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ジョンズ・ホプキンス大学同窓会でのハーバード出身の偽息子の講演

過日、ジョンズ・ホプキンス大学(以下JHU)同窓会の講演会が開かれました。

JHUは、アメリカ メリーランド州ボルティモアにある、医学・公衆衛生だけでなく、色々な分野でも世界屈指の大学院大学です。例えば、世界最高の賞の一つであるノーベル賞では1919年に、政治学者であり、第28代アメリカ合衆国大統領を務めたWoodrow Wilsonの平和賞受賞に始まり、物理学、医学・生理学、化学、経済学と、文学賞以外のすべてで30名の受賞者を誇ります。

ジョンズ・ホプキンス大学医学部
ジョンズ・ホプキンス(1795 – 1873)

ノーベル賞の後で書くのは気恥ずかしいのですが、私は1990/91学年の後半学期と91/92年度の前半1/3を同大学の公衆衛生学大学院(SPH)で過ごしました(勉強しました!ではなく、滞在・・・です)。直前の職務(パキスタン ペシャワールでのアフガニスタン難民支援)で公衆衛生学知識の欠乏を痛感しての50の手習いでした。もう一校、当時、有名だったオックスフォード大学QEH(Queen Elizabeth House)のDr Barbara Harrell-Bond開設のRefugee Studies Programme(RSP難民研究プログラム)も志願し双方から修学受け入れをいただきましたが、思えば、当時は難民学が隆盛に向かう時代でした。

JHU SPHは年度の途中に侵入してきた年長の学生もどきに対して2、3の教授方が特別な?対応をしてくださいました。いくつかの講義はきちんと受講、レポートも提出し試験も受けました。よく理解できませんでしたが「保健経済」はその一つ、Paul SamuelsonのEconomics: An Introductory Analysisを確かアンヌマリー・ウータース先生に個人指導もしていただきました。が、実は学生というよりは教授方の助手的立場にして頂き、講義の準備を手伝わせていただいたり、地域の方々や他学の先生方との交流にも駆り出していただきました。

当時のJHU SPHには、1978年のアルマ・アタ宣言、今も保健の考えの根底にあるプライマリー・ヘルスケアの骨子草案を作ったカール・テーラー先生がご健在でした。そしてその「一派」、テーラー教徒は世界最高レベルの公衆衛生学をリードしているといわんばかりの矜持に満ちみちていました。わずか1年弱でしたが、JHU SPHの国際保健 (当時は横文字でInternational Health<国際保健>、今はGlobal Health<地球保健>)に浸ったことで、単に知識や学習法に習熟するだけでなく、私のその後の国際活動やさらにのちに舞い戻った教職での心構え、企画・実務や指導の在り方がすっかり変わったと思っています。

JHUはボルティモアのクェーカー教徒(キリスト教プロテスタントの一派)の実業家ミスター・ジョンズ・ホプキンス(1795-1873)の遺産350万ドルを基に、1876年に設立された世界初の研究大学院大学です。それまでは、大学教育の歴史長いヨーロッパでもアメリカでも大学に大学院はなかったそうです。アメリカの大学教育は主に教養中心の学部だけであったのですが、JHUは新たに研究中心の専門教育を目指し、奨学金制度を作って博士号(Ph.D.)授与を導入したそうです。これがアメリカ全土に広まったことが今日のアメリカの世界的な研究力構築につながったとすれば、大学を創設された人々の先見力とホプキンス氏のご遺志の勝利でしょうか。

カール・E・テーラー博士 1916-2010

前述にあるように、私はJHU SPH正規学生ではありませんでしたが、当時1,000名弱の院生の70%以上がいわゆる開発途上国からの留学生であったことから、その仲間たちとの連携を続けるべく、日本のSPH卒業生同窓会組織を作りました。実はJHU全学の同窓会は壮大な組織で当時は中曽根首相が名誉同窓会長でした。毎年とは申しませんが、各学部同窓会担当での全学同窓会事業が行われてきています。現在は、厚生労働省OBであられる麦谷眞里先生がSPH同窓会と全学同窓会の会長です。

さてさて、JHU SPHにいた間、先生方のお供をして、またご紹介で公衆衛生・国際保健の盛んな大学をいくつも訪問させていただきました。その一つがハーバード大学でした。もちろん世界に冠たるハーバードですから、何かにつけて比較されるのですが、ハーバードマフィアとか、ホプキンスグループと揶揄しながら、お互いに切磋琢磨してきた関係でしょうか。

過日のJHU同窓会では、そのハーバード大学の公衆衛生学大学院を卒業した國井修先生が国際保健での経験から今後、日本が担うべき役割を解説くださいました。

実は、実は・・・のお話です。
國井先生はかつて国立国際医療研究センター国際協力局のスタッフでした。私は、なんでも器用な國井先生を「クニイィ!!」と重宝していたのです。真面目な仕事は言うに及ばず、海外からの来訪者接待であれ、ちょっと気難し気味のお役人的ご視察であれ、少々ずっこけ気味の若者たちであれ、とても上手にさばいてくれていました。そして評判が良かったのです。さらにいくつかの国々への調査にも同行していただきました。
フフフですが、今から30年以上昔、お互いに若かったこともありますが、2、3の飛行場で「あなたのムスコか?」と尋ねられたことを思い出しました。ホテルのチェックインではなかったのですが、飛行場!でした。
私は厚かましくも「ハイ、そうよ、いいムスコでしょう!」ととぼけていましたが、医療センターの後、ユニセフ、外務省、長崎大学、そしてグロ-バルファンドの要職を経験した後、現在は開設10周年をこえたグローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)のCEOです。で、息子の晴れの姿を見てどんな気持ちになったか・・・写真をご覧ください。

偽息子 國井修先生と