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本日は「重陽の節句」

たった1年しか住んだことはないのですが、日本の折々には中国由来の言葉や行事がたくさんあります。今日9月9日は重陽節(ちょうようせつ)・・・東南アジアの漢字を用いる文化圏では伝統的な祝日とされてきました。けど、日本でも、「ちょうよう?何、それ?」であります。政治・・・マツリゴトの世界をふくめ、複雑怪奇な国際関係、ここしばらくの間の特に彼の国との国レベルの関係は円滑ではありません。ちょっと悲しい気もします。

重陽の節句、本来旧暦9月9日でした。「重陽」なる言葉は、そもそもは三国時代(中国の時代の一つ。広義には黄巾の乱〈後漢末期184年、道教の一派であった太平道信者が、184年、教祖張角を指導者に起こした農民反乱発〉から280年の西晋による中国再統一まで、または狭義には、220年の後漢滅亡または229年の三国並立から、263年の蜀漢滅亡までの間に初めて現れたそうですが、なんせ、優に1800年も昔・・・です。

その後、『易経(儒教の重要な基本書籍である五経の中で最重要とされる経典)』の中に、「九九」の二つの陽の最大数字が重なることをもって「重陽」と名付けられたそうです。そして、唐の時代(618- 907)、有名な第12代皇帝徳宗(779‐805)が重陽節を「三令節」の一つとして公式に祝日とされたそうです。

40年近くも昔、北京に住んだ頃、この日、ピクニックに行ったり、山に登ったりとちょっとした行楽気分がありました。本当は、ご祖先を祀ったりもしたそうですが、当時の北京には宗教的な趣はありませんでした。

近年、2006年に「重陽節」が中国初の国家級無形文化遺産の一つに指定されたと聞きましたが、どんな国家行事があるのでしょうか?そしてこの重陽節は中国法定の「老人の日」ともききます。年長者を敬い、健康と長寿を願う日としての意味も持っています。ですが、わが国同様、かの国も超高齢化の一歩手前です。既に中国の高齢者数は2023年末時点で65歳以上人口が2億1676万人と、日本の総人口の2倍以上、総人口の15.4%を占めていますし、2035年には、4億人以上が高齢者となる(「2035年前後に60歳以上の高齢者比率が30%超え」JETRO 2022.9.29)となるとの予測も出ています。私自身が後期高齢者となって、つくづく想うことは、歳をとることがそれほど寿ぐべきことばかりではない・・・ということ。しっかり自立し続ける気構えはもっても、身体が持たないのですね。

話題を戻しますと、重陽節の由来には多々説があるそうです。中国語版Wiki維基百科の「重陽節」によりますと、最も有名な話は、桓景が剣で疫病の魔物を討ったという物語‐南朝の梁の時代に書かれた『続斉諧記』には、東漢の時代、汝南に桓景という人物が住んでいたと伝えられています。ある日、彼の住む地域で疫病が大流行し、桓景の両親もその病で亡くなりました。そこで桓景は東南の山に行き、師匠について技を学びました。仙人の費長房は桓景に魔物を退けることができる青龍の宝剣を与えました。桓景は早起きし、夜遅くまで修行に励みました。
ある日、費長房が「9月9日には再び疫病の魔物が来るので、帰ってそれを退治しなさい」と告げ、さらに茱萸(しゅゆ)の葉を包んだ袋と菊の花で作った酒を彼に渡し、故郷の人々に山に登って災厄を避けさせるように言いました。桓景は故郷に戻り、9月9日に妻子や村人たちを近くの山に連れて行き、茱萸の葉を皆に配り身につけさせました。すると魔物は近づくことができませんでした。さらに菊花酒を一口ずつ飲ませたところ、皆が健康になり、疫病を防ぐことができました。そして桓景はその神剣で疫病の魔物を倒し、汝河(じょが)両岸の人々は感謝しました。この日から、人々は9月9日に山に登って災厄を避ける風習を始め、桓景が魔物を討った物語は広く伝わりました。重陽節が始まり、登山の風習や、故郷を離れた人々が菊花酒を飲んで郷愁を癒やし、老人たちが健康で長寿を祈る日となったのです。

ついで、唐代の『初学記』や宋代の『太平御覧』などの書物には、呉均の『続斉諧記』に基づいて、9月9日に山に登り菊花酒を飲み、女性が茱萸の袋を腕に結びつけて災厄を避ける習慣が伝わったとされています。

また、漢の劉歆(りゅうきん)が書いた『西京雑記』には、漢の高祖劉邦の愛妾であった戚夫人が呂后によって虐殺された後、彼女の侍女賈佩蘭が宮廷を追放され、扶風の段儒に嫁いだという記述があります。彼女は宮廷で毎年9月9日に茱萸を身につけ、蓬餌(ほうじ)を食べ、菊花酒を飲んで邪気を払い、寿命を延ばす習慣があったと語っています。

唐代の詩人沈佺期(しんせんき)の詩『九日臨渭亭侍宴應制得長字』には、「魏文は菊の花を讃え、漢武は茱萸の袋を賜る・・・、毎年九月九日は祝賀の日であり、日月が天を奉じて長く続く」と詠まれています。

『旧唐書・王勃伝』には、王勃が重陽節の日に『滕王閣序』を書いたことが記されています。当時、王勃の父親は交趾(こうち)の令を務めており、王勃は父親を訪ねるために旅をしていました。9月9日、南昌を通りかかった際に、洪州の州牧である閻伯嶼が滕王閣で宴を開いており、賓客や部下を招いていました。彼は娘婿の才能を誇示するため、事前に賓客に文章を作らせようとしましたが、誰も筆を取ろうとしませんでした。王勃はこのことを知らず、ためらうことなく筆を取って書き始めました。州牧は初めは怒っていましたが、王勃の文才に驚き、彼が「落霞と孤鶩(こぶつ)斉に飛び、秋水と長天一色なり」という名句を書いた時には、感嘆して拍手をし、王勃の名は詩壇に広く知れ渡るようになりましたなどなど・・・

日本では、目下NHKの大河ドラマは平安時代ですが、その頃には菊花酒(菊の酒)を飲む風習があったそうですから、かなり古くからの習慣なのですね。江戸時代にはかなり広まっていたそうです。(石橋四郎編『和漢酒文献類聚』第一書房、1976、225-227)

何はともあれ、ウクライナやパレスチナ・ガザを想うと、菊を愛でてお酒を楽しむ気分にはなりませんが、世界中で、古き良き習慣を、国籍、ジェンダー、人種、宗教・・・諸々を超えて地球祝祭日にしては如何かと・・・ふと思います。

「和漢酒文献類聚」石橋四郎編 第一書房