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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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ロボットのこころ ロボットが主人公の本2冊

以前、この小欄で、2017年のノーベル文学賞受賞者カズオイシグロの『クララとお日さま』をとりあげました

先週、やはりロボットが主人公の新しい一冊を読みました。村上たかしの漫画『ピノ:PINO』です。

『クララとお日さま』の主人公クララは、太陽光線を栄養?エネルギー源として、ある目的のために造られた人工の友だちロボットです。人間の、この小説ではジョジ―という病身の少女のために買われたのですが、疲れることなく、ジョジ―にとって最善のことを考え、それを実践する・・・本当に献身的です。ロボットとは、そのようにプログラミングされた以上、休まず疲れず、ひたすら与えられた、つまり為すべく組み込まれた仕事を果たし続けるだけなのです。が、クララは、いささか見聞することを吸収し理解する能力もあるので、あることに対しては、新たな対処法を見出すことも可能です。本当に賢く、献身的。ロボットと判っていても、その献身ぶりにはうたれます。再読して気が付きましたが、小説では、クララは最新型ではなく旧型とされています。いずれ最新型にとってかわられることもあるのです。ヒトの生命が限りあることと関連させられているのかも判りません。

『ピノ:PINO』は、近未来の、滅びつつあるような日本を背景にしていますが、ロボット技術がさらに、さらに進歩した、いわゆるシンギュラリティ(正確には、技術的特異technological singularity 未来学などでAI<人工知能 Artificial Intelligence>の進歩をしめす概念。Raymond Kurzweil<アメリカの未来学者>によれば、AI技術が膨大に発展し、AIが「人間の知能を大幅に凌駕する」時点。これを超えると、「人間の生物的な身体と脳が抱える限界をこえる」とする)を超えた後の時代のようです。

息子ともども交通事故にあい、30年も意識を失っていた後、突然目覚めた一人の女性は、高齢化し認知症となっています。与えられた介護ロボットをムスコと信じています。そのロボット ピノは、こころを持っていないと想定されていますが、そのこころをロボットが獲得したらどうなるか・・・というのが、この本の主題のようです。

テポテポテポと歩くピノの姿はあくまでロボットです。クララは、人間と見分けがつかない外観でしたが、ピノは、あくまで見かけはロボットです。でも、献身的なことは、クララに負けません。何と云っても、そのようにプログラムされているからですが。

この二人?のロボットは、完璧で、充電する時間以外は、誠実に指示された、つまりプログラミングされた仕事=役割を果たします。あくまで、指示通り・・・ロボットとしての意思ではありません。

が、『ピノ:PINO』は難しい命題を抱えています。

ケアという機能をプログラミングされたロボットが、どうその機能を果たすかではなく、ロボットであるピノが意思、こころを持つとどうなるか・・・なのです。ドキドキしながら読みました。

背景は、2030年代にさらに環境悪化し、社会インフラが劣化した日本です。

社会インフラ・・道も鉄道も、多分、水道や下水道も劣化している日本。でも、近未来です。息子を失い、意識を失った女性が遭遇したのは自動運転の車による事故。が、一方、医学は、ある部分で進んでいるのでしょう。意識のない女性が30年間も生きながらえました。そして、突如、意識回復したものの、加齢による認知症となっています・・・

事故で即死した息子を求め、介護ロボットピノを息子と思い込む。介護ロボットピノは、その女性の失われた人間らしい生活と日常を取り戻すためにプログラミングされている。

『クララとお日さま』とは異なりますが、健気なロボットに感動するのではなく、ロボットという無機質な、あえて申せば「機械」が行う健気な、人間くさいケアという行為に、私は感動しました。

ピノは、こころを持てるのか・・・ま、『ピノ:PINO』をご高覧下さい。
こころを持ったピノは、しかし、同時に寿命を持ち、そして死を・・・

マンガ・・・アニメーションは日本の一大文化、そして産業です。

ロシアのウクライナ侵攻で、少し影の薄れているアフガニスタンですが、その昔、この国に関与した頃、イクサ(戦さ)好きのこの国の若者に、ニンテンドーのゲームで戦って勝ち負けを決めてもらったら、実物のライフル銃をぶっ放すことをあきらめてくれるかもしれないと、真面目に思ったことがあります。

わが国そして世界の中には、200弱の国や地域(台湾など、国と認知されていない)がありますが、毎年、その中の20ヵ国程度で、大小さまざまな武力紛争が起こっています。国同士の戦争以外にも、国内で地域的なドンパチがあります。

何らかの偶発的なことで大げさな戦いになることも皆無ではありませんが、武力紛争のほとんどは、それぞれの国や地域また集団の長が襲撃開始の号令をかけることから始まっています。

ロボットが支配する国に住みたいかと尋ねられたら、ちょっと戸惑います。
が、良きことだけをインプットされた人工大統領とかAI首相・・・紛争はしない、侵略はしない、武器は作らない、その為には、何を、どうする・・・とプログラミングされたAI為政者というものは不可能でしょうかね・・・

テポテポテポ・・・と、ロボット代議士たちが国会の中で、24時間365日、働いている国・・・そんなことはあり得ない?

なら、私たちは、何のために学び、何のために生きているのでしょうか?
そして、私たちのこころはなぜあるのでしょうか?
そして、そして、ある人は、何のために戦争を仕掛けるのでしょうか?