JP / EN

Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

猫イメージ

在宅看護師たちの災害支援=「日本財団在宅看護センター」ネットワークの新しい試み

2024年も3月下旬ですが三寒四温という冬から春先向きの言葉どおりの気候、冬が舞い戻ったようです。改めて令和6(2024)年能登半島地震の犠牲者のご冥福を祈り、被災者のご健康と心安らかな日々、さらに一日も早い被災地の復旧・復興を切望します。

さて笹川保健財団が2014年に始めた在宅/訪問看護事務所の継続運営のための8か月の看護師研修を修了した仲間は、現在29都道府県でカンタキを含むさまざまな形の在宅/訪問看護事務所約160か所を運営しています。「日本財団在宅看護センター」ネットワークとしての緩やかな連携の下、日夜研鑽を積みつつ忙しい実務をこなしています。振り返れば、事務所数が数十に至った2018年頃、在宅ケア下の人々への災害時支援・・・特に広域互助が必要になろうと考え公開講座を開き、些少の災害時備品補給も行いましたが、新型コロナ発生後は感染症という災害対策に変更しました。ようやくそれが終わった・・・・1月1日の能登半島地震!

災害地石川県の県庁所在地金沢市にはネットワークの一員池川淳子氏が「訪問看護ステーションリベルタ金沢」を開設しています。発災後につながった電話では、すでにスタッフと利用者の安否確認は終わったこと、事務所に大きな物的被災はないと報告を受けました。しかし奥能登現地の状況はそれほどつまびらかではありませんでした。

数日後、まだ余震が続いていた頃、ネットワーク仲間にしかるべき時期にしかるべき現地救援活動を検討・・・と報知したところ、池川氏を含め、北海道から沖縄に至る仲間の少なからぬ事務所が協力します!と反応。ありがたいことでした!

自然災害の経過には特徴的な状況があり、災害サイクルと呼びます。発災に続く緊急時の優先事項は人命救助、次いで大規模避難進行の急性期、その後は避難行動ピークが過ぎ避難定着が始まる亜急性期、そして長い慢性期です。わが国では1995年の阪神淡路大震災以降、いわゆる災害医学が飛躍的に発展し世界をもリードしています。外国での災害では、いち早くJDR(Japan Disaster Relief Team 国際緊急援助隊)が派遣されますが、国内ではDMAT(ディーマットと読む Disaster Medical Assistance Team 災害派遣医療チーム。災害急性期活動に特化した機動性を持つ訓練を受けた医療チーム)が現地入りします。最近ではDPAT(Disaster Psychiatric Assistance Team 災害派遣精神医療チーム。自然災害や犯罪事件・航空機・列車事故など集団災害発生時のメンタルのケアを行う)もありますし、NGO/NPO活動も活発です。しかしどの災害も同じ顔はしていません。どちらかといえば多数外傷者対応に長けたDMATは津波や放射能による被災では十分力を出せないこともありました。しかし救援はそれら一つ一つの災害経験を糧として日々進歩しています。

災害そのものの規模もあります。2024年1月1日16時10分発生の能登半島地震の震央は珠洲市内の地下16 km、マグニチュード7.6は内陸地殻内地震としては稀な巨大さ、観測された最大震度は石川県輪島市門前町走出と羽咋郡志賀町の震度7、地震そのものの破壊力はいうまでもない・・・ですが、現地状況を把握した池川氏の情報、そして私どもが現地入りして実感したことは奥能登の平均50%近い高齢化率でした。被災の背後というか潜在因子としての高齢化が避難行動にも、おそらく、今後の復旧復興にも大きな課題となりそうなことです。

笹川保健財団の救援ユニフォーム姿の 池川氏と財団スタッフ
倒壊した家屋
道路の奥にも倒壊した建物

高齢化は、世界最先端の日本だけでなく、今や途上国でも課題のひとつですが、今次の地震も、「被災地の高齢化がこれほど顕著でなければ状況は異なったと思われる。日本の2025年、2040年問題が地震という自然災害で一挙に押し寄せた。早晩、どこにでも生じる高齢化の課題が瞬時に浮き彫りになった」と池川氏。

今回、在宅医療・看護や地域密着型サービスの中断・崩壊以外に、年齢や疾病の有無、さらに被災に関係なく、全ての人々には安全な居場所が必要なことが紛れもなく「公助」依存だった事実と、平時から「自助」「互助」を考えた緊急時対策体制作りが重要だったと実感したと池川氏。そして、平時には全ての人々の健康と生活を支えている在宅/訪問看護師こそ、常々、地域住民の「自助」「互助」にどのようにかかわるか・・・できれば自助と公助による居場所づくり支援も必要だったとの思いを強くしたと仰せです。そしてネットワークの出番です。

