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日本のお詫びは、ややこしいアートだそうです。 BBCの記事から

少し前ですが、8月の初めのBBC(英国放送協会 British Broadcast Company)のネット情報で、面白い記事をみました。(BBC 20180806)

タイトルは、日本の「お詫び」はややこしいアートである(The Complex art of apology in Japan)というのです。著者は、観光や旅行関係のコメントを書いているEmma Cookeです。

出だしは、ホントにあり得ないような外国人の経験です。「12時間のフライト後、成田空港から新宿まではバスで移動し、夜中の1時に、ネット予約したAirbnb(エアビーアンドビーとよむ。民宿など各地で宿泊施設を提供する人向けのウェブサイト。世界190カ国以上の33,000都市で80万以上の部屋を提供しているアメリカ サンフランシスコを本拠地とする非公開会社)で選んだアパートに着いた。番号合わせで開く郵便受けに鍵を入れておくと知らされていたが、その番号では郵便受けは開錠できなかった。で、チャールズ・ディケンズの「オリバー・ツイスト」に出てくるスリのように、狭い隙間から手を入れて鍵を取り出した。」

事は夜中の1時過ぎ・・・続きです。

「鍵でドアを開けると、寝間着姿の女性とその娘が、驚いて私たちを凝視していた。」間違った部屋でした。

あなたなら、こんな時どうしますか?

「その親子は、私たちを怒鳴ったり、警官を呼んだりする代わりに、20分間も、なんとかして、私たちの探しているアパートの正しい住所を探す手伝いをした・・・・私たちは一言の日本語も話せず、二人は一言の英語も話せなかったのに」結局、予約したアパートの住所が分からなかったので、日本人親子二人は、礼儀正しく、私たちに謝った。夜中に、部屋に押し入った外人に対して!」

以下、日本語の謝罪の言葉についての論評です。

日本語の謝罪の言葉は多様で、日本に滞在する外人にとって、謝罪とは、ある種の生活様式のようなものに見えているのだそうです。

日本には、非常に多数の謝罪の表現があり、一説では、少なくとも20はある・・・・

スミマセン。ゴメンナサイ。アヤマリマス。ユルシテクダサイ。オワビシマス。モウシワケナイ。カンベンシテ。カンニンネ。ワルカッタ。シツレイシマシタ。ドーモドーモ。これで11個ですが、後9個!!

以下、Emma Cookeさんの日本のお詫び文化の論評に引用されている例です。

コーネル大学で日本語学の学位を受け、JALで15年働き、日本に通じていると思われるローリー・イノクマによれは、「すみません」は「ありがとう」の代わりではなく、「『ありがとう』の意も含んでいる表現とみなされているようです。ですから、「すみません」のうち、本当のお詫び(謝罪)の意味で用いられるのは、精々10%程度、90%は、何と尊敬や礼儀正しさや正直さを示すために用いられており、thank youやsorryというのと同じように「すみません」は、だれかに何かをしてもらったときに、その行為に対して頻繁に用いる。「謙遜の意味が込められ、状況に応じて、謝罪になったり感謝になったりする」と。

『ジャポニスム』の著者で、日本の伝統が、どのようにより思いやりある暮らしを創り出したかに注目するエリン・ニイミ・ロングハーストの言葉の引用です。

「謝る文化があり、また感謝の文化がある。私の好きな逸話の一つに、英国人のおばが会議できた日本人女性の話がある。おばは、この女性を家族の夕食に招いた。女性は、きれいに包装された土産を日本から持参していた。私の幼い弟や妹への土産まであった。夕食への招待は直前にきめたのだが、この女性は、このような場合を想定して、(はるばる日本から)お土産と包装紙を持ってきていた。まったく信じられないことだった。」そうです。

「今年は、ワールドカップが開催され、このような礼儀正しさのすばらしい例が示された。決勝トーナメントの1回戦で敗退した日本チームが、試合の後でロッカールーム全体をきれいに掃除したことは大きく報じられた。さらに、チームはロシア語で「ありがとう」というメモを残していた。」

「もし、謝ることが日本人の礼儀正しさという大きな車の一つの歯車にすぎないのであれば、(日本人の)包括的な文化的概念はどこからくるのであろうか?」

「日本では、近所の人とうまくやっていくために、礼儀正しさが必要で、それは他人への敬意である、とイノクマはいう。東京では、新宿御苑に入るために、あるいは、桜の季節に目黒川岸に向かって、人々が礼儀正しく何マイルもの長い列に並んでいる。それを見ると、礼儀正しく並ぶことの大切さが納得できる。」

日本は、世界でももっとも人口の都市集中が進んだ国で、都市人口率は93.93%である。例えば、ロンドンの人口密度は5,729人/㎢に対し、東京は6,150人/㎢だ。しかも、住民の大多数が首都圏に集中し、毎日、240万人が都心に通勤している。首都圏で暮らす人の平均生活空間22㎡で、文字通り肘がぶつかるような狭さだが、東京中心部ではたった19㎡とさらに狭い。が、この現実を私たちは旅行中に泊ったアパートで実経験済みだ。アパートの部屋は塵一つなく居心地はいいが、信じられないぐらい小さい。限られた空間のなかでは、できるだけ思いやりのある振る舞いをするようになるのは自然なことであろう。」

