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何のための戦争・・・ウクライナの1年

“Seventy‐one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself. (71年前、雲ひとつない明るい朝、空から死が降ってきて世界は変った。閃光と火の壁が都市を破壊し、人類は、自らを破壊する手段を持ったことを示した。)”と、2016年5月27日、現職アメリカ合衆国大統領として、初めて広島の地を踏んだオバマ大統領は演説をはじめました。

それから6年弱、昨年の今日、2022年2月24日、ロシアが隣国ウクライナに侵略戦争を仕掛けました。ロシア側の言い分は、拡張するNATO(北大西洋条約機構)に脅威を感じた・・・2014年のクリミア半島他の併合も今回の襲撃も自己防衛としています。でも、でも、でもと私は云いたいのです。棍棒をもって、銃を持って侵入してくる人、戦車で乗り込んでくる人、何の抵抗もしていない人々が暮らす建物や学校、医療施設にミサイルを撃ち込んでくるような隣人と、一体、誰が仲良くしたいと思うでしょうか?

しかし、一方では、ロシアが何とかウクライナを支配したい・・・「併合」せねばと思う理由もたくさんある・・・近頃はやりの地政学の考えもそうですが、それを民主主義と社会主義の戦いと単純化できるほど、この地域はすっきりとはしていない、と私は思います。現在キーウとよばれるようになったウクライナの首都こそ、かつてのロシア帝国の発祥の地でありました。ほんの数人の知人ですが、ウクライナ人の多くは1、2代さかのぼるとか、息子のお嫁さんのお兄さんのお嫁さん程度に親族を広げれば、ロシアにルーツを持つ方々はっかなりいらっしゃる。だからこそ、この戦争、攻め込まれる一方のウクライナはロシア領土を攻めてはいませんが、自国領土内での防戦と侵略しているロシア軍への攻撃、何だか、よく判らない・・・戦争です。

この1年、ゼレンスキー大統領が国際社会に武器支援を要請される姿を見ない日はなかったのですが、武器に武器・・・火に油を注いでいないか・・・とふと思います。その昔、紛争地勤務の際、見ていたイギリスロンドン拠点の国際戦略研究所(IISS International Institute for Strategic Studies )発表の毎年の軍事データ「ミリタリーバランス」によりますと、当然ですが、ロシア兵士数は、2021年には予備役動員され計290万人、現役が増えています。一方、ウクライナは総動員して109万人。国際社会は人道的援助にもまして、多数国がウクライナに武器支援を行ってきました。そして、その結果、ウクライナでは兵士だけでなく一般住民の血も流れ、そしてロシア兵士の血も流れています。確か戦争が始まった頃、ロシアの戦費は一日2兆円とか3兆円と耳にしましたが、その1/10、1/100であったとしても1年間に費やされた経費は、失われた人命とともに取り返しがつかないだけでなく、何をもたらしたのでしょうか?

太陽と北風の寓話を思い出します。そのコートを剥ぐために北風が激し吹きますと、旅人は一層しっかりコートを身にまとい、太陽がポカポカしますと、旅人はアア、アッタカイ!とコートを脱ぎます。もしロシアが、ウクライナを味方にしたいと思って、戦争に費やしたと同額を、良い建設的なことに投じていたら、何が生じたでしょうか?

保健医療系を含む国際ジャーナルに、ロシアによる軍事侵攻から1年経ったウクライナを主題とした論文がたくさん出ています。ここでは、去年の7月発行で少し古いのですが、保健医療系の論文を紹介します。「ウクライナにおけるロシアの戦争-健康と人権の荒廃 “Russia’s War in Ukraine — The Devastation of Health and Human Rights”」 July 14, 2022 Engl J Med 2022; 387:102-105 DOI: 10.1056/NEJMp2207415

(以下引用、筆者翻訳)短期間のはずが長引き、ロシアの戦略は変化して消耗戦化している。欧米系組織やインフラの攻撃し、国民の生存と国家としてのウクライナの将来、そしてNATO(北大西洋条約機構)加盟国がロシアの核脅威を回避するための自制にも不穏な影を落としている。突如始まった侵略はウクライナの兵士だけでなく民間人に死と膨大な苦難をもたらしている。1年間に、710万人以上が国内避難を余儀なくされ、約530万人が国境を越え他のヨーロッパ諸国に避難した。戦争は大規模人道対応を要するが、激化したロシア攻撃により、対応時間が限られる。

1990年代、医学他の科学者は武力紛争への対処を研究した。戦争の真最中でも、多数者の緊急避難により人道対応が必須なこと、武力紛争の人権に関する国際法的見解も検討した。

他の戦争の初期同様に、ウクライナでも治安は不備で、情報は不正確で不完全で、制度は機能不全で、避難に伴う間接的遅発性健康障害もあって、正確な病気発生率や死亡率が判らなくなった。2022年6月20日までに、国連はウクライナ民間人の死亡は4,569人、負傷者は5,691人とし、そのほとんどは大砲、ミサイル、爆弾など広範囲に影響する爆破兵器の無差別攻撃が原因とした。しかし死亡も負傷者も実数はもっと多いはずだ。CNNによるとマリウポリ市当局は、2022年5月25日までに、少なくとも市民22,000人が殺害されたとしている。近年、他の紛争地でも発生する医療施設と医療従事者攻撃は、瞬時の人的被災のみならず、医療そのものが利用できなくなる悪影響を及ぼす。2月24日から6月24日の間にWHO(世界保健機関)は医療施設323が攻撃されたと報告している。

