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ザンビアの男性と母性を語るー「ロシナンテス」の母子保健活動

ロシナンテは、16世紀末のスペインの小説家セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』の主人公が乗るやせ馬の名前であることはご存じでしょう。その馬にのって世の中の不正を正そうと、何度も何度も失敗するのが、中世はやりの騎士道譚を読みすぎて、現実と幻想が判らなくなったまま、世直しに猛進するラ・マンチャ村の郷士ドン・キホーテでした。

ロシナンテを複数形にした現実の「ロシナンテス」は、九州男児!川原尚行先生が2006年に立ち上げられた国際NGOです。スーダンで始まり、今に至る活動や2011年東日本大震災時の国内支援は良く知られています。

そして、その「ロシナンテス」では、弊財団でも新型コロナパンデミックに振り回される地域保健現場の看護師たちに何度もご講演頂いた高山義浩先生(「感染症に関するオンラインセミナーシリーズ」2022/7/9)が理事を務めておられます。初めて伺ったのですが、高山先生も福岡市でお育ちになった期間がおありだそうですが、昨年秋から、ご勤務の沖縄県中部病院に席をおかれたまま、「ロシナンテス」のザンビア母子保健事業のために現地入りされています。日本の病院が、欧米大学のサバティカル(その間、行動制限を付けないで本務から離脱できる長期休暇、1年程度はざらで、しばしば外国で専門活動をしたり新たな研修をうけたりする)のような制度として、永年勤務のスタッフが国際活動を希望する際、数ヵ月の派遣/休職を認める制度があれば、日本の海外プレゼンスが高まるのにと思いました。一言付加しますと、高山先生は、アフリカの内陸国ザンビアに身をおきながら、日本の沖縄美ら海水族館を結んだ画期的なネット交流業を開催されたり、深更や夜明けになることもある沖縄県の会議にネット参加なさったりしています。世界はひとつ、人類は兄弟姉妹・・・って、財団創設者笹川良一の十八番<オハコ>です。

そのお二人から、ザンビアに来て欲しいとのお声かけを頂きました。ワオッ! 現地入りし現場を見てアドバイスを欲しいと。アドバイスなど無理、私の経験は古すぎますし、国際保健現場を離れて20年以上も経った骨董<コットウ>人間です。が、何度かメール交流している間に、はるかに若く、元外科医の川原先生と公衆衛生・感染症専門家の高山先生がご存じない古い話なら出来るかもしれないと心が動きました。もちろんお二人の熱意もありましたし、なんせ、不謹慎な言い方ですが、お二人の素敵な九州男児のお誘い、その誘惑に負けました、と言い訳致しますが、先週初めのWHOでの会議の後、アフリカ南部のザンビアに参りました。

いずれ、事業の中身は高山先生か川原先生または同事業の担当者が詳しく報告されると思いますが、ごくごく簡単に、私の印象を書かせて頂きます。

まず、目についたのはザンビアだけでなく、アフリカ全土と云っても良い中国の支援です。もちろん、わが国も長くアフリカ各国への関与は続けていますし、私自身も多くの国に足を踏み入れました。大きな箱ものイコール悪ではありませんが、大事なことは、外からの協力、支援がその国、地域、人々のニーズにあっているのか、例え地方の一地域であれ、小集落であれ、そこの人々の考え方や意識と大きな乖離がないのか、です。通常、特に先進国からの介入がなかなか受け入れられないのは、先進工業化国でたくさん勉強しすぎて、頭でっかち気味の「専門家」たちが考えすぎた計画は、しばしば、善意であっても、なお伝統的な習慣の中でゆるゆる暮らしている人々にとってはそう簡単に理解も出来ないし、したくもないものであることが多いのです。誰だって、今までの暮らし方やり方を否定しないまでも、馴染みない新しいことを強制されると身が引けます。良い事業であっても、それが根付き、その地の人々に継続され目的を達するには、たとえ時間がかかっても、現地の人々がナルホド!と納得し、じゃぁぼちぼちと乗りかかり、その成果を実感する間に意識が変わり、自らもそれが良いこと、大事だと納得されて初めて、続けられるものです。