笹川保健財団では、池川氏の観察とご意見そしてそのお仲間の現地の状況も教えていただき、以下の2活動を考えています。まず金沢市内の「リベルタ金沢(1.5)避難シェルター(仮称)」です。次いで能登半島・・・多分、輪島あたりでの「リベルタ金沢災害救援サテライト(仮称)」、いずれも現在の亜急性期から今後の慢性期への対策と考えます。

まず、【シェルター】の骨子は1.5次あるいは1.75次避難所ですが、諸般の状況を鑑みて、長期滞在をも視野に入れねばならないと考えています。理由は以下・・・
地震でほとんどの家屋が損壊した地域はライフラインもズタズタ、崩壊した道路に積雪、かなりの期間孤立した小集落もありました。そんな中、寒冷と余震と不安の中で多数が県内各地に避難されました。発災80日後の現在、その数は1/3に減ったそうですが、まだ1万人近い方々が避難生活を余儀なくされています。県は被災地のライフライン回復状況から自宅復旧や仮設住宅入居までの間の生活環境を確保するため、被災地の「一次」避難所から被災地外の「一時的」避難施設やホテル・旅館など「二次」避難所定着までの間の滞在施設として「1.5次」避難所を用意しました。現実問題としてそこから先への移動がむつかしい方々が相当数おいでなのです。

現状把握が進んだ池川氏は、加齢、健康不安、持病から仮設での独居や老々生活が心配な人々は、密な人間関係があった従来の居住地とはすっかり環境が変わる仮設住宅移住には不安と危惧を持たれる方が多く、「1.5次(1.75次)」避難所からの離脱困難を予測します。実際、高齢化著しい避難者は簡単に定着場所が見つからず、新たな生活環境整備力や可能性が乏しい・・・というよりほとんどない。そして可動性に乏しい避難所の不活発な生活が長期化すればフレイル(frailty〈虚弱〉の訳。健康な状態と要介護状態の中間、身体機能や認知機能低下があるが、適切な介入=初期治療や予防で要介護状態への進行を遅らせる、予防できる可能性がある)やサルコペニア(sarcopenia 加齢によって筋肉の量が減少し筋力低下する状態)発生の危険性だけでなく生活再建意欲も沈滞し、さらに孤立し孤独化し・・・つまり病気以外の理由でさらに生活再建が危惧されると指摘します。

それに、「1.5次」避難所は制度上訪問看護が不可、そもそも医療行為もだめ。処方箋も出ない。ちょっとした予防投薬が不可能で、投薬のためだけに医療機関を受診や入院が必要。そして被災地付近の病床ひっ迫を起こしかねない・・・らしい。さらに避難所化した公共施設は本来目的に使えず、県全体の活性化もそがれる!せっかく福井まで新幹線が開通したのに、いまいち、経済活性化の足を引っ張っているとの懸念もあるそうです。そのあたりは馳知事にお願いするとしても、ある程度歳をとって自宅は倒壊、家族に犠牲者が出た・・・そんな経験をした方々が画一的な仮設住宅に入居されても、それが終の棲み処(ついのすみか)にはなりえない。なんとしても住み慣れた地域での生活が必要。だがインフラ再整備には時間がかかり、その間にさらに老いが進行する。どうすれば、将来の生活再建をイメージできるか、それが可能な心のゆとりの持てる環境を提供できるか、そんなことがとても大事だと池川氏も、そして私たちも考えています。

結果として、財団は全国のネットワーク仲間の協力も求め、長期化する避難生活の中で一人の生活=独居に不安を感じる方も多いので、最終的にはふるさと能登にお帰えりになれるまでの中間的施設=「1.75次」避難所としての「災害時後期緊急時支援シェルター」開設に踏み切ります。日本財団の支援を得て、早ければ、4月中、遅くとも連休明けには稼働させたいと考えています。

もうひとつは【サテライト】です。
今回の地震では、特に奥能登地域から多数者が避難を余儀なくされました。医療者も利用者も患者の多くも被災、やむを得ず能登を離れられました。当然、利用者やスタッフが減れば医療施設も介護福祉施設も縮小したり、閉鎖を余儀なくされたりします。でも、です。少数でも生活者が存在する限り、保健医療・福祉、看護は必要、必須なのです。また逆に、保健医療サービス、在宅/訪問看護や介護があるなら、住み慣れた地域に残りたい、早く帰りたい住民もおいででしょう。事実、可能なら被災地にとどまり、引き続き従来活動を続けたい保健医療者も実は多い。今回、能登に期間限定の訪問看護ステーションのサテライトを開設しますが、生活再建・ライフライン復旧までの支援拠点を作ることを通じて、地域復興の側面支援とともに、能登地方の保健福祉活動を自立して経営できる看護師の事業所開設につなげたい・・・これはネットワークの同業者支援でもあります。こちらは、池川氏の金沢市の拠点事務所のサテライトとして開設が進行しています。

この二つの被災地での活動の進行には、全国の「日本財団在宅看護センター」ネットワークからの人的協力を得るとともに、来るべき南海トラフや首都圏直下型地震への協力体制整備にも活用できればと思っています。