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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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3年ぶりのジュネーブ

などというと何事?と云われそうですが、今年39回目になる笹川健康賞 (The Sasakawa Health Prize)の受賞者選考委員会に参加してまいりました。本賞は、財団創設者笹川良一翁が、39年も昔で、まだ、日本ではそれほど多くの人々がPHCことプライマリー・ヘルスケアに関心を持っていない頃に、その意義に注目し、それを実践し、世界に周知するに功のあった人を顕彰するために設置されたものです。現在、毎年5月のWHO総会時には、いくつもの賞が贈呈されますが、笹川健康賞は最も古い賞で、毎年、1月末の執行理事会にあわせて開催される選考会議にドナー代表として参加してきました。過去2年は、コロナでネット開催だったので、久しぶりの直接対面会議でした。

前回2020年2月2日、同会議に参加するためジュネーブに向かいました。(会長ブログ「国の消長ーEUを通らないヨーロッパ訪問で思うこと」2020年2月6日

またマスクですが、3年前の東京 羽田空港国際線ロビーでは、早くも8割位の方がマスク姿でした。が、今から思えば、かなり余裕でした。つまり、新型コロナ感染状況はそれほどでもなく、後にみた同日の厚生労働省の発表も「新型コロナウイルスに関連した患者の発生について(21例目)」でしたから、マスクはするけど、まだゆとり!でした。そして3年前の同日乗り換えで降りたロンドン ヒースロー空港も、ジュネーブ空港もマスクはゼロでした。帰路立ち寄ったロンドンで会った日本人やアメリカ人とフランス人ご夫妻もマスクなんて、エッ、それ何!という感じでした。その後の新型コロナウイルスの大暴れ、今に至るパンデミックを考えると、嵐の前の静けさだったのかもしれません。

パンデミックの所為で、私の関わる会議はすべからくネット開催でした。確かに、ネット会議なら職場からでも自宅からでも参加できましたが、参加者が世界に広がっていると早朝はまだしも、深夜深更にかかると、かなりシンドイこともありました。私自身は、もう、外国での会議に参加することはなくなったと、ちょっとホッとしてもいました。

意見交換は確かにネット会議で可能です。が、直々に対面し、ちょっとしたことで感じる人間性、会議後に別れるときの仕草などなど、会議主体から離れたときの感触の重要さも否めません。特に、長年、当該事業を担当されているWHOスタッフとの対話など、得るところ感じるところは多々あり、今回も対面会議の重要さを実感しました。

さてマスク。日本の飛行機はマスク必須なので、外国の方も、皆さま、マスク姿でした。が、ロンドンに降り立つとマスク姿はパラパラになりました。ロビーでもラウンジでも、勤務者らスタッフを含め、ゼロではありませんが、マスク姿はごく少数でした。満席にみえたロンドンージュネーブ間の飛行機も2、3人、ジュネーブ空港でもヒトォーリ、フタァーリ・・・と数えられる程度でした。新型コロナウイルスが消滅したのではなく、パンデミックも終わってはいないが・・・マスク強制ではない社会が動いているようです。

ただ、私の、ささやかな印象、と申しますか、感触ですが、垣間見る社会というか、人々の雰囲気は、何かが変わったように感じました。それはなぜか?

イギリスでは、首相が次々と変わり、君主が変わりました。しかも、そのロイヤルファミリーから、あえて申せば、一族内の色々を暴露したような書籍、ヘンリー王子の『SPARE』が出版されました。読みもしないで感想もありませんが、大いに物議を醸しだすタイトルもしかり、そして新しい世代が、かくあるべきと思う方向への葛藤と、伝統と格式から成り立っている(と私は思っています)王室の関係が、双方の応援団を巻き込んで、さらにメディアがヒートアップさせているように見えます。が、ごくごく少数ですが、現地の知人、日本人、イギリス人、外国人で長くロンドンに住んでいる人々は、皆、静かというか、やや無関心風にみえます。この件に関して、ジュネーブで接した旧知の人々は、もちろん他国の王室についてのコメントなどなさいません。むしろ、目と鼻の先でもあるウクライナでの熾烈な戦闘には、明確なコメントは別として、皆さま、ある種の危惧を感じている様子が感じられました。

が、そんなこんなではなく、私が感じた変化は、やはり新型コロナのパンデミックに関係していると思います。「何かが変わった!」それは何か・・・

現在のスナク首相はヒンドゥー教徒でルックスもインド系です。ご両親はお二人ともインド系で、お父上は医師、お母上は薬剤師です。ご両親が東アフリカからイギリスに移住された後に、首相はイギリスでお生まれになっています。日本では、イギリス連邦のような関係のある国々がありませんが、ちょっと想像しがたいことです。人種、民族などの対立を煽るようなメディア記載もありますが、ロンドンの空港で勤務している人々だけをみても、地球上が多民族であることを実感させられるほど、多種多様な人々が、各種の業務についておられます。

ジュネーブは、その昔、私がWHOに勤務した20年以上昔でさえ、総人口約18万人の内1/3は外国生まれと聞いていましたし、今回は、24時間強の滞在で、空港、ホテル、WHO以外の場に足を運んでいませんが、タクシーの窓から見た限り、やはりかなりの数の観光客が戻っている様子ですが、街は、以前にもまして整然としています。で、何かが変わっている、それは何か。

結論などないのですが、新型コロナ、COVID-19という見えない病原体によって、人々は人間がすべてを管理できるなどという傲慢さはいけないと感じたこと、あるいはやってもやっても変性し人々を痛め続ける微細なウイルスに、短期間で完全勝利することは不可能だと理解したこと・・・何か、東洋の哲学的な無常観でしょうか、達観した、そんな気もします。そして人間臭く、ちょっと謹慎している・・・のかもしれません。自然の偉大さ、あるいは意地悪さに再度気がついたのかもしれません。このあたり、日本人の特異な分野のような気がします。何か、新たな国際関係のきっかけにならないかなぁ、例えば看護という、人の健康―社会的なそれをも含むケアの手段が、コロナ後あるいはコロナと共に生きる時代を癒す手段となるかも、と思いました。

しかし、最大に変化していたのはWHOのメインビルディング、私の勤務時、1990年代末の頃とは全く異なります。8階建ての本館はがらんどう!!近々、取り壊して改築されるそうで、現在はメインビルの1階の受付部分だけが、まだ、機能していました。3年前までは、かつて執務した6階のモンブランが見える部屋あたりをうろつけたのですが、その楽しみは消えました。が、新しいビルのホールで、2期目の事務局長を務められるテドロス事務局長や旧知の方々に、偶然お目にかかったり、財団の創設者 笹川良一翁の、新しい設置場所で、記念撮影させて頂きました。