会長ブログChairman Blog

ウクライナ その7 人道の危機 Humanitarian Emergency

戦争は容赦ない。

兵士は戦うために存在しています。保健医療者が人々の命を救い、健康を護るために働くように、兵士は、如何に【敵】を打ち破るかが仕事です。もちろん、保健医療者が行うべきことに予防があるように、兵士/軍隊の仕事にも紛争予防が含まれると信じたいですが、いったん戦いが始まった戦場にあっては、【敵】に打ち勝つことしかないのでしょう。

兵士とはいえ、ヒトの子、同情や憐みの気持ちはどうなのか・・・と、臨戦の場の兵士に聞くことは馬鹿げているでしょう。やるかやられるか・・・です。

無機質な砲身から、轟音と炎と煙幕を残して打ち出された砲弾が、住民の居住地、アパートを攻撃します。炎、黒煙、崩れ落ちる建物、執拗で苛烈な破壊力の大きな兵器、無防備な住宅を攻撃することの意味は何なのか、云いようのない腹立たしさと、無力感を覚えます。

炎上し、破壊されるのは古い建物、既に無人となったアパートかもしれません。子どもの居なくなった公園かもしれません。住み慣れた家、子どもが騒いでいた学校や、そしてこともあろうに、病める人々が頼っていた医療施設が占拠されたとの報道もあります。

襲撃され炎上し、破壊される建物・・・戦火が収まれば、新たに建造すればよい・・・のではありません。壊れてゆくのは物理的な建物ではなく、人々の生活、歴史、文化・・・人々の暮らしです。

かつて紛争地勤務をした1990年代は、東西冷戦構造が終わり、世界は平和と繁栄が約束されるかと期待されたにもかかわらず、各所にComplex Humanitarian Emergency(CHE 複雑な人道の危機)と総称される地域紛争が頻発しました。

1991年のソビエト連邦の消滅によって、第二次世界大戦後、米ソが世界を二分した冷戦構造が終わりました。西側民主主義の勝利!とは申せませんが、ヤレヤレと思ったのもつかの間、主に開発途上国各国でくすぶっていたいざこざが顕わになりはじめました。最初は、ほんの小さな対立だったり、かつての宗主国が強引に引いた国境線をまたいでの対立だったり。中には、あえて申せば、民族や宗教の違いもありましたが、卑近で変え難い、ちょっとした違いに由来したいがみ合いが継続する小紛争に、そして資源をめぐる争いとなり、「国際社会」という、これもあえて申せば訳のわからない権力の介入によって、紛争地が確立する、そして誰かが武器を補給し続け、長い紛争となりました。

1990年代末、WHOの緊急人道支援部で勤務した時のまとめがあります。今から振り返ると、いささか過激な、未熟なまとめですが、当時は、そのような想いで働いていました。でも、繰り返しますが、幼児期、第二次世界大戦の末期、空襲警報に怯えた私が、短期間ですが、長じて紛争地に関与して確信していることは、武力で得るものは何もない!ことです。勝っても、得るものはないのです。国と国の戦争であっても、ある国内の地域で、何十年もまん延している地域紛争であっても、ひとりひとりの住民にとっては同じ暴力的侵襲に過ぎません。武器の開発に向けるエネルギーと経費、時間を、地球環境保全に向ける競争に振り向ければ、真の勝利者が生まれましょうに・・・戦争、地域紛争の影響の中で、私個人が痛感したことは、文化面の影響です。勝利した側にも、人的被災ゼロはあり得ず、真の勝利者など、ありえません。

第二次世界大戦後、80年近くを紛争に関与なく過ごせた日本、それは単に僥倖だったのでしょうか?

ウクライナの大統領は、イギリス、カナダに続いてアメリカの議会でも演説されました。それぞれに印象深い言葉、古人の名言が散りばめられています。しかし・・・それらの言葉が生まれた背後にも失われた多数のいのちがある・・・チョッピリですが、ムムム・・・と思います、失礼ながら。

戦争の中継・・・など見たくもないですが、好むと好まざるにかかわらず、戦車が、長い砲身が、轟音を残して発射される攻撃のさまが、崩れ落ちるビルが、焼け焦げた車が、無人の街の悲しい光景が、悲嘆にくれる人々のお顔が放映され続けます。TVをつけなければよい・・・ですが、それでも他のメディアのすべてを完全に遮断することは不可能です。ふと立ち寄ったコーヒーハウスでも、電車の中の週刊誌の広報にも、戦争があります。そして、私は、ぬくぬく生きている・・・何という世の中でしょうか!