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マスクよ さらば!

『武器よさらば(“A Farewell to Arms”)』は、1929年に出版されたアーネスト・ヘミングウェイの小説です。舞台は、イタリア兵に志願したアメリカ人が、イギリス人看護師とめぐり逢い、戦争に絶望して逃避行します。が、出産によって赤ん坊も女性も亡くなってしまいます。第一次世界大戦時、イタリア戦線での従軍記者としてのヘミングウェイ自身の経験が小説のベースとなっています。その昔の高校生の頃、ヘミングウェイやサマセット・モームが副読本で馴染み、その後も、『日はまた昇る』、『誰がために鐘はなる』、『老人と海』など熱心に読みました。が、長じて、紛争地での仕事を経験した後に『武器・・・』を読み直した時、明らかに反戦小説ではあるのですが、主題は二人の恋愛にあるようにも感じました。

第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日までの4年3ヵ月、人類が初めて経験した世界戦争です。ドイツ、オーストリアにオスマントルコなどいわゆる帝国主義的国家群と英仏露を中心とする、当時としてはやや開放的な国家が、ヨーロッパを中心に相闘ったのです。日本は、英仏露側でした。世界大戦と云いながら、主戦場はヨーロッパ、それまでの二国間戦争に比し、多国間の戦いだったことは事実です。そして初期の飛行機や潜水艦、毒ガスが使われた最初でもありました。

この戦争時に、これも人類初のつくパンデミックが生じました。「スペインかぜ」とも呼ばれるインフルエンザの世界的大流行でした。そのスペインは、第一次世界大戦に参戦せず、中立を守っていました。中立だったが故に、スペインが、ヨーロッパでの大流行の発祥地にされてしまった次第はこうです。

戦争の趨勢は、1917年にアメリカが英仏露側に参戦し次第に決着がつき始めたのですが、当然、アメリカ軍部隊が陸続とヨーロッパに渡りました。1918年3月4日、アメリカ・カンザス州の陸軍基地で若い兵士が発熱・頭痛・咽頭痛を訴えたとの記録が、最初の「スペインかぜ」の報告とされています。実際には、それ以前にも同様の発病者がいたはずですが、この兵士が最初とされる理由は、同日、100名以上が同じ病状を訴え、しかも数日内に500名以上が発症した際の最初だったからと考えられています。

当時のアメリカは、前年の参戦以降、派兵のためにカンザス州の基地を訓練場にしていたのです。カンザス基地で訓練を受けた兵士を通じて他の基地に、そして中立であったがために米兵のヨーロッパ基地となったスペインにも伝搬しました。記録によりますと、1918年4月頃、カンザス州付近やヨーロッパに向かう兵士が集結した東海岸、そしてフランスでも流行が認められています。やがてスペインは言うに及ばず、フランス、イギリス、イタリアからロシア、敵側のドイツ領にも広がり、1ヵ月後には、北アフリカやインドからわが国にもおよび、わが国では「大正かぜ」となりました。さらに中国、オーストラリアにも達しました。こんな事態下に、「スペインかぜ」と呼称されるようになったのは、中立だったがために、スペインでは報道が自由で詳しい状況が報じられたこと、当時の国王までが罹患されたために、国民の関心が高まったに対して、戦争下の諸国では、兵士の発病など報道はできません、規制から、実態が判らなかったという事態もあったそうです。いずれにせよ、この第1波の死亡率はそれほど高くなかったとされていますが、前線で闘う多数兵士の感染が戦争の消長に影響したことは事実です。結果として、1919年1月から2020年2月頃のわが国での最後の流行を含む第3波で、当時の人口約19憶とされるなか5億人が感染し、5,000万から1億人以上が死亡したとされる「スペインかぜ」の写真を見ますと、やはりマスク姿です。

たかがマスク、されどマスクの3年間でしたが、「マスク着用 “3月13日からは個人の判断で” 政府が決定」(2023.2.10 NHK特設サイト 新型コロナウイルス)との報道が出ました。来週からです。西洋諸国に比し、マスク親和性の高いとされる東南アジアですが、香港も、先般、
“Hong Kong to Lift One of World’s Longest Mask Mandates After Almost 3 Years(約3年ぶりに、香港が世界最長のマスク義務を解除する)”(2023.2.27 TIME)との記事が週刊誌Timeに出ています。

では、一斉に、マスクよさらば!になるでしょうか?
さる1月、2021年開始のSasakawa看護フェロー海外留学奨学金事業に関連する大学を、駆け足ですが表敬するためアメリカに参りました。お目にかかった5大学の学長、保健関連学部である公衆衛生学部、ポピュレーションサイエンス(人口科学)、看護学部などの関係者との面談は、室内でもありましたが、全員、マスク姿(ブログ「2023.1.18 それぞれのマスク事情 日本とアメリカ アメリカ出張-その2」参照)、また、関連の病院のみならず、大学の建物、特に図書館やカフェテラスなど、多数者が出入りする施設の入り口には、ほぼ、「マスクして下さい“Mask Please”」的指示とともに、ディスポマスクの箱が置かれていました。が、もちろん、キャンパス内でも戸外はフリーでした。

要は、私たち個々人がたむろする場所の感染の危険(リスク)がどの程度かを自己判断して、マスクの装着を決めればよいというのが、今回の決定と理解したいと思います。強制ではない・・・

ただ、私どもは、自分の安全だけを考えがちですが、自分がリスクを持っていることも忘れてはなりません。つまり、他人から感染することを避けるだけでなく、自分が感染したかもしれない時には、まず、出歩かないこと、仕事や学校を休むだけでなく、おかしいな?と思うなら、例え、99人がマスクなしでも、自分一人はマスクをつける勇気が必要です。

少しずつ「マスクよさらば!」がふえつつ、第〇波という山を作らないことが大事です。
ちょっと余計な一言ですが、何もかも「お上頼り(死語ですが、実態は政府にしてもらう、決めてもらう姿勢が多い・・・)」にならない、自分できちんと判断できる、そんな自立心と公徳心のある国民になりたい、何でもtop-downこそ、さらばにしたいものです。