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ラブ・レター 久しぶりの音楽座

音楽座ミュージカル」という、創作ミュージカル劇団があります。

生まれ育ったのが宝塚歌劇団のそばだった私は、劇場で公演されるお芝居、劇、ミュージカルなどは割合身近でした。実は、身近すぎて、あまり熱中しなかったとも申せます。実際、子どもの頃、のちに一世を風靡する宝塚歌劇団の大スターとなられた宝塚音楽学校の生徒たち(かの組織は、どんなに有名、舞踊やダンスの名手になられても全員が宝塚音楽学校の卒業生!!です)が、私どもと同じ市場で野菜やお肉を買い求めたり、お店のおばさんおじさんと冗談を言ったりしておられるのをそばで見聞きし、また、友だちの家に下宿?されていた某女優とは、かくれんぼをしたり縄跳びをしたりしたので、スターといっても、同じヒト・・・感覚だけはありました。

さて、「音楽座ミュージカル」とのご縁は、2014年、この劇団が遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」のミュージカルの上演にあたり、ハンセン病対策を行ってきた私ども笹川保健財団に支援を求められたことに始まります。財団には、当時(も今も)演劇系を支援する仕組みはないのですが、ちょうどハンセン病対策事業におけるグローバル・アピールを初めて日本で行うに当たってのキャンペーンに応募いただいた結果として、一回限りのご支援が実現しました。うろ覚えですが、「当事者」(とは、何だか非人間的な言い方ですが)と呼ばれるかつてハンセン病に罹患された方々が、その上演に際して、ハンセン病という名称を出さないようにとの要望があったために、ちょっと神経をとがらせられた雰囲気も無きにしもあらず・・・でしたが、遠藤周作の原作は、ハンセン病と誤診され隔離入院させられ、誤診だったことが判明した後も、その病院、現在も静岡県御殿場市にある一般財団法人神山復生会神山復生病院にとどまり、看護師資格を取得し、入院加療する人々に尽くされた井深八重氏がモデルであることはよく知られています。井深八重氏は、1961年のフローレンス・ナイチンゲール記章受章者でもありますが、舞台では、何となく、それとなく分かる設定がこらされていました。ちょっと・・・涙の観劇でした。

音楽座ミュージカル「ラブ・レター」秋公演 チラシ

その後、交流がなかったのですが、今回の「ラブ・レター(原作は浅田次郎「ラブ・レター」 集英社文庫『鉄道員』所収」のご案内を頂きました。音楽座35周年、令和4年度(第77回)文化庁芸術祭参加公演とあるポスタ-には、なぜか、ちょっと厳しい目つきの黒猫が描かれており、その目つきに惹かれて、久しぶりに舞台を鑑賞させて頂きました。

11月3~6日の公演は、もう終わっていますので、素晴らしかったと言っても詮無いのですが、とても現代風・・・毎日歩いている東京のどこかであるような話でもありながら、中身は濃いというか、ちょっと難しい、いえ、とても難しい。大阪弁で申しますと「シンドイ話やナァ・・・(ため息)感」的な物語でした。生きるために戸籍を売る、偽装結婚の相手は中国人、その相手が亡くなった・・・暴力団的らしい人々の世界、一見、明日の見えない世界で暮らしている人々。

舞台だからではなく、演じられている現世とあの世を行き来している人々のメンタリティーこそ、今、未来への指標が揺れてように感じている私どもがしっかりと理解すべきもの、適切な言葉が見当たりませんが、社会的人間として存在し、きちんと生きてゆくために持つべき規範、想いなのか、ミュージカルだから楽しめばよいのかもしれませんが、音楽座ミュージカルは重いです。軽々、ひらひら楽しむだけではいけない、いかないと思いましたです。そして、その死者と現世を生きるものの障壁というか境界というか、二つの異なる世界のはざまにあの3.11がありました。現実に引き戻された気がしました、そして死や危険が身に迫ります。

私たちは、自動詞で生きているとも申せますが、他動詞で生かされているところも多々ありますし、どう考えても一人で生きてはおれないのです。日々、苦労や困難や、やれんなぁ・・・とため息をつくことも多いですが、能動態で「生きている」だけでなく、たいがいは、受動態で「生かされている」とも感じます。この音楽劇の中で、国境を越え、ジェンダーを超え、生死を超えて残された中国人女性の手紙・・・それが、それの中身よりも、残された手紙がこころに残りました。

モダンな舞台装置、シンセサイザーの音楽もよかったですが、演じられた役者のすべてが圧倒的に素晴らしかった・・・大きな劇場でなく、手を伸ばせ触れられるそこに、役者の演じる仮想の人々がいる・・・秋の都心で、あの世をちょっと垣間見た気になりました。

明日から、また、ちゃんと生きようと思いました。