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エチオピア 偉大なリーダーの逝去

全エチオピアハンセン病回復者協会ENAPALの創設者であり、父であった偉大なリーダーアレガ・カッサ・ゼレレウさんが亡くなりました。エチオピアは1990年代にハンセン病対策が一般保健サービスに統合され、それに伴い、ハンセン病サービスも縮小されていきました。これに不満を持った回復者約30人が、保健省と労働・社会省に抗議に行きました。
抗議を受けた保健省と労働・社会省は、「サービスや政策、ハンセン病問題の根底にある偏見と差別問題にどのように取り組むかを考える際に、個々でばらばらと訴えるのではなく、同じ問題を抱える回復者が集まって、組織化をして、団体として訴え、行動をするように」と提言しました。
これを受けて1994年に生まれたのが、アディスアベバ ハンセン病回復者協会です。アレガさんはその中心人物だったのですが、これが立ち上がってから、「これをアディスアベバだけにとどめてはいけない。同じ問題を持つ仲間は、エチオピアの全土にいるではないか」と、同じ病気を病んだ人々が暮らす定着村を訪問し、多くの人に語りかけ、一緒に立ち上がるように呼びかけました。その結果が、1996年に立ち上がった全エチオピア回復者協会(設立当時の名称はENAELP、現在はENAPAL)です。
偏見、隔離、差別のない社会をめざしたENAPALが、まず組織として機能するためにはカリスマ的なリーダーシップが必要でした。世界のいくつかの国で、回復者が立ち上がるためのカリスマ的リーダーシップを発揮した人がいましたが、アレガさんはその一人でした。アレガさんの言葉を聞き、多くの人が奮い立ち、ENAPALが立ち上がりました。1992年に抗議行動に出かけた人たち30人。現在では7地域支部66定着村支部にまで発展し、会費を支払って会員になっている人の数は、15000人を超えています。まず人々を立ち上がらせる、というところで類まれなる力を発揮したアレガさんですがその後、ENAPALの前面からは身を引き、今週後半から日本に来る、ビルケ・ニガトゥさんという女性が第2代会長になりました。11月2日に亡くなったアレガさんは、また、力強い言葉をいくつも残している人でもあります。その言葉は、多くの人の心に届き、とどまっています。1997年にニューヨークの国連本部で開かれた写真展「尊厳の確立展」での言葉を紹介いたします。

「私は隔離の人生を送った。死んでいるよりはましだけど、生きているとはとても呼べない人生だ。今日、隔離のカーテンが開かれた。多くの人から励まされ、自信をもらった。生まれ変わったのだ。祖国に帰ろう。そして、仲間に伝えよう。我々は自由になれるんだ、と」

素晴らしいリーダーであったアレガさんのご冥福を祈ります。

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