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節分

今日は節分です。「鬼は外、福は内」です。

今年は、先に書きました『鬼滅の刃』で、鬼が身近になっていますので、鬼も内かもしれませんが・・・

節分とは、季「節」を分けることで、それぞれ立春、立夏、立秋、立冬の前日ですが、何故か、春だけが脚光を浴びてきています。恐らく、寒い冬から明るい春へ移行するのは歓迎ですが、暑くなる、少し寒くなる、とても寒くなる夏、秋、冬をわざわざ愛でたくなかったのでしょうか。

では、掛け声とともに、マメをまいたり、年の数だけマメを食べたりするのはなぜでしょうか?

まず、各季節がめぐる毎に邪気が立ち上る・・・と考えられていたので、それを追っ払うための行事として行われた・・・なぜ、邪気が鬼なのかは不明ですが、西欧式に悪魔払いですね。

そもそもの歴史は古く、平安時代にさかのぼります。時の権力者は藤原家、西暦905(延喜5年)、醍醐天皇の命により、太政大臣藤原時平(871ー909)が、当時の法律(律令)の施行細目として編纂したのが延喜式、それに記載されているそうです。脱線しますが、この方の一生もなかなかに興味深いもので、超エリート家系の出、多分ハンサムな方だったのでしょうが、超優秀かつプレイボーイであったそうな。若くして亡くなったのは、才を争っていた菅原道真との権力争いの中、道真は天皇を惑わせているなどと・・・讒言して追っ払った、その祟りで早く亡くなったと信じられています。

豆まきも古く、15世紀に編纂された『壒嚢鈔<アイノウショウ 事物の起源や漢字の語源などの解説書>』によると、宇多天皇の時代(867ー931)に、京の深泥池<ミドロガイケ>の穴に住む鬼で都を荒らすものがいたが、鞍馬山の僧正が、読経し、鬼穴を封じ、三石三升の炒豆<イリマメ>で鬼の目をつぶしたとの由来が書かれているとか、豆まきの歴史も1200年以上です。

これらの行事が、いつ、一般住民の中に降りてきたのかは、江戸時代・・・です。

どの国にも、それぞれの歴史と関係した、一風変わった習慣がありますが、わが国のそれぞれは、中国から輸入され、しかるべき年月の後、わが国風になって、根付いていました。が、最近は、気ぜわしくなったせいか、多くの風習が廃れていますね。年の数だけお豆を頂くと、健康になる・・・後期高齢者の私は、ちょっと食べきれないかもしれませんが、咀嚼運動になるだけでなく、植物性たんぱくを取り入れることにもなります。今夜、鬼にはあげずに、独り占め・・・といった考えは禁物ですね。

もひとつ、ご存じでしょうか?恵方巻です。今年、良いとされる方角を向いて、太巻きお寿司を頰張ることです。大阪の海苔商人の発想との説がありますが、パリッとした海苔にまかれたお寿司、美味しいですね。

皆さまも、ぜひ、豆まき、そして恵方巻をお楽しみのうえ、明日からの春を愛で、コロナの鎮まりを祈りましょう。