「ロシナンテス」は、ていねいに現地の人々との意思疎通を図っておられることが実感され、ちょっと偉そうですが、ホッとすると同時に、嬉しくなったことは事実です。

現地は、首都ルサカから、車で2時間半ほど、中央州チサンバ郡ムワプラという地域です。道のりの半分は舗装されていましたが、半分は地道、久しぶりに舌を噛みそうな揺れ方を経験しました。ザンビアの人口は1,892万人、広さは約753平方キロメートル、日本の約2倍の面積に日本人口の1/6しか住んでいない、人口密度は25人/平方キロメートル(日本は338人/平方キロメートル)ですから、とても広々しています。恐らく、首都を除くと、人影はパラパラでしょう。事実、道中、広々した景色が続きましたが、アフリカでは珍しく国土がやや高地にあるためでしょうか、何処も緑に覆われて気持ち良い広がりが続きます。

が、このムワプラ地域は、なんと東京都の2倍以上の広さながら、医療施設はたった18、それも恐らく日本の病院とは比ぶべきもない設備でしょうが、東京都に病院が9ヵ所しかないと考えると想像を絶します。ちょっと膝が痛い、腰が痛い、眠れない、鼻水が・・・と、大病院を受診したい人も少なくないわが国の保健医療制度が何と贅沢なことかと思います。

事務所にてミーティング(上山敦司撮影)

で、ロシナンテスの事業は母子保健、やや母性に重点を置いた活動です。

実はザンビア政府は、在宅での分娩や古来の経験にのっとってお産を扱ってきた伝統的産婆(Traditional Birth Attendant<伝統的にお産を介助した人>、先進国からはTBAとよびます)によるお産を禁じているそうです。設備の整った施設での安全なお産を促進する、という政府の政策は素晴らしいのですが、なんせ東京都の倍の広さに施設は18・・・例えば東京都の立川あたりの妊婦さんが交通の便が良くない、ではなく、その手段すらない中で、例えば私の勤務する港区赤坂の地まで、大きなおなかをかかえて移動、つまり歩いてくる・・・そんなこと可能でしょうか?

このような事態は分娩だけではありません、すべての住民がもっと楽に「医療」を活用できるようになってほしい、というより、これまで機能してきた、あるか無きかの保健医療施設を少し整備し、少なくとも、その地域内でのお産が安全であることを周知したい、それがロシナンテスのムワプラ地域での活動目標と私は理解しました。

マザーシェルターにて(上山敦司撮影)

で、訪れた小さな診療所は、私が国際活動に入った1980年とそれほど変わらない感じではありました・・・人口約6,000人、ですが実態としては、実働の看護師は7,400人をカバーしているとのことでした。が、キチンと記録が取られ、病名も細かく記載されているのは80年代とは大違いです。診断は正しいか?などと突っ込むべきではないのです。薬剤の保管もきちんとされていましたが、診療所には電力がない。先に記したように、ザンビアは比較的高地でいわゆる熱帯的猛暑はないそうですが、やはりウ~ンと思うこともありました。そこがロシンナンテスの関与が効果を発するところかもしれません。で、この小さな診療所の隣に、ロシナンテスが作ったマザーシェルター(日本でいうところの助産所)があります。素晴らしいことは、このシェルターなる建物屋根には太陽光発電パネルがあること、だから、最低限の電力が確保されていることでした。地域のお産は、すべてこのムワプラ診療所で行われることが想定されていますが、移動手段はほぼ徒歩、自分の足しかない中、臨月の妊婦さんが、歩いて何キロも移動できるか、まして陣痛が始まったなら、車でも出産には間にあわないこともあるでしょう。そのような事態のなかで、妊婦さんに超音波で胎児の発育を見てもらいつつ、多様な健康教育も行い、安全なお産への予防体制を構築すること、を目指しています。

母子保健を支えるヘルスワーカー達と意見交換(上山敦司撮影)

現場見学後に母子保健を支えるヘルスワーカーの皆さんと話したのですが、何と、その多くが男性でした。ちょっと集まりが少なかったそうですが、恐らく雨季の最後、午前中に大雨が降って道が悪くなっていたこともあるとの川原、高山先生の解説でしたが、74歳の長老的男性、素晴らしい司会役をなさった54歳のルババ氏、次々と報告し、意見をのべる40代、30代、20代の男性ヘルスワーカーたちは、皆、優しそうな眼差しでした。ザンビアでは男性がお産に立ち会うことはまだないようなので、私は、あなた方はパートナーのお産には立ち会ってね、と一言お願いしました。

「安全なお産」を、ザンビアの老若男女・・・男性優位の会で長い時間意見交換できたことに、かつて某国での女性支援計画を発表した後、何度も「オマエ を コロス!」と脅迫を受けた身にとっては、まことに感動の一日、時代の変化を実感しました。現地の皆さまのご活躍、ロシナンテスの適切な支援を切に祈ります。まずはザンビアからの第一報です。