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中村哲先生を想い、アフガニスタンの安定を願う

先週、アフガニスタン(以下アフガン)のガニ大統領が、アメリカのバイデン大統領と面談されました。

メディアには、『米大統領 「米軍完全撤退のあともアフガニスタン支援続ける」』とありました。

ガニ大統領は、2018年2月に国家勲章を授け、翌年10月には名誉国民に叙した畏友中村哲が、その1カ月後に同国ジャララバードで狙撃され非業の死を遂げた際、とても真摯なお悔やみを述べられ、また、その遺体が家族と共に日本に向かう日、空港での式典にも列席され、イスラムの格式に則ったお姿で、兵士に交じり棺を担いで下さいました。その悲痛なお顔をTVで眺めていたら、涙が止まらなくなりました。

それから1年半・・・モハンマド・アシュラフ・ガニ・アフマトザイ第11代アフガニスタン・イスラム共和国大統領は、瀟洒なスーツ姿で、バイデン大統領と面談されていました。ガニ大統領は、国連事務総長選に立たれたり、世界銀行勤務のご経験もある国際志向の政治家ですが、カブール大学元学長、ジョンズ・ホプキンス大学でも教鞭を取られた経済学者、コロンビア大学人類学博士でもあり、どちらかといえば学者肌の方と私は思っています。2011年に始まるアフガン復興計画では、カルザイ政権の財務大臣を務められ、2014年、同国初といわれる民主的選挙で大統領に就任され、目下、5年任期の2期目です。

とは申せ、この国の大統領は、遺憾なことですが、国の全土におよぶ権限は未だかつて持てていない・・・かつて、カブール市だけが支配範囲と云われたほど、全土に武力集団が割拠しています。現在も、米軍撤収をにらみ、政府との和平交渉は決裂と、反政府武装勢力タリバンが攻勢をかけています。だからといって、何時までも外国の軍隊が駐留することは如何か・・・自分の国がそうだったらというと、状況は違いますが、私は沖縄を思います。(このことは、また別に。)

1月に就任されたバイデン米大統領は、アフガンからの軍隊撤収を宣言され、その計画に従って、撤退が粛々と進み、一昨日には、過去20年間、総計15万軍隊を派遣していたドイツが完全に撤退と報じられ、また、オースティン米国防長官も「撤退は、若干、前倒し・・・」、つまり予定より早い撤退が可能で、事実、既に輸送機500機分の物資がアフガン外に搬出されたとされています。

駐留外国軍が撤退する、「良かったですね!」と云えないのがアフガンなのです。

そもそも、なぜ、遠く離れたアフガンにアメリカやドイツが軍を派遣するのか・・・国際政治上の難しい解説はさておいて、何だかすっきり理解はしにくいのですが、国際社会の大勢は、外国軍の駐留がなければ、アフガンの安定は難しい・・・という厳しい現状を受け入れ協力してきた・・・お邪魔もありましたが、それが現実です。

そもそも、軍隊は政治のひとつの形としての戦争(=他の国を攻撃する)の実行手段です。あってはならないことですが、現在のミャンマーのように、国と国民をまもるはずの国軍が、まもるべき国民に銃を向けたり、時には、国内の権力争いの際に、国軍がひとつの武装グループ化してしまったりする例も散見されますが、アフガンはそれとも異なる状態のように思います。

1979年、政府内の混乱に乗じ、わずか数日でアフガン全土に侵攻した共産主義国ソビエトの軍に対抗するため立ち上がったイスラム闘士をムジャヒディーンと呼びます。30年前に従事したパキスタン ペシャワールでのアフガン難民支援時にはムジャヒディーン7派があり、それぞれがいくつかの難民キャンプにかかわっていました。対共産主義では一致団結しますが、およそ別々、バラバラ、まるでお互いに干渉しない外国人的にもみえましたが、僅かに交流した人々は、どの派であれ、なぜ、このヒトが武器を取るのかと思うような温厚な方や難しいイスラム学を講じられる学者もおられて、言葉も民族性もほぼ単色だったわが国に比し、何だか、良く判らないまま興味深い人々でありました。

1989年、旧ソビエト軍が撤退した後、早速に始まった権力闘争が新たなアフガン紛争を生じ、10年にわたる混乱をもたらしました。その中で生まれたのがアルカイダであり、タリバンであり、後のイスラム国だと思います。そして生じたアメリカ同時多発テロ、その首謀者アルカイダのオサマ・ビン・ラディンをかくまったとして、アフガン侵攻が始まりました。

中東のアメリカ軍基地などからアフガン空爆を続ける一方、国連が新政権樹立のためのボン会議を開催、複数のアフガン関係者が集まり、すったもんだの挙句、2011年12月にはハミド・カルザイ議長の暫定行政機構と国の治安維持のための国際支援部隊(ISAF)が創設されました。公に外国軍が、首都の治安維持に当たる機構が出来ました・・・アフガンの人々には押し付けられた治安体制でしたが、少しは安心が回復したかと思いました。が、これは長い外国軍駐留のはじまりでした。2004年には、新憲法が発布され、選挙でカルザイ大統領が決まりました。ガニ大統領がその後を継がれています。

この間、かつて民族衣装で自らの武器を持ち武器に囲まれていたムジャヒディーンリーダーのお一人で、新生アフガン政府要人となられた方にお目にかかりました。アルマーニのスーツ姿が良くお似合いで、顔立ちも柔和になられ、ムムム、まるで映画・・・と思いましたが、その背後の武器による支配合戦は解消していなかったようです。

この頃の哲先生は、医師から治水工事専従者、数年ぶりにお目にかかっても、診療の話ではなく、ブルドーザーの故障の話、事故の話・・・そして芽吹き始めた柳や麦の話でした。髪もお髭も白くなっていましたが、眼はキラキラ、嬉しそうでした。

「国際社会」という鵺<ヌエ>のような不確実なものが、理想的とは云わないまでも、理念的に正しいとする民主主義の仕組みを良かれと思って投入しても、また、押し付けても、住民の理解はなかなか追いつきません。現に、ガニ大統領のアフガン政府は、国際社会の支援も得て、タリバンとの新たな国際和平会議開催を目指していますが、タリバンは何かを押し付けるのは拒否するとしています。

国際化、民主化とは何でしょうか?

どうすれば、アフガンの武闘派が武器を置き、大多数の国民が納得できる状態が作られるのか、バイデン大統領が仰せの、「米軍完全撤退のあともアフガニスタン支援続ける」とは、具体的にどんなことか・・・アフガンと云うと、中村哲先生のお顔、お声が出てきますが、「いつまで、何しとると!」と叱られそうな気がします。

ミャンマーと併せ、わが国にも親近感ある人々の多い、かの国の安定を切望する次第です。