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香港と香港ジョッキークラブ-1

先週は香港でした。

香港を訪問した最初は1987年、北京の中日友好病院に勤務中、当地の友人に誘われて参りました。大昔でした・・・「キィタ!」とその友人は、私を呼んでいました。「入れないかもしれないけど、行ってみよう!」と、「貴婦人」とも呼ばれる、かの有名なThe Peninsula Hong Kong ザ・ペニンシュラ香港に参りました。二人とも、ちょっと胡散臭い格好をしていたからかもしれませんが、丁重にお断りされました。そんな時代でした。現在は、東京を含め、世界10ヵ所に同ホテルが存在するそうです。

雨の香港
美しい港

さて、香港/Hong Kongは、中国こと中華人民共和国南部の一地域ですが、現在は特別行政区となっています。この地域、1839~42年のアヘン戦争の後、南京条約で大英帝国に割譲され、翌年から、大英帝国の香港総督が統治したのです。

アヘン戦争、正確には第一次アヘン戦争・・・この歴史的な戦争を一言で説明するのは不可能ですが、要は、産業革命を経て、世界唯一の工業化国として繁栄の絶頂期にあった大英帝国の傲慢さ・・・による侵略、いやがらせと私は思っています。なんせ、ヴィクトリア朝(1837~1901)期には、世界の陸地の1/4は大英帝国の植民地、他者の住む地を「東インド株式会社」に管理させたり、世界各地に、祖国の王室に由来する命名をしまくったのですから、「太陽の沈まない国」の傲慢さ・・・と云ってもいいと思っています。その大英帝国は、清朝中国から、茶、絹、陶磁器を大量に輸入していたそうですが、逆に中国側が輸入するものは時計や望遠鏡と云った贅沢品で、それほど多くはなく、つまり貿易不均衡が生じた。そのため、大英帝国は、インドで栽培していた?アヘンを投入したというのです。麻薬です。そんなものが外国からどんどん入ってきたら困るのは当たり前、時の道光帝(清朝第8代皇帝 1782.9.16~1850.2.25)は、最も優れた対処法を提案した高官林則徐(困難な特定事項につき、皇帝の全権委任を得て対処する臨時の欽差大臣職を2回も務めた官僚 1785.8.30~1850.11.22)を用いて、アヘンの流入に対処しました。今のイギリスなら、絶対にしないことですが、それでも強引にアヘンを売り続けた上、何と大英帝国は清朝に武力攻略をしかけました。端的に云いますと、清朝は敗れ、香港は植民地となったのです。まず、最初に香港島が割譲され、1860年には九龍半島が割譲され、1898年には新界とよばれる地域を含め99年間もの租借が決まりました。つまり、香港は清朝そして中華人民共和国の一部でありながら、大英帝国、後にはイギリスの支配下にあったのです。ですから、色々な制度は英国風・・・人々もほぼ英語を話されます。

日本との関わりでは、1939年の第二次世界大戦欧州戦線に続き、わが国が太平洋戦争に突入した後、1941年には、日本軍が香港駐在イギリス軍を放逐し、かの地を占領、日本陸軍中将が香港軍政庁長官に就任していいます。が、45年、日本が敗れた後、再びイギリス植民地に復帰、1950年、イギリスが新生中華人民共和国を承認した後、国交が再開されました。1974年には、英語に加えて中国語も法定公用語となりました。1984年には、イギリスのマーガレット・サッチャー首相と中華人民共和国の趙紫陽総理が「英中共同声明」に署名し、来る香港返還が現実化しました。

1997年7月1日、イギリスから中華人民共和国への返還に伴い、香港特別行政区政府が設立されました。この時、中華人民共和国政府は、50年間は香港体制に干渉しない(一国二制度)体制を約束しましたが、ま、色々あります。時々、かの地では、自由と民主主義をまもるため、そして天安門事件の記念日(6月4日)にもデモや集会があります。でも、いずれ・・・と心配する人々は少なくなく、1987年にペニンシュラホテルに連れて行ってくれた現地の知人は、香港返還の前に、一家でカナダに移民しました。

現在の香港は世界中から多数の観光客が訪れています。そもそも港湾都市ですから、海辺の景色は抜群ですが、都市化した中の自然、歴史との調和とでも申しましょうか・・・近代化やモダンさと自然や古さのバランスが興味深いように思えました。ま、物価は、安くはありません。そして、さして広くない地域(1,104平方キロメートル 、東京都の約半分)に749万を超す人々が住んでいるのですから、林立する高層アパートは圧巻です。世界的な経済都市でもありGDPは45,176USドルです。ちなみに東京23区は622平方キロメートルに、人口は957万人です。GDPは2018年に774万円・・・現在の円レートで53,400USドルです。

さて、今回の香港訪問は、香港ジョッキークラブという、競馬関連の慈善団体の国際会議にお招きを受けたことによります。詳細は、次に・・・