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完全版『チェルノブイリの祈り』ー最近読んだ本

1年365日、ほとんどの日は、何かの記念日のようです。そしてあまりうれしくない出来事、災害や大事件が発生した日には、それが起こった地名を初めて知ったことを思い出します。

1985年8月12日、JAL123便が墜落した群馬県の御巣鷹山、その名前が使われることもなくなりましたが、1990年代のオウム真理教サティアンとともに連日報道された山梨県の上九一色村、1993年7月11日北海道南西沖地震では、地震直後に遡上高31.7mの津波に襲われた奥尻島藻内地区、95年1月17日の阪神淡路大震災の震源地であった淡路島北淡町の野島断層、2011年3月11日の東北大震災とその後の原発事故後には、沢山の馴染みなかった地名を覚えました。

どれもその地で生まれ育った誰かにとっては、忘れがたい馴染みある懐かしい地名なのですが、ある時、突然、手の届かないものになってしまったり、何か特別の・・・時には、差別偏見の対象にされてしまったり、そんな感覚が生まれるのかもしれません。

今日4月26日は、35年前に当時の旧ソビエト連邦ウクライナ地区チェルノブイリで、史上最大規模の放射線災害が起こった日です。35年前のある日のことを正確に記憶しているなど、当たり前の日々の中ではありえませんが、たまたま、何かとあわせてご記憶の方もおいででしょうか?ただ、チェルノブイリ原発事故は、意図的に、数日間も公表されなかった・・・むしろ隠蔽されたことで、事故当時に原発に勤務していた人々、事故対応に当たった消防士や兵士、そして広範囲の住民への犠牲が大きくなったことは明らかです。

旧ソビエト連邦は1991年12月25日に消滅しましたが、事故はその後生まれた、いわゆる独立国家共同体(Commonwealth of Independent States, CIS)に持ち越されました。特にチェルノブイリが位置するウクライナと拡散した放射線の影響を強く受けたベラルーシ、ロシアが事故そのものも引き継いでいます、否応なく・・・です。

そのチェルノブイリ35周年を前に、2015年ノーベル文学賞を受けたスヴェトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り 未来の物語』の完全版が出版されました。著者の名前は、かつて関与したアフガンに関して、『アフガン帰還兵の証言(1995)』で記憶はありましたが、旧版は読んでいませんでした。その1.7倍の量になったという完全版は、息をのむばかりの当事者の言葉が続きます。

事故当日1986年4月26日、35年前の今日、現地時間午前1時23分に、当時のソビエト社会主義共和国のウクライナ地区チェルノブイリの原子力発電所4号炉の点検中に起きた事故・・・です。その時、原発で勤務していた人々、事故後、急遽の出動を命じられた消防士や兵士・・・若者たちのパートナーの生々しい声は、この事故から35年もたっていることを忘れさせます。

最初の語り手のリュドミラ・イグナチェンコは、結婚したばかりの消防士の夫が、事故後、出勤したまま夜が明けても帰ってこないまま、夫は入院していることを知らされます。人体から発せられる放射線故に、面会もままならない状況の中、知人の医師をみつけて夫の許に・・・莫大な放射線を浴び、全身浮腫で、目がほとんどない・・・夫の仲間の運転手が、事故後1日目の最初の死者となります。妊娠中の妻を想う夫、その夫は、モスクワに移送されます。

妻は、夫を追ってモスクワの放射線専門第6病院にたどり着きます。放射線を発散し続ける夫に接してはいけないと判っているけど、新婚間もない妻は何も恐れない。皮膚がおかされ、全身糜爛状態の、血がにじむ夫を抱きかかえシーツのシワを取る・・・妊娠中の妻・・・35年後に読んでいて息が詰まる。そして、夫の親友の埋葬に付き合っている間に、夫は妻の名を呼びつつ亡くなる。

遺体は礼装用軍服に包まれた後、ポリ袋に入れられて木の棺に納められ・・・さらに亜鉛の棺に納められ、特殊な墓に埋葬される。家族には返されない・・・2ヵ月後に生まれた娘も4時間後に亡くなり、その娘の遺体も母の手には戻らない。後に、彼女は、「正常な」男の子を産む。

最後に、著者に向かって彼女は言う。「あなたにお話ししたのは愛について・・・」だと。

この語り手が、まるで身体が溶けてゆくような夫を看病したモスクワ第6病院とは、ゴルバチョフ大統領からの支援要請を受けられた後、笹川会長が大統領夫人と見舞われているところです。

事故から約5年後の1991年、旧ソビエト連邦時代のモスクワへ経済ミッションを率いられた笹川陽平現日本財団会長(当時理事長)が、当時のゴルバチョフ大統領から直々の要請を受けられたことで私ども笹川保健財団の10年にわたる現地支援が始まりました。さらに、現地活動の後、多発した甲状腺がんの組織を収集し、医学的経過を研究するためのチェルノブイリ甲状腺組織バンク(Chernobyl Tissue BankーCTB)が立ち上がり、私どもはそちらにも財政的支援と技術的協力を行ってきました。

2011年3月11日、東北大震災に続いて福島県では、東京電力福島第一原子力発電所爆発事故が発生しました。前述のチェルノブイリ現地そしてCTBに関与して下さった内外の専門家のほとんどが、福島にもはせ参じて、検討に関与下さいました。【目下、経過をまとめ中、近日中に発表予定】

表題の完全版『チェルノブイリの祈り』には、少し小さな字で「未来の物語」とあります。著者、そして著者に語った人々、翻訳者、解説者のそれぞれがどんな未来を見ていらっしゃるのか・・・

新型コロナの第4波が押し寄せる2021年のゴールデンウィークの向こうに、私にはどんな未来があるのだろうか?

ここには詳しくは取り上げませんでしたが、いとうせいこうの『福島モノローグ』も興味深い語りの書です。