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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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酷暑・・・ペシャワールの53度を思い出します。

8月6日は、ヒロシマに人類が初めて経験した原子爆弾が投下された日です。紛争地に関わる仕事に従事して以来、特にこの日や9日は、ヒロシマ、ナガサキでの事態を強く意識する日になりました。ウクライナに続いて、わが国近辺にも、緊張感を抱かせる事態が起こるなど、暑い最中、かなりひんやりさせられました。平和というものは意識しないと守れないものだと痛感しています。

さて、その6日のワシントンポストに、汗ッかきのコラムニスト ケイト・コーエン氏が書かれた興味深い一文がありました。それは「アメリカ人はエアコンを『無駄使い』していることをよく考えようと呼びかける」ものです。

コーエン氏は「かつて贅沢品だったエアコンは、現在、アメリカの88%の家庭が使っている。が、私たちがそれを使えば使うほど、地球を暖めることになる。そして、まわりまわって低所得者(ここではアメリカ人)は精々日陰に逃げるか、エアコンなしの暑い都市生活を余儀なくされる事態を引き起こし、結果として暑さ由来の病気になったり命を失ったりするリスクにさらされる」としています。さらに「エアコンは必需品だから、それを必要とするすべての人々が利用できるようにする責任を私たちは負っている。が、私たちは、それを昔のように贅沢品的に扱い、最も必要なときだけ、それも控えめに使わなければならない」と。

地球温暖化ではなく地球灼熱化とでも呼びたい日々、仰せの趣旨は理解できますが、日常を考えると・・・ちょっと無理ですかね。

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その昔経験したパキスタン ペシャワールの53度の日々を思い出しました。地球上で記録された異常気温では、1913年のアメリカ カリフォルニア州のデスバレー(死の谷)での56.7度とか、1931年アフリカ大陸地中海沿岸のチュニジアのサハラ観光地ケビリの55度とか、1942年のイスラエル キブツ(イスラエル建国時、住民間の個人所得を認めず、完全平等、相互責任、生産消費の平等共同性を持った生活共同体)のひとつティラトズビの54度もありますが、第二次世界大戦前のこれらには信ぴょう性がないとの説もあります。新しい所では、これも本当??と云いたくなりますが、2008年中国新疆省ウイグル自治区の天山山脈の一角、火炎山での66.8度や、ヒートバースト(熱爆発、何らかの原因で地表近くの気温が突然局所的に急激に上昇する現象)とされていますが、数年前のイランの60度近くがあります。40年近く前、シルクロード天山南路を走破した時、タクラマカン砂漠の中のトルファンに泊まり、敦煌にも負けず劣らずのベゼクリ千仏洞を見学した際、火炎山近くを通ったことがあります。トルファンの宿泊所では、ホットワイン、ホットコーラを頂きました。

火炎山 中国新疆ウイグル自治区 http://www.travelchina.org.cn/sitefiles/gjly_jp/html/meijing/3138.shtml

私が実際に経験した最高気温は、パキスタン ペシャワールでの53度です・・・と申しても、所持していた温度計は52度までしか目盛られておらず、それ以上に赤いアルコールが伸びていましたので、53度と思った次第です。当時の、地域の新聞にも52度と出ましたが、職場の同僚は、ホントはもっと、もっと「熱い」けど、あまりに高く書くと暴動がおこるから最高はいつも52度と云っておられました。しかも湿度も高く、まるで数日をお風呂場で過ごしているような気分でした。さらに悪いことは停電!クーラーをつけても暑いのに・・・プツンと切れました。地域的計画停電でもありましたが、ホントに、ホントに身の置き所もない時間がありました。

冷蔵庫だけでなく、冷凍庫も必需品でしたが、むやみやたらと扉を開けると短時間で中のものがイタミます。生活の知恵ですが、どの位置に何を置くかをきちんとまもり、必要なものを瞬時に取り出す習慣が身に着きました。これは、仕事上の予防接種拡大作戦で、地域の中のワクチン保存庫の扱いと同じでした。私は、現在でも、拙宅の冷蔵庫の中は、当時と同じように、それぞれのものの定位置を決めているというか、癖になっていますから、目をつむったままでも、必要なものを取り出せます。

ただ、時々、帰宅後、冷蔵庫の扉を開けて、ひんやり感を楽しむ・・・と、生き返ることがありますが、それでは温度が急に上がります。皆さまも、何を吞もうかな・・・などと、ドアを開けた冷蔵庫の前で涼むことはおやめなさいませ。

さてさて、酷暑炎暑のペシャワールでした。
4月中旬から11月末頃までの日中も45度ありました。テラスなどのコンクリートの上だけでなく、乾いた大地でも裸足で歩けませんでしたし、車のボンネット上で目玉焼きを試みた写真もありました(阪神淡路大震災で紛失)。もちろん、フライパンほどきれいにはなりませんが、表面に白身が固まる状態は簡単でした。また、朝方、葉っぱものに水やりしますと、その部分が火傷したように斑点が残ります。水道は湯水、うっかりかぶると熱いくらいでした。

古くからシルクロードの旅籠街であったペシャワールの市街地はそれなりの住宅地でしたが、郊外に広がる農村に点在する家々は古来風の建物でした。つまり、日干し煉瓦造りとは、土を練り上げ、壁の厚さは30センチほどもあり、一室は日本風に云えば8~10畳程度でしょうか、そして窓は小さいく、入り口には外の熱気の侵入を防ぐための毛布のような厚手の防禦布が掛けられていました。ちょっと特異な匂いもありましたが、室内はヒンヤリ、心地よい涼しさなのです。人々は夜明け前の2時間程度、日暮れ時の1、2時間を外働きし、後は屋内で静かにしている・・・まぁ、ごろごろしているとも申せますが、女性たちは刺繍などをしていました。

郷に入っては郷に従えば良いのだと学習はしましたが、私が借りた、ちょっとモダンな煉瓦造りの家はほとんどオーブンの中といった感じでもありました。テーブルも椅子も、壁も、何もかもがホッカホカ。ある休日、冷蔵庫を開け閉めするのを避けるためですが、少時、食卓の上に置いてあったマヨネーズの中の泡がブツブツと煮えているのを見た時、ほとんど気絶しそうな気がしました。信じられない!のですが、それでも、当時のペシャワールには数十万の住民と百万を超えるアフガニスタンからの避難民が暮らしていました。停電、50度の中、私が見つけた避暑法は、車のクーラーでした。時折、近所を一走りし涼む・・・それがまた熱を出しているのですが。

地球温暖化と申しますが、もはや温暖ではなく高熱化です。都市部に集中し、ヒートアイランド(熱の島)化した中で、家族が別々の部屋でエアコンを使う・・・ますます暑くなる。個々人のウェルビーイング、心地よい生活をまもるためには必要な機器が、ますます、地球を暖めているのです。どうしようもない・・・というばかりではなく、郊外への移住、古来の木と紙と漆喰作りで、地震には強い家の開発などが必要ではないでしょうか?少し、エアコン使用を慎みますか、今夜は。