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中日友好病院初代院長 辛育齢先生のこと

過日、JICA(国際協力機構)中国事務所から、辛育齢先生の訃報が知らされました。

6月4日は、いわゆる六四天安門事件<ロクシテンアンモンジケン>の33年目でした。1989年のこの日は日曜日でした。中国の顔ともいえる北京市の天安門広場で、民主化を求め集まっていた学生らデモ隊に軍隊が武力行使した事件・・・戦車の前進を妨げる学生らしき姿が全世界に流れました・・・当時、私はパキスタンのペシャワールで勤務していましたが、同日、パキスタン入りする知人の乗った北京経由の飛行機が来ないことで、北京で何か異変が起こっているらしいことを知ったのです。そんな天安門事件の33周年・・・国際的にも少しザワついていた中、辛先生がお亡くなりになった知らせ・・・私の想いは一気に40年近く過去に飛びました。

辛育齢先生は、中国共産党と同じく1921年のお生まれ、そしてそのご経歴も中華人民共和国と、その近代医学の確立の歴史のようでした。

1986年、当時・・・多分現在まででもわが国最大の国際協力であった中国に近代的な病院を作るというJICAプロジェクトでの病院建築が終わった後、病院の中身を充実すべく技術指導の一員として、私は、検査医学と後に小児科の専門家として北京の中日友好病院に勤務しました。

その昔のことで正確さには欠けますが、私の理解では、このプロジェクトは、日中国交正常化を受けて、戦時賠償を放棄した中国に対し、同国のモデルとなりうる近代病院を日本が建設し機能させる・・・というもののようでした。いわゆる無償資金協力での建築では、地下1階 地上14階、ベッド数は1,400か1,500の大病院でした。日本人の私には、十分以上に壮大な病院なのに、着任後、かなりの中国関係者からご不満を聞きました!!

ま、ところ変われば品替わる・・・その後、理解できたことは、他の大病院には、ベッド数3,000もありましたし、お国柄、病院には中医薬・・・漢方薬を製造する工場的施設がないとおかしいとか、パン工場が必要とか・・・日本の病院を基本にした中日友好病院は、ちょっと足りないことが多々あったのでしょう。面白い見聞を致しました。さらに、病院には、近代機器は十分以上に設置されたものの、必要な試薬や分析のためのガスが供給されなかったり、電圧が不安定で、試料の分析中に小爆発が起こったり、仲間となった中国人医師や技師、看護師らと様々な工夫も致しました。

初代院長だった辛育齢先生は、私の勤務時には、名誉院長的存在、お姿が見えると、一寸居住まいを正す感じのエラーイ先達でしたが、とても気さくにお声をかけて下さいました。そして、何故だか記憶は曖昧ですが、滞在時、ほとんど毎週のように通った京劇に連れて行って下さったことが数回ありました。

京劇は、中国風オペラでもありますが、いわゆるオペラのように大人数が、大々的舞台装置とオーケストラを従えてではなく、数名の役者と2、3人の楽器演奏者が主体で、観客もそれほど気取ってはいませんでした。後に、セリフと云っても中国語ですから漢文ですが、舞台のそでに垂らされた白い幕に映写されるようになりました。しかし86年当時はそれもなく、まず、何も・・・一言も聞き取れません。けど楽しみました。私は、大体ストーリーを知っている白蛇伝、西遊記=孫悟空、三国志のいくつか、そして後に何度も観て判るようになった水滸伝の三岔口などでした。ある時、三国志の主人公がどれか判らないので、「对不起<Duìbùqǐ スミマセン>・・・」と荒々しい様相の演者のどれが誰と隣の老爺に尋ねました。始めは、親切に教えて下さったのですが、サワリの部分で尋ねましたら形相一転「安静<Ānjìng 静かにせい>!」と叱られました。

ある日、辛先生が「私の患者さんである京劇のスターが、今夜出るから観に行こう!」と仰せになりました。お名前を記憶していませんが、わが国での人間国宝のような方でした。その女優の舞を主体にした、いつも鑑賞する賑やかなドンチャンした武闘的京劇ではなく、しっくりとしたものを先生の横で堪能しました。見終わった後、直々にお目にもかからせて頂いたのですが、当時の私の年令をはるかに超えたお歳にも関わらず、身軽な舞台上の演舞に改めて感動しました。先生の患者であったというのは乳がんだったと、自ら仰せでした。

このような記憶は、30年経っても色あせません。時折、日本での京劇・・・北京劇または南京劇を鑑賞する機会に、いつも嬉しそうにその人間国宝的女優を眺めておられた先生を思い出していました。

辛先生は、中国では忘れられない外国人にして、最後は中国と一体化されたようなカナダ生まれの外科医ノーマン・ベチューン医師の薫陶を受けられ、中華人民共和国が生まれる前後のこの国の医療を率いられました。かの国の歴史は深く広く、簡単には理解できないものがあります。ホンの少し、過去をお話になっても、ご苦労ではなく、面白かったとお話になるだけ、つたない中国語の私どもを楽しませる話題を添えて、ご自分の楽しい思い出を仲間と共有することに喜びを感じておられたような気が致しました。80年代後半、針麻酔による手術が欧米の関心を引いていましたが、ご自分の手術でもやったことは、嬉しそうにお話されましたし、希望するなら見学させてあげるとも仰せでした。

100歳で身罷られた辛育齢先生!

慎んでご冥福をお祈りいたします。