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アフガニスタン

米軍、アフガン撤収完了 米最長の20年戦争が終結

との記事が目に付きます。キーワード的にみますと、「米軍」も「米=アメリカ」も「軍」も「アフガン」も「アフガン撤収」も「(最長の)20年戦争」も、ピりピりする単語です。

先に、7月26日のオリンピックのところでも書きましたが、アフガニスタン(以下アフガン)は、過去40年以上、紛争続きでした。「最長の20年戦争」とは、アメリカにとってであって、現在のアフガンの大人にとっては、人生はずぅっと紛争状態、ここ数年がやっと静かだったに過ぎないでしょう。でも、この国は、なかなかしたたかに存続しています。

歴史的に、最初にアフガンに絡んだ国はイギリス、19世紀中庸です。

そもそも、天然ガスはかなりとはいえ、最近では、希少金属埋蔵とも云われますが、大して自然資源もない内陸の貧国アフガンになぜ、外国が関心をもつのか・・・文化人類学的あるいは仏教研究、あるいは地理学者に関心が高いとしても、大国が関心をもつのは何故?と最初は思いました。

当時は大英帝国の東インド会社が支配するインドに隣接する地域、南下政策をとるロシアとの競合が背後にありました。第一次(1839ー42)、第二次(1878ー80)、第三次(1919)と3度もアフガンと銃をまみえますが、結局思うようにならず、現在のパキスタンとアフガニスタンの国境を引いて、引き下がった・・・ともみえます。特に第一次では、当時のインド総督府の代表らが殺害され、カブールからジャララバードに撤退する間、2万人近い英軍が全滅するという屈辱的な事態もありました。第二次では、アフガン国王と英領インド帝国外相モーティマ・デュランドの間で合意された国境線が、現在のアフガンとパキスタンの国境ですが、これによってパシュトゥーンという民族の居住地が二分されることになりました。

話は飛びますが、1970年代末、アフガンに侵攻したのは旧ソビエト軍、10年を経て、撤退しましたが、その間に、本国が消滅してしまいました。アフガンの人々にも、侵略した旧ソビエトの人々にも受け入れられてはいなかった・・・

そして2001年のアメリカ同時多発テロ後のアメリカ、同時多発テロの首謀者オサマ・ビン・ラディンをかくまったタリバン攻撃との当初の軍事的目的から、アフガンの民主化をも目指した復興開発でした。そして、過去20年間、多くの外国から、多様な支援が行われました。

後出しじゃんけん的に批判することは簡単です。

が、アフガンに関しては、それも一筋縄ではいかない複雑さがあります。

何故、外国軍の駐留が20年も続いたのでしょうか?

その間行われたアフガン軍や警察組織の強化支援は何をもたらしたのでしょうか?

アフガン政府と国軍は、タリバンとどう対峙し、どんな折衝をしたのでしょうか?

女性や子どもたちへの教育支援の成果はどうなったのでしょうか?

保健医療協力は・・・

撤退直前の爆破で命をおとされた米軍兵士のご家族はやりきれない想いでしょう。

が、20年間、爆破が一件もなかった年はないでしょうが、それでも、「昔」よりはずっと、ずっと良くなっていたはずのアフガン。なのに、その祖国から逃げ出したいと思う多数の人々!!

では、米軍の駐留が続けばよかったのでしょうか?

どんな撤退が可能だったのでしょうか?

なぜ、アフガンはこうなったのでしょうか?

30年前、撤退は決まっていましたが、まだ、旧ソビエト軍がアフガンに残留していた頃、勤務していたUNICEF事務所を訪れた、当時の対共産主義ゲリラの青年を思い出します。かれとは、各所で3回ほど顔をあわせていました。ある日、私の事務所に疲れた顔をしてやってきました。

「闘いに飽きた。日本に連れて行って欲しい。カラシニコフ銃を撃って経費を作る・・・」と。あの青年は、どうなっているだろうか・・・と、思う時があります。武器のない世界は夢・・・でしょうか。

(中村)哲が生きていたら・・・と、思う方々も多いでしょう。私もそう・・・

米軍が去ったアフガニスタン。外国軍が居た方が良いのではないのですが、ただただ悲しい・・・です。