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ウクライナ その5 集団災害医学会の場で・・・

先週は、お雛祭りでした。

その昔、私の郷里では、旧暦に準じていたのか、それとも、3月3日はまだ少し寒さが残っていたためか、お雛祭りは4月3日でした。ですが、お雛様は3月には飾られていましたので、1ヵ月間、毎日、お雛祭りみたいな気分でした。

3月3日の深更、胸痛いニュースがありました。

ロシア侵攻から原発守る バリケードで市民が抵抗 ウクライナです。そして翌日の3月4日、火災の欧州最大級原発、ロシア軍が制圧との報道。

3月4日は、広島で開催されている第27回日本集団災害医学会のシンポジウムに参加しました。

30年前、当時のソビエト軍が、10年間にわたり侵攻していた隣国アフガニスタンから撤退する時期、数百万のアフガンの人々が難民として滞留していたパキスタン、取り分け、アフガ二スタンと国境を接する、いわゆる部族社会の一大拠点でもあり、また、古来シルクロードの旅籠街でもあるペシャワールは、ムジャヒディーン(聖戦士)とよばれる武装ゲリラ7派が勢力争い的に併存していました。そして、祖国アフガニスタンの首都に居座る旧ソ連支援の共産政権と対立しつつ、一方では、ゲリラ間でも勢力闘いがあり、日夜、銃声がとどろく状態でした。

今日のシンポジウムは、その時代に、日本赤十字社を通して、ペシャワールの赤十字国際委員会(ICRC)の野戦病院に派遣された外科医たちの、いわゆる戦傷外科の経験を振り返り、そこから何を学ぶか、レジェンド特別セッションの司会でした。1980年代を通じて、アフガニスタン国民の1/3~2/3ともされる数百万の人々が、南東の隣国パキスタンと南西のイランに避難しました。10年にわたる避難民生活、当時のアフガニスタンでは、祖国生まれよりも避難先で生まれる子どもの方が多いと云われていました。戦闘が続きますと、必ず、一般住民が巻き込まれます。山岳国であったアフガンでは、空爆は多くなったのですが、ミサイル攻撃、銃撃、そして地雷による外傷が日常茶飯事、日本では経験できない・・・そしてする必要もないような、悲惨な外傷被災者を24時間シフトで手術する経験を持たれた4人の日本の若き外科医・・・30年という時間を加えて消化されたご経験が発表されました。ペシャワール経験を持つレジェンドたちは、30年をタイムスリップされたように、医学的専門的学びとともに、個々人としてのエポックと、あえて申せば、ある種、人生の重荷を抱えてこられたようなお話でした。

そのような場で聞くウクライナの惨状!

兵士、軍隊は戦いを専門とする集団です。国と国が、国際的取り決めに基づいて、それぞれの国の権利としての戦争という手段を行使する時、過激な言い方ですが、軍隊と軍隊は、互いに殺し合う標的になります・・・軍隊という集合名詞ではなく、兵士と兵士が・・・と云えば、どちらもに、家族がいて、友人がいて、生活している地域社会があって、どちらもが一人の人間としての存在であることが浮かます。戦争はしてはいけない、馬鹿げている・・・と思うのは、戦いのない日本にいるから言えるのでしょうか?

そして、事もあろうに原発を狙ったとしたら、戦場となっている地域、国を超えて、想像を絶する被災が生じます。ソビエト時代から生き延びているロシアの為政者は、36年前のチェルノブイリから何も学んでいないのでしょうか?正気でしょうか?

ウクライナの若き大統領と副大統領は、情報を手段に、世界に被災を発信しておられるように見えます。そして、世界の国々では、人々がウクライナの人々と連帯し、義援金活動をし、状況が収まったら、駆け付けようとの想いを膨らませています。武器や日常必需品を、人々が避難しつつあるポーランドそしてウクライナにも届けようとしています。武器の提供もあります・・・やむを得ない、これは・・・

さらに、国際社会が強化しつつある経済制裁やロシアとの産業協力の中断、破棄・・・直接的な武力行使には太刀打ちできないように見えますが、ジワジワとロシアを痛めつつあるように見えます。兵力というハードな武器に対して政治経済制裁というソフトな武器・・・そした、ロシアの中にも芽生えつつある反戦の機運、ソフトな対応こそが、戦争を解決させ、予防する力であって欲しいと願います。日本が出来ること、私ができることは何でしょうか?

一日も早い終息を切に、切に祈ります。