ウクライナの国民の罹患率と死亡率のかなりの部分は、強制避難と食料や水の供給不足、医療や公衆衛生施設その他民間インフラが損傷され衛生状態が悪化した上、医療は不備で予防接種も中断なされるなど、生活環境悪化によることは疑いもない。戦争中はコレラなど下痢性疾患や、はしか、またCovid-19や結核など呼吸器疾患のリスクが特に高くなるが、さらに薬剤耐性も戦争中に増加することもある。

他の大きなリスクは栄養障害だ。特に、乳幼児には深刻で、身体的だけでなく認知発達にも悪影響を及ぼすし、他の病気にも罹りやすくなる。ロシア軍は、意図的にウクライナの農業を混乱させ、食料の貯蔵流通を混乱させ、結果として食料配布を妨げてきた。さらに間接的には、ウクライナだけではなく、世界全体にも危険性をもたらしている。農地や農産物特に穀類貯蔵施設を攻撃したり食料輸出を封鎖したりで、ウクライナからの穀物に依存している低・中所得国の栄養障害が増加する原因となっている。

妊娠合併症、妊産婦死亡、未熟児と低出生体重児そして新生児死亡率も母子保健が機能しないことで増加する。一部のNCD(非感染性疾患、生活習慣病)も増え、医療や必須医薬品が利用できないことで既存症例も悪化する。さらに、紛争そのもののトラウマだけでなく、家族離散、愛する人の死、雇用や教育の機会喪失、強制移動、残虐行為の目撃などで、うつ病、PTSD(心的外傷後ストレス障害)その他精神的行動的障害が増えるなど、短期的長期的メンタルへの影響もある。さらに長期的に、男性人口の大幅減少、女性の大規模移動や世帯主の地位変化などが数十年にわたってウクライナの人口、年齢性別分布と家庭の在り方に影響を与えるだろう。

また、ロシア軍は広範な環境破壊を引き起こしている。武器による爆破火災は周辺に有毒ガスや粒子状有害物質を散布する。原子炉の安全性も脅かされている。産業施設の破壊によって、水や土壌を汚染している他、黒海でのロシア軍の活動は、海洋生物の大規模汚染と混乱を引き起こしているとの報告もある。対人地雷やクラスター爆弾および不発弾は短期的にも長期的にも健康と安全の脅威である。

戦争は、人類全員に最重要関心事である人権と国際人道法に対する違反である。
ロシア軍は病院、学校、民間人居住地を標的にし、非武装民間人を処刑、女性をレイプ、子ども307,000人を含む190万人をロシアに強制送還している。ロシアは都市、町、農地、森林、水源に広範な被害をもたらしており、直ちに戦争が終わっても、長くウクライナを苦しめるだろう。

2022年2月28日、国際刑事裁判所(ICC)は、ウクライナ政府要求に基づき、同国内の潜在的戦争犯罪に対する管轄権を発表、続いて3月2日、ICCを創設したローマ規程39署名国政府も正式に要求した。しかしICCは2018年に侵略戦争の国際人道法犯罪に対する管轄権を引き受ける際は、ローマ規程署名国にのみに適用との規定を定め、ロシアもウクライナも署名国ではないため、戦争犯罪の起訴と賠償は複雑であり、実施されるまでに何年もかかるだろう。

ウクライナの国も地方政府も、また国連人道支援機関も多数の国々も、ウクライナ国内そして外国に避難した人々に、食料・水、避難所、医療その他民間人保護をも含む、多様な人道支援をしてきた。また、国内でも、政府機関やNPOが避難民、家に留まることを選択または強制された人々を支援している。が、民間人を危険から遠ざける保護の困難さはよく判っている。ロシア軍が民間人を捕らえ処刑し、居住地近傍を爆撃したことで、自宅残留を選んだ人も多いが、食料や安全な水配布が制限され、自宅や近傍での滞在はとても困難になった。それでも50人が死亡したクラマトルスク鉄道駅の爆撃など、移動中の民間人への致命的攻撃があったし、出国希望する民間人のための安全路確立も不可能に近い。特に東南部と東部では、マリウポリ他の都市への長距離ミサイルと砲撃による焦土作戦で民間人保護はきわめて困難になっている。居住地攻撃は、民間人殺害と医療施設や教育機関への被災を増大させている。

同時期に、人道支援も大幅に拡大し、多数国がウクライナ難民を受け入れた。にもかかわらず、2022年4月下旬以降、ロシアは、専門的技術者、サプライチェーン、兵器工場などを執拗に攻め、ウクライナをせん滅させようとし、紛争は消耗戦化している。このような残忍な戦術は遠距離の強力無差別殺傷武器を用いている。ロシアは、また、ウクライナが海を活用することも妨害している。

このような困難な時期には、ウクライナが必要とする人道支援を増し、ロシアの戦争犯罪証拠を収集保存するためのウクライナの地方、国そして国際的取り組み支援が不可欠だ。そして、この危機を利用し、核兵器によってもたらされる深刻で人類の存亡にかかわる脅威を熟考し、対処することも不可欠だ。

進行中のウクライナへのロシアの侵略は、戦争が持つ壊滅的な健康被害の結果を示す、最新の証拠を示している。ロシアは、以前にも、チェチェンでの破壊、シリアでの医療施設と近隣住民居住地への爆撃を隠している。国家とその国民は、この危険な状態を終えるために不可欠な行動をとるが、保健医療専門家は、現在の犠牲者のニーズに対応するだけでなく、戦争というものが、如何に破壊的壊滅的で、長期にわたり、つまり、何世代にもわたって人間の存在と健康に影響するものであるか、そして今、私たちにはそれを防ぐべき責任があると信じている。