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森鷗外『高瀬舟』と沖縄県南城市の「嘱託殺人事件」

昨日の沖縄タイムスに、「『生活保護のせいで車を役所に取り上げられたら困るから殺してくれ』末期がんの弟に頼まれ殺害 兄が供述」との記事がありました。

その昔、尊属殺人という言葉がありました。自己や配偶者の直系尊属(親や祖父母など)を殺す罪とされていました。1995(平成7)年、刑法の一部が改正された時に削除されています。刑法など、良く判っていないのですが、直系の身内を殺めた場合、その昔は死刑または無期懲役という厳罰であったことが、現行憲法でいう法の下の平等(第14条)に違反するとかの議論があって、色々、難しい検討の上、削除されたそうです、付け焼刃知識ですが。

沖縄県南城市の例では、冒頭陳述で、検察側が被害者の弟が末期がんで主治医に余命宣告を受けていたと説明されています。そして被告の弟と関係は良かったが、昨年12月12日午後7時頃、自分の首にタオルを回し殺して欲しいと求めた弟の頼みを受けて殺害を決意した・・・としています。

証拠調べで判明したそうですが、被告には中程度の知的能力障がいがあり「犯行の背景にはなったが、直接的には影響していない」とする精神鑑定書が提出されています。被告は「自分の生活保護のせいで(別の弟の)車を役所に取り上げられたら困るから殺してくれと頼まれた」と供述したことも明らかにされています。

2021年12月14日の同沖縄タイムス記事では、12月13日午前0時半ごろ、沖縄県南城市佐敷手登根の民家で「49歳男性の心臓が止まっている。反応がない」と同居する兄弟から119番通報があった。与那原署によると、この家に住む無職の男性(49)が室内で倒れており、首を絞められ死亡しているのが見つかった。署は同居する兄で無職の男(66)を殺人の疑いで逮捕した。調べに「首を絞めて殺した」と容疑を認めているという。署は詳しいいきさつを調べている・・・とありました。

裁判はこれからでしょうが、私は、この事件の報道を読んで、森鷗外の『高瀬舟』を思いました。

高瀬舟とは、京都から大阪への高瀬川だけでなく、各地の川で使われた船底の平らな舟を云うそうですがですが、江戸時代の京(都)で、遠島<エントウ 死刑よりは軽いが、島流しよりも重い罰で、無期が原則だったとか>を申し渡された罪人が浪速(大阪)に送られるさいに乗せられた高瀬舟は、鷗外の小説で本家のような位置付けになったような気がします。

小説は、ある夜、その高瀬舟に乗せられたにも関わらず、護送する京都奉行所の同心(お役人)が不審に思うほど、明るい雰囲気の罪人についてのお話です。

同心羽田庄兵衛は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。・・・・
庄兵衛は不思議に思った。そして舟に乗ってからも、単に役目の表で見張っているばかりでなく、絶えず喜助の挙動に、細かい注意をしていた。・・・・
夜船で寝ることは、罪人にも許されているのに、喜助は横になろうともせず、雲の濃淡に従って、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙っている。その顔は晴れやかで目にはかすかな輝きがある。・・・・・

そして、同心は、罪人と対話します。弟殺しは、病状終末期の弟が、極貧の中で兄を楽にさせるために、自ら喉を掻き切るが、死にそこなって苦しんでいるところを兄が見つける・・・そして弟の願いを聞いて死を遂げさせる・・・そして、遠島の申し渡された後、与えられた銅銭200文(現在の6,500円位)に、ある種感動している・・・

喜助は、同心庄兵衛の求めに応じて、弟の望みをかなえた時のこと、常々、世話をかけていた近所の老婆が、剃刀を手にした自分を見て駈け出したことを淡々と話します。

ばあさんが行ってしまってから、気がついて弟をみますと、弟はもう息が切れておりました。傷口からは大層な血が出ておりました。それから年寄衆がおいでになって、役場に連れて行かれますまで、わたしは剃刀をそばに置いて、目を半分あいたまま死んでいる弟の顔を見つめていたのでございます。・・・・

庄兵衛はその場の様子を目のあたり見るような思いをして聞いていたが、これははたして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑いが、話を半分聞いたころから起こってきて、聞き終わっても、その疑いを解くことはできなかった。・・・・

同心は、当時でもそれほどの額ではなかったであろう銅銭を、本当に有難く思い、牢屋で何もせずに食べさせて頂けたと感謝する喜助の、それまでの苦難の生活を偲びます。

この小説の主題は、「足るを知る」と今でいう「安楽死」とされていますが、何度読んでも、もやもやする気持ちにもなります。何故か・・・良く判りませんが。

最後の一行です。

次第にふけてゆくおぼろ夜に、沈黙の二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。

沖縄での裁判が、どんな経過になるにしても、また、高瀬舟の時代から300年は経っていますが、安楽死の問題には正解がないように思いますとともに、万人が納得できる貧困対策もすべての住民が合意できる福祉政策も、実践は難しいことです。人間は、性善説でも性悪説でも律しきれない複雑にして不可解で、ひょっとすると愚かな生物かもしれません。

良いことではないと判っているのにウクライナでも、ミャンマーでも、エチオピアでも戦いは続いています。