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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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「穀雨」若者に慈雨を

明日4月20日は二十四節気(ニジュウシセッキ)の穀雨(コクウ)です。

なんのこっちゃ?ですが、古い暦にしたがって1年を24区分して、折々の現象や習慣と結び付けた自然の区分が二十四節気です。時々、自然の移ろいとよく一致しているなぁと私は思います。ちょっと学を披歴しますと、と偉そうに言わなくとも、ググってみればすぐわかりますが、簡単に申します。
二十四節気は、紀元前4世紀の中国・・・と申しますと燕、斉、楚、韓、魏、趙、東周、秦といった中国のいにしえの王朝が覇を競っていた戦国時代なのですが、その頃に、四季と実際の気候現象(雨や雪が降りはじめるとか、霜が降りるとか、とても暑くなるとか)や目につく事象(草が一斉に生え、緑が広がるとか、虫がぞろぞろでてくるとか)を組み合わせて1年の仕分け方を発明し、主に農耕と結び付けたのだそうです。時は戦国時代ですが、後に漢代(前漢は紀元前202~紀元8、後漢は紀元25~220)の学者が命名したとされていますが、諸子百家と呼ばれる学者や学派が盛んに学問的対話を広げました。「諸子」とは孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子といった実在の個々の学者をいい、「百家」とは儒家、道家、墨家、名家、法家などなどの学派をいいます。紀元前3世紀に学者がウジャウジャおいでであったって、すごいですね!

二十四節気と七十二候について(ウェザーニュースより)

現在は、毎年毎年、異常気象が当たり前のようになりましたが、以前の日本は四季に恵まれ、本当に美しい自然を誇れる国でした。・・・でした、などと過去形で書くことに大いに抵抗はありますが、昨年、四季ではなく二季といった表現を初めて目にしました。ホントに、長い夏と短い冬でした。たくさんの国々に住んだわけではありませんが、世界の多数国のなかには、年間常夏とか、長くて暑い夏が延々と続き、ほんの短い秋でしょうか涼しい時期がある国が多いように思います。かつて住んだパキスタン・ペシャワールでは4月になると、突如といっても良いくらい、ある日の日中温度が30度というより35度を超えます。夜明けは零度近くに冷えるにもかかわらず、日中の気温はどんどん上がり、8月には50度を超えました。そんな気候が12月まで半年以上も続きました。そしてほんの短い秋でもない冬でもない気候が2、3週間あって、一斉に草が生えますが、それは雨次第でもありました。庭の植物は、朝と夜で背の高さが目に見えて違うほど成長する日がありました。季節が凝縮されている・・・と思いました。

日本の春は、なんといっても桜です。お花見を楽しみ、木の芽和えやタラの天ぷらに舌鼓をうち、やがてしとしと雨の梅雨にアジサイを愛で、そして花火、鮎の塩焼きや冷や奴でギンギンに冷えたビールをイッパイの夏、秋には満山紅葉に圧倒されたりマツタケを賞味したり、冬には温泉、そして何といっても鍋・・・そんなバラエティに富んだ四季を楽しめる国は経験しませんでした。

が、昔の賢い人が考えた二十四節気のそれぞれは、今でも古い暦上の季節の移ろいとはぴったりのものも多いように思います。いわゆるグレゴリオ暦とは一致しませんが、まず、1年を12の「節気」と12の「中気」に分け、それぞれに季節を示す名称を付けられたそうです。日数あるいは太陽がめぐる黄道(コウドウ。天動説ではありませんが、地球を中心にみて、太陽がめぐる円を想定したもの)を目視的に定め、それを24等分し、それぞれの点を含む日に季節を表す名称を付したそうです。さてその二十四節気で見れば、明日4月20日は穀雨です。

何となく意味が判りそうな言葉ですが、穀物を育てる雨が降る時期をいいます。
この頃は、前年秋に蒔いた麦が育ちますので、その成長を促してほしい雨なのです。そして同じく二十四節気の清明(せいめい。同じく二十四節気のひとつで、4月5日ころからです。清浄明潔<せいじょうめいけつ>を略した言葉だそうですが、春の穏やかな日差しを受けて天地万物が清々しく明るく育つさま・・・)の頃にまいた籾(もみ)が育って稲らしくなってゆく頃であり、農耕には大事な、大事な春の雨なのです。日本では、春のだらだら雨を菜種梅雨(なたねづゆ)とも申しますが、朝、出勤しようと思ったら、また雨!うっとうしいと思うのと、オオ!ナタネ雨、いやぁ、穀雨ネェ・・・と思うのは、ちょっと気分が違いますね。

さて、今週、2泊3日で、長崎と五島列島福江島に参りました。
私ども、笹川保健財団は、名誉会長を務めた日野原重明先生のイニシアティブによって緩和ケア関連の医師や看護師の研修事業を始めた1990年代以来、現在にいたるまで保健関連分野の人材育成支援にかかわってまいりました。1999年にはホスピスナース、2014年からは現在に続く「日本財団在宅看護センター」起業家育成研修ですが、その間、2014年来、福島県立医科大学、長崎大学医学部のご協力を得ての「放射線災害医療サマーセミナー」、2021年からは、アメリカ・カナダでの看護師の大学院研修(修士博士号取得)支援「Sasakawa看護師フェロー海外留学奨学金」も始まっています。

シーボルト像(シーボルト記念館)と平和記念像(平和公園)

2023年度からは、新型コロナパンデミックで途切れていた在宅看護起業家育成も再開していますが、今後力を入れたいのは、保健系学部学生のちょっと異質な研修です。すなわち受験、国家試験対策で窮屈になっている学生時代に、ちょっと規格外れのグローバルなリベラルアーツ、世界保健だけではなく、グルーバルリベラルアーツに接する機会を提供したいと考えています。昨年、コロナの余韻冷めやらぬ中で少しへっぴり腰で試行しましたが、その成果から今年は本格的に行います。

みらい塾」です。場所は、日本近代医学誕生の地、史上2番目の原爆がさく裂した長崎、その長崎の一地方でもあり、日本の西の国境地帯でもある五島列島福江島です。

近日中に、各種研修募集を発表します。
この「みらい塾」すなわち「ササカワみらい塾九州スタディツアーin長崎」がいささか窮屈にみえる学生たちの穀雨になってほしいと願っています。
色々、面白いことを仕込みたいので、ぜひ多数の保健系学生諸子のご参加を期待します。

五島列島福江島の三井楽半島柏崎公園辞本涯の碑(左)と堂崎教会(右)