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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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『ACPの考え方と実践 エンドオブライフ・ケアの臨床倫理』 ちょっとむつかしそうな専門書ですが・・・

ACPと聞いて、すぐに何のことか判る方は保健医療分野の専門家以外には、それほど多くはないでしょう。けれども突発的な事故や災害死を除けばACPに無関係に生を終えることは誰も不可能かもしれません。

ACPはAdvance Care Planningの略、「Advance【あらかじめ】進める」「Care治療」の「Planning計画」ですが、平成30(2018)年に厚労省が公募して決まった愛称は「人生会議」です。
ムムム・・・余計判らないですかね。

医学や医療技術が進歩したことで、病気が重症化してもあるいは難病であっても多様な治療が可能になりました。素晴らしい進歩ですが、それにしても死を免れる人・・・いえ生物はいません。私たちは遅かれ、早かれ死にます。が、いつ、どこで、どのように死ぬか・・・それが問題です。

小児科医だったころ、親より先に子が命を終えることほど悲しいことというより辛いことはありませんでした、こどもや若者の命は何が何でも助けたい!と万人が思うでしょう。が、超高齢者ではどうなのでしょうか。認知症が進行している、悪性腫瘍で激しい疼痛に苦しんでいて、しかも先の見込みはないとか、あるいはめでたく超長い寿命を全うしつつある方、しかし生きた長さではなく、すべての人には人生の最終段階が来ます。

さまざまな状況下で、どのような治療を受けるか受けないか、どのように最期を迎えるのかはあくまで個人が決める、あるいは決めねばならない時代になっています。ある個人とその家族や医療者、ケアを担うチームが「繰り返し」話し合うような取り組みが「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」で、その愛称を「人生会議」という次第です。

「ACP」という言葉は、わが国ではまだ数年の歴史しかありませんが、人生の最終段階(end-of-life: EOL)において「どのような医療を受けるか」は「本人の意思が尊重される」こと、その「意志決定」は「本人が中心で、本人の価値観や意向がきちんと把握、尊重されるべきこと」、そのため「医療を担うチーム、ケアをする人々と対話することが重要」といった概念は、アメリカでは1990年代からあったそうです。したがって、終末期にかかわる医師や看護師の間ではACPという言葉も馴染みになりつつありますが、それでもまだ専門家ならだれでも熟知しているというレベルではないし、一般的に理解されつつあるというにもほど遠い、と私は思っています。

その中、標記の『ACPの考え方と実践 エンドオブライフ・ケアの臨床倫理』会田薫子[編]が出版されました。
編者の会田薫子先生のお名前は、ずいぶん前ですが、東京大学大学院人文社会系研究科 上廣死生学・応用倫理講座での死生学の公開講義でした。ずいぶん前・・・と申しましたが、本講座は2007 年度に開設され、臨床死生学および臨床倫理やケア倫理、生命倫理等の応用倫理を担当領域として研究と教育および実践活動を進めておられるとホームページにございましたので、多分12、3年前でしょうか。学部の講義後、東大の古めかしい階段教室で始まる死生学の講義を何度か聴講しました。

死生学って何でしょうか?ちょっとむつかしいですが、上廣死生学・応用倫理講座のホームページ(https://www.l.u-tokyo.ac.jp/dls/ja/over-about.html)には、『単に「死について」の学ではなく、死を生に伴い、また生が伴うものとして、「死生」を一体として考え、人間が死生をどう理解し対処してきたかについて、人文知を背景に広く考えようとします。その意味で東京大学の死生学研究は2002 年以来、死生学を“thanatology(死の学問)” というよりも“death and life studies” として捉え、人文社会系を中心とする学際的な研究プロジェクト』とあります。勉強してください。

で、ACP。数年前、ちょっとブーム化したような時期がありました。私も少しはACPを勉強しましたが、イマイチしっくりこなかった・・・それが、新たに出版されたこの本を読んで納得!!

自分の理解の悪さを棚に上げて、そうだったンだと納得です。いくつも納得点があるのですが、最大は会田先生が第1章で説明下さっていること、すなわち、臨床倫理の範疇にあるACPを理解するには、大本の「倫理」と「道徳」や「法」の関係を適正に理解しておくべきことです。倫理、道徳・・・ますます混乱ですか?

医師では、「ヒポクラテスの誓い(ヒポクラテス BC5)」(Wikipedia参照)「ジュネーブ宣言(1948年9月 第2回世界医師会総会が規定した医の倫理 」(Wikipedia参照)または「インフォームド・コンセント(informed consent):医師と患者との間で十分な情報が交換共有された上での合意」にはなじみがありますが、実際に絵にかいたように実践されているかといえば、なかなかに難しいようです。

現代は、医療技術の発展により、未来永劫とは申せませんが、かなりの期間の人工的延命は可能です。これは進歩である反面、超高齢社会化した日本だけでなく、どこで生き・終わるかの決定にかかわる深刻な問題をはらんでいます。

会田先生は医療現場でフィールドワークを行い、胃に穴をあけて流動食を流し込む胃ろうや人工呼吸器の使われ方に疑問を持ったと話されていましたが、認知症や老衰などの患者に最後の最後までがんがん治療するのが一般的だった時代には、ご本人の身体状態に合わない過剰医療のために苦しむ人がたくさんいたともおっしゃっていました。もちろん、治療を止める方向に動けば、「高齢者の命を軽く見ている」との批判もあったそうです。

現在では、国にもよりますが、認知症や老衰などの最終段階で人工的栄養補給は虐待とするところもありますし、何より本人のQOL(生活の質)にとっては好ましくないとの報告が欧米では多数発表されています。
あなたは、ご自分がそんな状態になっても生きていたいでしょうか?

ACPとは、色々な状況を踏まえて、その際どうしてほしいかを、関係者と十分話し合うことを繰り返すこと・・・です。その昔といってもほんの十数年前には胃ろう全盛でした。多くのいわゆる老人病院の食事時には、点滴台からぶら下がった栄養剤のバッグが病室いっぱいに林立していました。壮観!というには、悲しい光景でした。それがなくなったのは、会田先生たちがなさった研究だったと記憶しています。

『ACPの考え方と実践 エンドオブライフ・ケアの臨床倫理』 で、もう一点、私が納得したことは日本と西欧の考え方の違いに基づくACPの進め方があるとのご指摘です。なるほど!です。

「第3章 ACPの日米における異同 文化的特徴の相違点と留意点」です。今までのACPの解説が、ちょっと生煮えだったのは、そういうことかと腑に落ちました。日本の文明文化には原産は外国というコト、モノがたくさんありますが、とても上手に和風にアレンジされて根付いています。が、ACPは、まだ、その域でないのは、そもそもの倫理がうまく和風化されていないからかも・・・と思いました。

この本、第I部はその意味で倫理、哲学の解説書的でもありますが、そこをしっかり読み込めば、第II部実践編は、とてもとても面白く読めます。本体価格2,800円・・・ちょっと高いですか?円安の今日では18ドル・・・何とかなりますね・・・EOLにかかわる、ケアにかかわる皆さま、お勧め本です。