「『だから、他人の空間への配慮が生まれるのだ』とロングハーストは確信をもって言う。日本の家庭を訪問するときには、必ず靴を脱ぐ。それは、外と内の区別だ。また、『お邪魔してスミマセン』『あなたの空間に入って来てスミマセン』という「迷惑」の気持ちがある。」

「しかし、このような礼儀正しさは、住環境への対応だけでは説明できない。都市を離れて、日本アルプスの静けさのなかにいても、人々は礼儀正しさを失わないどころか、より礼儀正しい。冬場は閉鎖されている上高地の谷を2時間もかけて歩いて登ったことがある。バスが運行している季節なら10分で行ける距離だった。歩いたことを後悔はしなかったが、作業員が車を止めて、乗りなさい、と言ってくれたときには、ほんとうにうれしかった。その前日、奥飛騨旅館へ向かうバスに携帯電話を忘れたことを長時間気付かなかった。携帯を見つけたバスの運転手が、「iPhoneを探す」という携帯の機能を使って、何時間も後に、旅館の住所を探して、わざわざ届けてくれた。」

「ジャパニズム」でロングハーストは、現代日本の文化と伝統の関係を探り、一般的な礼儀正しさの一部としての日本人の謝罪の文化が、気配りに由来すると述べている。『日本人の慣行の多くが、個人と自然界との気配りの関係で説明できる。例えば、茶道では、ある瞬間に人がどこに位置するかを認識することが大切だ。茶を点てるのだが、その行為はお茶を楽しむことだけではなく、部屋に飾られた生け花が季節を表し、壁の掛け軸が一年のうちのどの時期だかを示す。大切なことは、特定の瞬間に人がどこに入るかに気配りすることで、それが、人と人の交わりを通して認識される』という。」

「日本の観光地にある茶室は、このような考えの表象だ。京都の大河内山荘を散策し、竹の格子が入った窓からの景色を楽しみながら抹茶をいただく。自撮りカメラをもった人が群れる嵐山の人気スポットの竹やぶと比べて、大河内山荘には静寂のときがある。」

「東京では、Bar High Fiveのオーナーの上野英嗣が、日本では謝罪が気配りの一部だという考えをさらに掘り下げ、それは共感を相伴うものだという。『必要がなければ、日本人でも謝りたいとは思いません。でも、他人の身になって申し訳ないと思うから、声に出してその気持ちを表すのです。気配りには、身の回りの人に注意を傾けることが含まれますが、謝罪には、他人の気持ちを理解するという、より大きな情緒的な能力に由来します。』」

「日本の犯罪率の低さが、この点を証明している。日本は世界でも、もっとも殺人率が低い国である。上野によると『日本にも犯罪はある。私たちは聖人君子ではない。しかし、道に財布が落ちているのを見付けたら、たいていの日本人はそれを交番に届ける。財布を失くすとどんなに困るかを知っているからだ。もし、自分が財布をなくしたらと考えると、どのような行動をとるべきかが分かる。このことを私たちは幼い子どものときに学校で学ぶ。』 これは鶏と卵の話だ。他人の気持ちを思いやる文化は道徳から生まれるのか、その逆なのか。日本では1958年から、子どもたちに学校で「道徳教育」をして、みんなのために協力することの大切さを教えている。この概念はサムライに由来すると言われている」。

「『この考えは、歴史的にサムライ文化と結びついているが、集団力学を大切にすることに由来し、他人のためになることをするという考えとも関連する』とロングハーストは説明する。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の際に福島第一原子力発電所の対応業務に従事していた人員のうち、同発電所の事故が発生した後も残った約50名の作業員の集団「フクシマ50」について考えるだけで十分だ。」

「日本では、謝ることは万能薬で、独自の複雑な言語に洗練された形で組み込まれている。しかし、言語は日本のより広範な文化の鏡でもある。日本では、『すみません』は、礼儀正しさ、尊敬、道徳の複雑な混合物への窓であり、人口過密な島国での暮らしの現実によって、ある程度説明することができ、また、自分がしてほしいと思うように他人に接するという生き方で説明することができる。文化と言語は複雑に絡まり合っている。『夫によると、礼儀正しさと尊敬は日本人のDNAに組み込まれている』とイノクマはいう。」

とても面白い論評ですね。

なるほど、私たちは、外からはこんなふうに見られているのか、と思います。が、

Emma Cookeの結論は、以下のとおりです。

「しかし、私には上野の説明が分かりやすい。『人は正直で親切で誠実でなければならない。』そうじゃないですか?」。

最後までお読み下さって、有難うございました。