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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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Korean Cultural Center 駐日韓国大使館 韓国文化院

毎日のように、通勤で新宿区四谷にあるKorean Centerの前を通ります。長らくの日韓関係のせいでしょうか、夕方以降も、ビル全体に明かりがついていることはほとんどありませんでした・・・そのような印象が強かったのですが、先週の尹錫悦(ユン・ソンニョル)韓国大統領夫妻の訪日の前後には、夕方、ビルの壁面を彩る映像がありました。

韓国は、日本に一番近い外国です。そして、一時の韓流ブームはついて行けない盛り上がりでした。私の縁者にも、それが故に韓国語を修得し、毎週のようにソウルに飛んでいた女性がいました。政治や国際関係と庶民の感情は別・・・もっと仲良くやってゆきたい国なのに・・・なぜ、上手く行かないのか。ま、かつてこの国を抑圧した側の私どもが申しても、詮無い話なのでしょうか。

韓国とのご縁はそれほど深くはないのですが、色々あります。公的には、かつて勤務した日本赤十字九州国際看護大学時代、学長として最初に姉妹提携をしたのが当時の大韓赤十字看護大学でした。同大学学長は、高名な金慕妊(モ・イム・キム)先生(Johns Hopkins Bloomberg School of Public Healthより)。看護師、また公衆衛生専門家として国会議員、保健大臣を務められた超大物学長でしたが、たまたまジョンズ・ホプキンス公衆衛生大学院の同窓であり、また、同じく赤十字に属する看護大学同志の連携の初めてとして、親しく交流させて頂きました。先生は、かつて会長を務められた国際看護師協会(ICN)に、先生のお名前を冠した賞を設置されましたが、2017年のバルセロナでのICN総会でお目にかかりました。ちょっとこぼれ話・・・キム先生と姉妹提携の話し合いが続いた頃、一定時間になるとホテルのお部屋に戻りたいと仰せでした。なぜ?の理由は、わが国で一世を風靡したTVドラマ『おしん』をご覧になるため、私どもは「センセイ!オシンの時間です!」と。

ソウルをご案内頂いた時には、歴史的な建物について、あなたの先祖が・・・襲撃した場所・・・などと、少し皮肉をこめて解説下さいました。

福岡県在住だったその頃、時折の日韓/韓日交流で、ちょっとはまったのが「パンソリ」でした。元々は巫女のお祈りだったとも伺いましたが、ユネスコの無形文化遺産でもあるパンソリは、もちろん、言葉が判らないのですが、とにかく興味深い伝統的民俗的かつ口承芸能だと思いました。大きな扇をもった一人の謡手が太鼓を伴奏に、物語を語ってゆく・・・たったそれだけなのですが、演者の技量というのでしょうか、人間国宝のような方のお弟子様の公演では、確かに感動しました。そういえば、東京では鑑賞の機会がないですね・・・

日本赤十字九州国際看護大学が所在する宗像市は韓国南部の玄関的都市釜山に隣接する金海市と姉妹都市(宗像市公式ウェブサイトより)だったので、表敬訪問したことがあります。金海市は、第16代大韓民国大統領廬武鉉大統領のご出身地ですが、この地の博物館で、勾玉〈マガタマ〉は朝鮮半島南部と日本では松江あたりから西の方にしかないと知りました。

今回、就任後初めてわが国を訪問された尹錫悦(ユン・ソンニョル)韓国大統領の、17日のツイッターには、前日の韓日首脳会談について「普遍的価値を共有する最も近い隣国である両国の国民に、韓日関係の新たな出発をお知らせでき、意味深く思う。」と投稿されています。そして、「未来世代のために、さらに明るい両国関係を築けるよう、一緒に努力してゆきましょう。」とも記されています。

日本と韓国という物理的にもっと近く、また、歴史的にも深く絡み合っている二国の関係は、長年、穏やかなものではありません。侵略や併合、政治的な問題、経済的対立も否定はできません。でも、何とかなって欲しいと願っている人々は、どちらの国にも大勢いらっしゃると、私は実感しています。両国の首脳が、話し合われたのは安全保障や外交、経済などなど、庶民には少しく縁遠い話題でした。それらももちろん大事です。が、それらがうまくいったらすべて両国関係が良くなるわけではないと思います。国と国の約束は大事、「不幸な歴史を克服し、新たな協力の時代を開く第一歩・・・」は基本の中の基本です。周辺には、日常茶飯事のようにミサイルをぶっ放す国もあります。のほほんと平和を希求しているだけではダメなことも事実です。

しかしながら、二つの国にわだかまっている「強制徴用」や「慰安婦」の問題・・・何度も繰り返している金銭的な補償、それも必要です。が、それよりも何か・・・うまく言葉にはできませんが、あちらの求めておられることにこちらがフィットしていないような気もします。言いなりになる・・・というのではありませんが、何かポイントがずれているような気がします、私には。そして、かすかに第二次世界大戦を記憶している私世代、今も生きている私(たち)が、そのことをどう考えているのか、そのあたりをどうすればよいのか、そんなところが気になっています。ホントにどうすればよいのでしょうか?

こんなことを書くと、いわゆる炎上するのかもしれませんが、かの国で、元〇〇とされる方々は、皆、お年を召しています。私より、少し年長です。私の身内、知人が、もし、どこかの国のどなたかを痛めつけていたら・・・いえ、もし私がその時、どなたかを痛めつけたオトコであったかもしれず、そして、私がその痛めつけられた元〇〇であったかも知れない・・・歴史とはそのような繰り返しではないでしょうか。

慰安婦・・・わが国でも、米や塩など生活必需品とともに女性を送り出した・・・と、何かで読んだかすかな記憶があります。どこかの国の誰かではなく、私の国のある人、私にも起こった事態なのです。戦争とはそんなものだから、と言い訳するならば同じ事は、必ず、また繰り返されましょう。断片的な知識で書くことはご法度ですが、元慰安婦のお一人は、「日本(国民)には謝罪を求めないが、首相は見える形で、謝罪すべきだ!」とも仰っています。具体的に、どうすればよいのか・・・

外交的政治的に、「今後、措置の実施とともに、両国間の政治・経済・文化などの分野における交流が力強く拡大していくことを期待する」・・・それはそれで是としましょう。でも、また、数年したら、今と同じことが起こらない保証を、今度こそきちんと担保できるように、私は、何をしたらよいのか・・・

わが国との関係改善を訴えて大統領選を勝ち抜かれた尹錫悦韓国大統領の訪日を機会に、良い解決策が生まれて欲しい、また、どなたか考えて、教えて欲しいです。