが必須なのです。世代を超え、繰り返し学習し、知識と経験を伝達することの重要性を改めて実感しています。

日本の麻疹報告数の推移 2019~2026年(第1~42週) 参照:国立健康危機管理研究機構

参考資料