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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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サヨナラ運転免許証

ウン十年お世話になった運転免許証を返納しました。

郷里宝塚は、バーチャル世界を身近に実感できる宝塚歌劇団もあって、古くから良く知られた地名ではありましたが、私が子どもの頃は、大した特徴のない農村でした。が、その宝塚歌劇を創設した小林一三翁が引かれた阪急電車が大阪梅田、神戸三宮<サンノミヤ>、京都河原町<カワラマチ>を縦横につないでいましたし、夏の甲子園も神戸線沿線でしたから、割合全国区意識があったような気もします。人々は、あずき色の阪急電車にのれば、それぞれ小一時間内外で、京(都)・(大)阪・神(戸)に行けることから、ちょっとした好みで、何となくオシャレな三宮派、ちょっと偏屈とは云わないまでも屁理屈好きな京都派、そして大阪派は、実質的で生活感にあふれたキタの梅田派と、遊び心がムキムキのミナミの難波<ナンバ>派といった流派?があったように、偏見的に思っておりました。ちなみに、私は神戸派、姉は大学が大阪だったので、多分、大阪派、弟は大学が京都で京都派でしょう・・・とこれも偏見。

で、1950年代末頃には、「戦後」のどさくさもひとまず落ち着き、それなりに生活が安定しつつあったようでしたが、まだ閉鎖的な農村であったこともあって、女性だけでなくオトコもそれほど大学進学が当たり前ではなかったように記憶しています。が、共に大正元年生まれの両親は子どもたちに進学を義務付け、そして大学に入る頃には車の免許を取らせてくれました。生きていたら今年110才の母は、先般、亡くなられた田辺聖子さんと同じ樟蔭女子大卒・・・一族の中では飛んでる娘だったようでした。田舎に嫁に来て、かの「おしん」に負けない苦労をしたと、後年、ちょっと自慢気に話していました。女性がきちんと教育を受けることの重要性は、私自身、後年従事した国際保健で実感しています。

さて、運転免許は、大阪で医師をした時代には必須でした。何故って、今では、ブラック職業でありえないかもしれませんが、当時は夜中に呼び出されることもけっこうありました。その後、転々とした国々では、年余の定住地アメリカ、中国、パキスタン、スイスでも、国際運転免許証をとって運転しました。初心者頃に自分で車庫入れ時に側面を傷つけることはありましたが、一応、無事故です。が、無違反ではありません。

20代後半、大阪の国立病院で小児科医をしていた頃、正確な経過は忘れましたが、仕事が長引いた後、医師と看護師5名で、ミナミに遅い夕食に出かけました。車で15分もすれば繁華街、駐車場を探したところ、数台が駐まっている真ん中にちょうど一台分が空いていました。

車を駐めて、食事を済ませた後・・・

ワイパーに「駐車違反」の警告書!!エエッと周囲をみると、皆、同じ紙が・・・

近くの警察署に参りました。

「沢山、駐まっていたので、駐車場と思いました。」と正直に申しました。免許証を提出した後、職業を尋ねられました。それは鼻眼鏡の初老の警察官・・・お巡りさんでしたが、まことに大阪的なお説教を頂きました。私どもは、一瞬ポカンとした後、ギャハハ・・・と大笑し、そして恭しく一斉に平伏低頭しました。

「そッか、今日は、病院で忙しかったのか!!ご苦労じゃったのう・・・若いからハラ減った。急いで車を駐めた・・・んだな。」とまず、鼻眼鏡の上から、ニヤリとされました。その後です。

「じゃがな、センセイさん!あんたたちがしても良いチュウシャ(注射)は、子どもの腕に針刺すチュウシャやなぁ・・・街のド真ん中で、どこでもチュウシャ(駐車)してはイカンのやで・・・」と。

以来、無違反です。

現在と同じように、私は40代後半からの十数年を東京で勤務していますが、車は運転していません。ここでは、私に限りですが、車を持たなくとも、公共交通機関もタクシーもとても便利です。

が、日本の地方での暮らしは車がなくては成り立たなくなっています。

かつて古い民家をお借りした大分県に近い福岡の山間地もそうでしたが、高齢化率は35%を超えているところでは、当然のように人口は著しく過疎化し、小学校や診療所はなくなりつつあり、公共交通機関もとても不便になっています。JRが走っている地もありますが、駅は近いと云えません。列車の本数も激減し、ますます、過疎化します。若者が高速で都市に流れた後、乗客が少なくなった民間路線バスも経営困難になるのは当たり前でしょう。辛うじて地域の小型巡回バスが一日2回・・・といったところは、まだ恵まれています。

70代はまだまだ若い、地域を担う重要世代です。果物や野菜を栽培し、道の駅に産物を持ち込む女性たちの大半は、初老以降です。クルマがなくては生活が成り立たないのです。

年を取ったから免許証を返納する・・・が、決して美談ではない地域が沢山あり、今後、ますます増えると思います。地域を護る・・・地域の足をまもれなければ、コロナも豪雨も対処できないのです。国全体が高齢化している中で、都市だけでなく地域を護らねば、全体が沈みます。免許証に感謝しつつ、私の想いは、ミドリ濃い各地の過疎地で頑張っている人々に向かいました。