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鳥居

先週、コロナの鎮静化を待って所用のため、長崎ほかに出かけました。まだ、すっかり元通りの人出ではありませんが、それでもコロナピーク時に比するとかなり人数は増えています。けど、皆さましっかりマスク姿です。

用務ではありましたが、通りがかりに教えて頂いた一本足の鳥居のお話を。

長崎と云えば、何となくキリシタン・・・のイメージですが、お寺も神社もあります。

さて、鳥居は神社「など」の入り口に立っています。などをつけたのは、数年前に、郷里の清荒神清澄寺を紹介したブログでも書きましたが、清荒神だけでなく、大阪の聖徳太子ゆかりの四天王寺や奈良生駒山、通称聖天さんこと宝山寺にも鳥居があります。関西だけ・・・でしょうか?いずれにせよ、これらは神仏混交(正確には、神仏習合)の寺院とされています。また、別格ですが、天皇のお墓でもある御陵の前にもありますね。まぁ、私どもが住む俗世界と神の世界との境界を示すもの・・・と理解しましょう。では、なぜ、神社の入り口の門を鳥居というのでしょうか。

ウィキペディアには、鳥居の起源は国内起源説も外国起源説もあって、考古学的にはっきりしたことは分かっていないが、単に木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであるとしてあります。何かのおまじない??文献的には、古くは「於不葦御門(ウエフカズノミカド)」(皇太神宮<=伊勢神宮内宮。日本ノ全神社ノ総元締的最高位神社>儀式帳)と称されて、奈良時代(710-784)から神社建築に現れており、その頃、8世紀に、早くも現在の形が確立したそうです。

私が、賛成!!したいのは、天照大御神<アマテラスオオミカミ>が、荒ぶる弟神 素戔嗚命<スサノオノミコト>の乱暴狼藉にお怒りになり、天岩戸<アメノイワド>に引き籠られ世の中が真っ暗になった・・・そのアマテラスを岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥<トコヨノナガナキドリ>」という鶏に因み、神前においた「鶏<トリ>の止まり木」が起源とする説です。

その他諸説あるようですが、パキスタンのガンダーラの有名な遺跡タキシラには西方ギリシャの影響が見られますか、その中に、鳥居に見えるかたちがあったことを記憶しています・・・西洋文化にもあったのかも。

さて、長崎の一本足鳥居は、日本26聖人殉教地への道浦上街道沿いの山王神社(1868<明元>年創立)の4基あった鳥居の2番目の一方だそうです。

1945(昭20)年8月9日11時2分。3日前の広島に続き、米軍はB-29爆撃機から、長崎市上空でファットマン(太った人)と名付けた原子爆弾を投下しました。爆心地は長崎市北部松山町171番地(現松山町5番地)でした。推定人口24万の長崎市は一瞬のうちに廃墟となりました。たった一発の爆弾による死者73,884人、負傷者74,909人、罹災人口120,820人、罹災戸数18,409戸とされています。

山王神社は、爆心地の南東約900m、やや高台でしたが、社殿は跡形もなく崩れました(1950年再建)。参道には4基の鳥居がありましたが、柱の片方を残した2番目の鳥居が今も同じ場所に残っています。周りには、新たな建物が増え、往時の面影はありませんが、忘れてはならない鳥居です。

ここで、ついでにと云う言い方は、どちらにも失礼なのですが、九州南部の大隅半島にも忘れられない鳥居があります。こちらは、先に、国立ハンセン病療養所星塚敬愛園を表敬した際、関係者のご好意で、桜島をめぐる道路をご案内頂いた時に立ち寄りました。

桜島は、今も噴火し続けるバリバリの活火山ですが、708(和銅元)年以来、100回以上も記録された爆発があります。その中で、1914(大正3)年1月12日のそれは、現在も「大正の大噴火」として記憶されています。この爆発によって、瀬戸海峡が閉鎖されたり、降灰がカムチャッカ半島に達したり、マグニチュード7.1の地震が起こったり、小さな津波もあったりと記録されていますので、本当に大きな噴火だったのです。噴火したのは、桜島南岳の西と東山腹、この噴火で、桜島は、島でなくなり、大隅半島と地続きになりました。

記録によりますと、噴火の1、2ヵ月前から近隣集落の井戸の水位が低下し、前々日から無感有感地震が頻発、当日の朝、山の南海岸から熱湯が噴出、噴火2時間前には、南だけ山頂と中腹から白煙が上がり、やがて西側山腹(標高350m)あたりから噴火が始まり、12日の夕方噴火8時間後の18時29分には地震(マグニチュード7.1)発生、次いで、南東側中腹(同400m)からも噴火、当夜から翌日まではすさまじいものであった・・・そうでしょうね。そして、13日夜から溶岩流出が始まり、結果として2週間も続いた溶岩流は沖合の鳥島をのみこみました。南東への溶岩流は、いくつかの村落を埋没しています。当然、鹿児島市内にも被災はありました。死者58名、負傷者112名、埋没全焼家屋2,140戸、全壊家屋120戸、農作物被害甚大。ちなみに、火山灰、軽石は、上空18,000mに達しています。

現在の鹿児島市黒神町・・・当時の黒神地区にあった「腹五分神社」の高さ3mの鳥居は、上1mほどを残して、火山灰に埋まりました。

地域の住民は、噴火が鎮まった後、神聖な鳥居を掘り起こそうとされました。が、当時の野添八百蔵村長は、「このままにして、後世に噴火の記憶を残そう!」と英断されたそうです。そのお陰で、私たちは、噴火の実態を知ることが出来ます。

二つの鳥居は、片や戦争と云う人の意志がかかわる災害、片や火山爆発という自然災害の被災を示しています。今、私たちは新型コロナと云う自然環境の異変と関係するとみなされている新たな災害の間にいます。自然を蹂躙した人間の傲慢さがもたらしているかもしれない新たな微生物の襲撃・・・科学の力は必須ですが、私たちの心の中にも鳥居が必要かもしれませんね。