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2013年8月25日世界のハンセン病セミナー第3回「カービルに生きて」

2013年8月25日(日)世界のハンセン病セミナー第3回「カービルに生きて」を国立ハンセン病資料館(東村山市)にて開催しました。ご来場くださった皆さま、当日は激しい雨、そして日曜日にも関わらず、どうもありがとうございました。今回は40名近い方にお越しいただきました。

スピーカーのホセ・ラミレスさんは21歳の時にハンセン病と診断され、当時アメリカ本土に1つしかなかったルイジアナ州カービルのハンセン病療養所に入所しました。

米国ルイジアナ州に1894年開設されたカービル・ハンセン病療養所。「身体の障がいを引き起こす不治の病」として長年恐れられてきたハンセン病の歴史が、大きく変わったのはこの療養所でのことでした。

カービル療養所では、1940年代初頭から「プロミン」という薬剤が試験的に使用され、その劇的な効果が1943年に発表されました。のちに「カービルの奇跡」と呼ばれた治療薬の出現は、ハンセン病をわずらう人たちに、大きな希望を与えました。

ホセ・ラミレスJr氏は1948年に生まれ。1969年にハンセン病の診断が確定すると即カービル療養所に収容され、8年後に退所しました。カービル療養所入所中から、園内に残る差別的な取り扱いの排除に取り組み、現在でも差別を象徴する用語「レパー leper」の使用に抗議を続けています。2011年アニメ映画(海賊船長)の中の誤解と偏見に満ちた場面に真っ先に抗議声明を出し、抗議のうねりは映像制作会社に変更を了承させるに至りました。2013年7月、ローマ法王の「出世主義はハンセン病だ」発言の誤りをいち早く公に指摘しました。

家族の強い絆に恵まれた数少ない当事者ホセ氏。

ハンセン病に対する偏見、差別が根強く残っていた時代でしたが、ホセさんの父親は息子が療養所に入ったことを隠そうとはせず、地元の新聞広告に投書して息子へ励ましの手紙を書いてくれるよう呼びかけたそうです。

7歳の時に出会ったガールフレンドのマグダレナもホセさんのことを変わらず支え続け、7年半にわたったカービル療養所での治療の間も二人の絆が壊れることはありませんでした。2人は結婚して1男1女の親となったあとも、子どもたちとともにハンセン病の差別とたたかう声を上げ続けています。

両親とマグダレナの支えを受け、療養所内、そして退所後もハンセン病に対する社会の偏見、差別の払しょくに取り組んできたホセ氏。今回のセミナーでは後半、マグダレナ夫人もマイクをとり、ホセさんとの交際・結婚を家族に猛反対され苦しんだことや、2人のお子さんがハンセン病をどう受け止めているのか等について語ってくださいました。

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