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5月11日ーハンセン病違憲判決20周年

20年前の出来事をどれほどよく記憶しているか・・・はそのことが、自分とどう関係していたかによると思います。実際、20年前の5月11日に、大きく「勝訴」と書かれた大きな縦長の紙を持って数人が駈け出される映像は、後に繰り返し見たことで、私の記憶にしみこんでいます。ただ、20年前、たまたま新設された日本赤十字九州国際看護大学に奉職したことで九州に移転し、各県赤十字病院や支部へのご挨拶もあって、その裁判が熊本県であったことと共になぜ熊本県だったのかとの背景は、いささか承知してはいました。

昨夕、NHKの「ニュースウォッチ9」で、久しぶりにその映像をみました。

そして、国立ハンセン病療養所星塚敬愛園においでの上野正子氏のお話が続きました。現在94歳の正子さんは、石垣島から13歳で入所されました。つまり、私世代の一生に等しい期間の80年余を療養所にご在住なのです。

医師としてある程度の知識はあったものの、笹川保健財団に採用されねば、かくも深くハンセン病・・・正確にはハンセン病問題を知る、少しは関与させて頂いていますが、こんな機会はなかったと断言できます。そして、知らなかったこと、そのことに、自分自身の視野の狭さというか、無関心の非とでもいったやりどころのない虚無感と、時に苛立ち、あまりにも長い経過に対しての己のあまりにも短い関与期間に無力感しかないこともあります。

上野正子さんは、小説そして映画「あん」のモデルとされていますが、それは、正子さんがお得意の故郷沖縄の揚げ菓子、紅芋と黒砂糖の味が美味しい「サーターアンダギー」からでしょうか。2013年秋、星塚敬愛園岩川洋一郎自治会長(当時)らとともに東京にこられた正子さんと初めてお目にかかって以来、いつも、正子特製サーターアンダギーを頂いています、そして敬愛園80周年式典などで、私が敬愛園を訪問させて頂いた折にも、お土産に頂戴しました。いつも穏やかで、優し気な正子さんが、なぜ、13名の原告団に入られたか・・・それはハンセン病制圧活動サイトLeprosy.jp の上野正子編をご覧下さい。

昨夜のNHKだけでなく、昨日の夕刊各紙にも、「ハンセン病 違憲判決20年」関連ニュースが出ています。しかし・・・です。20年の年月を超えても、また、一昨年2019年6月には、同じく熊本で、元患者ご家族の(差別偏見による)被害も認定されましたが、元患者の皆さまは、今も状況は同じとは云わないまでも、問題がほとんど解決はしていないと仰せです。

現在のコロナ禍の中でも第一線で貢献している看護師やその家族への差別・・・根は同じなのでしょう。

私ども、笹川保健財団では、ハンセン病という感染症に対して、医学的な対応から公衆衛生学的な対応、そして世界各地で起こったことの歴史的検証を踏まえ、21世紀以降は、差別偏見対策にも取り組んでまいりました。これらの多くは、世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧大使また日本のハンセン病人権啓発大使として世界中を飛び回ってこられた笹川陽平日本財団会長畢生の事業と連帯している、あるいは補完的とも申せますが、例えば、WHOへの50年近い支援を含め世界に類のない壮大な人権活動と、私自身は確信しています。

TVの映像や新聞写真をみますと、その後色々なご薫陶を頂いた元患者の皆様の、少しお若い姿が見受けられました。そう申せば、現在、全国にある13の国立ハンセン病療養所にご在住の方々の平均年齢は87歳を超えられている由、残された時間の短さを憂いておられることも私どもは深刻に受け止めています。

これまでの20年は振り返えられますが、これからの20年を思いますと、私自身を含めて、皆が揃って2041年を迎えられることはない・・・「ハンセン病 違憲判決20年」のニュース、懐かしい上野正子氏のお話をうかがいながら、改めて気を引き締めました。