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戦争か紛争か

私たちは、災害に際して、災害そのものの規模ではなく、被災者の数・・・どれくらいの死者、けが人、時には行方不明者に注目します。災害の定義はありますが、すべからく人間とその居住環境に影響するものを云います。その昔、火星で爆発が起こっても災害とはいわない・・・なぜなら、火星に人は住んでいないと習い、また教えました。地震・津波、火山爆発、台風・サイクロン・ハリケーン、豪雨など私たちの意志が関与しないものは自然災害とよばれます。

進行中の武力紛争(wikipediaより)

ウクライナそしてパレスチナで起こっている事態は武力紛争ですが、正確には「戦争」なのか「紛争」なのか・・・以下に述べるように、ややこしいのですが、いずれにせよ人間の意志が関与して生じる災害を人為災害とよびますが、現在、世界には急に、相当数の人為災害がくすぶっているように思います。

まず、「紛争」です。紛争とは、複数者間のもめごとですが、国際的に紛争という場合は、武力行使が伴っています。その意味では、ウクライナも、パレスチナも、少し前のスーダンも、何年もブスブスしているミャンマーはすべて武力紛争です。1979年、旧ソビエト軍侵攻以来、東西冷戦の代理戦争の場であり、ムジャヒディーン(イスラムの聖戦士・・・実は集団武力リーダー)が跋扈し、タリバンが出現し、オサマ・ビン・ラディンがかかわり、カルザイ大統領からガニ大統領につながったものの、米軍を中心とする外国部隊の撤退であっという間もなく昔に戻った感のアフガニスタンも、一国内の武力紛争です。

思い起こせば1990年代に、難民医療の第一人者Mike Toole博士らと(ちょっと偉そうですが!) 紛争をめぐる状況を研究しComplex Humanitarian Emergency(複雑な人道的危機、CHE)の定義もどきを作ったこともありました。ただ、途上国での地域武力紛争の前には、政治的また経済的不穏状態があることもあって、Complex Political/Economical Emergency(複雑な政治的/経済的危機)などの言葉も出ました。

「戦争」という国と国の紛争の形が大きく変ったのはナポレオンからと云われています。そのことは、プロイセン王国(現ドイツ南部に発し、18~20世紀にかけてドイツ北部、ポーランド西部を支配したホーエンツォレル家が君臨した王国)の軍人で、軍事学校の校長もつとめたクラウゼヴィッツ(1780.7.1~1831.11.16)が、名著「戦争論」で、それまでの地域勢力の対立的だった「紛争」が国家規模のイクサになったとして、政治との関わりもふくめて戦争を分析考察したことで立証されているようです。
クラウゼヴィッツによれば、「戦争とは、政治目的を達成する為の手段である」のです。つまり、戦争は「他の手段」を持って行う「政策」の一部なので、戦争行為はある国が「政治目的」を達成するための手段として行使できるとしています。ウクライナ、パレスチナのガザ地区・・・判るような、しかしそれで良いのですか・・・ですね。

「縮訳版 戦争論」クラウゼヴィッツ,カール・フォン 著/加藤 秀治郎 訳
「孫子」浅野裕一 著

東洋では、有名な孫子があります。『孫子』とは、中国の春秋時代(紀元前770~453頃)の軍事思想家孫武(BC535 ~?)の兵法書(戦争の仕方の解説書、紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃に成立と推定)です。そんな太古の昔から戦争のやり方を研究していたのですね、人間は。ただ、それまで天運と思われていたイクサを記録し分析し、勝敗は運ではなく人為によるとし、勝つための指針=戦略を理論化したという書物です。戦いに勝つことを学ぶ・・・良いことなのか、迷いますね。

さて、戦争とは国と国の戦いとすると、ウクライナはそうです。しかし、ウクライナは侵略されている国土内では防戦し、侵略者ロシア軍と戦っていますが、ほとんどロシア領土に攻撃を仕掛けていません。でも、戦争なのですね。

パレスチナとイスラエルはどうでしょうか?イスラエルの国の成り立ちは、ちょっとやそっとでは、ハイ、なるほどとは言い難い、人種や宗教と地勢的歴史を適正に理解しなければならない難しいところがあり、かつて勤務したWHO緊急人道援助部では、誰もが担当したがらない・・・というか、難しさを痛感した地域です。が、一方のパレスチナ、特にガザ地域もそれにもまして微妙で難しい地域です。このパレスチナという「地域」は、2012年11月、国連非加盟オブザーバー国家の地位獲得に係る国連総会決議案を提出、わが国も賛成しましたが、2021年時点で138国連加盟国が承認する共和制国家であります。しかし決してその他の大多数の国と同列ではありません。領土は、いわゆるヨルダン川西岸地区とガザ地区で、国土というものが明確ではないような気もしますし、今回、イスラエルに奇襲をしかけたハマスは、パレスチナでは政党と認識されていますが、多くの西欧諸国にはテロ集団とみなされています。

国際法上、戦争は宣戦布告が必要ですが、ハマスの攻撃は奇襲、そして戦争時に適応される「戦時国際法」では、民間人攻撃の禁止、捕虜虐待の禁止、対人地雷の使用制限など、守るべき規約があります(強制力はない!!)が、そのあたりもややこしい。では、イスラエルとパレスチナ・・・戦争でしょうか?

1990年代、冷戦の一方の雄ソビエト連邦が崩壊した後、それまで表面に出ていなかった各国の国内対立が激化しました。それが、前述のCHEでした。第二次世界大戦終結後の1945年以来、世界規模の戦争は起こっていません。それなのに、数年、各地できな臭い状況が増えているのです。毎日惜しげもなく投入されている武器、爆弾や銃弾や戦車や戦闘機や、近頃ではドローン・・・それに色々な情勢を分析するためのAI力に費やされている経費、それに戦場の現場に出る兵士だけでなく後方支援の人件費、武器の製造者や運搬に要する経費・・・それらを攻撃先の人々の健康維持、増進、回復に使えば何が起こるでしょうか?

世界各地のCHEを観ていた頃、確かにそれに先立って政治や経済状態の不穏さが発生することを少なからず実感しました。今、わが国の、ちょっと悲しい現実としての経済的凋落ぶりのみならず、世界全体でも経済至上主義は曲がり角と仰せの方々もおいでです。しかし、それが世界的CHEの引き金になるなどとの悲観的見方はすべきでないでしょう。私たち人間の人知、人倫、人道を信じたい!けど、私たちは歴史から何を学んでいるのでしょうか。