JP / EN

Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

猫イメージ

鵜戸神宮

鵜戸神宮(うどじんぐう)は宮崎県日南市にあります。

先週末、今年度内に動き始めそうな「日本財団在宅看護センター」ネットワークの二つのカンタキ(看護小規模多機能型居宅介護)事業所の現地をみるために九州の福岡と宮崎を訪問しました。当然、関係者や行政との面談のためでしたが、ふたつの神社にもお参りしました。

カンタキの一つは宗像市、で、お参りは宗像大社です。ユネスコ世界遺産である宗像大社の御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)と荒くれ弟神素盞鳴尊(すさのおのみこと)との間で行われた誓約(うけい)という神事で、天照大神が素盞鳴尊の剣を噛み砕きフッと息を吹きかけた際にお生まれになった三柱(みはしら)の女神さま方です。そうです、こちらの神々は女性、アマテラスオオミカミをふくめ皆女神さま、日本の初め、神話のジェンダーバイアスは女性優位です。

宗像大社は三柱の女神様をそれぞれ、沖ノ島の沖津宮(おきつぐう)に田心姫神(たごりひめのかみ)、中津宮(なかつぐう)に湍津姫神(たぎつひめのかみ)、辺津宮(へつぐう)に市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)をお祀りしていますが、このすべてを総称して宗像大社なのです。生憎、沖ノ島は女人禁制でお参りは、中津宮のある大島の遥拝所から。ここは女性差別ではないか!なのですが、何世紀も昔の玄界灘の荒波を超えて行くのは女性には無理という説もあります。

ついで宮崎県に飛びました。50分の飛行、アッという間に日向の国でした。
こちらのカンタキは日南市です。土曜日の早朝8時頃だったからかもしれませんが、人通り、車通りもまばら。総人口は47,218人(2024.9.1現在)ながら、65歳以上の高齢化率は2020年に38.60%、2025年の推計では41.5%・・・やはり高齢化の波は激しくなっているようです。幹線道路沿いでの医療施設の看板はまったく見かけず、また、いわゆる老健施設が目に付くこともなく、在宅でのケアが絶対に必要な土地柄のように思いました。が、「日本財団在宅看護センター」ネットワーク仲間の支店の訪問件数は伸び悩み・・・多分、地域における訪問看護が知られてない、在宅での看護の威力をもっと広報周知しなければならないと思いました。

宮崎空港から日南市への道中の鵜戸神宮にお参りしました。

実は1953(昭和28)年という大昔に、当時の大阪学芸大学付属池田中学校の卒業旅行でこの地にまいりました。確か、ご父兄の中の関西汽船幹部のご尽力だったそうですが、1学年150人が借り上げた立派な船で瀬戸内海を渡り別府に。別府温泉地獄めぐりから、熊本は阿蘇、鹿児島は桜島をめぐり、さらに霧島から宮崎、そこから煙ポッポの夜行列車で大阪に帰りました。生まれて初めての大旅行だったのですが、岸壁の洞窟の中の鵜戸神宮はとても印象的でした。

久しぶりに訪れた神宮は、大昔の印象とは少し異なって朱色の門や建物がとても立派に見えました。参詣の道の両側の石灯篭のいくつかが倒れていましたが、先般の地震かな・・・と。最後の長い、少し厳しい石段の前には、釘を使っていないという橋があり、確か、ここから先は裸足でお参りとすると、その昔に聴いた記憶があります。

日向灘に面した断崖絶壁の中腹にある東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟の中のご本殿ではご参拝者の神事でしょうか、どぉーんどぉんと太鼓の音が厳かに響きました。大昔と違ったのは多種多様なお御籤やお守りが並んでいたこと・・・その中学修学旅行で圧倒されたのは本殿が存する海蝕洞窟やその下方に広がる奇怪な岩礁でした。が、後に、前記のアマテラスオオミカミと因縁がある宗像大社の地に勤務したことで神話に関心を深めました。

鵜戸神宮 本殿は写真中央左の黒い洞窟の中・・・

今回知ったことは、最初は海にかかわる信仰の聖地だったのは納得ですが、鵜戸神宮がいつ創建されたか判らないとのこと、へぇぇ・・・です。実在ですが、中身は神話・・・神話とは、後の人間が、ご先祖の色々を想像逞しくして作った物語ですが、アニメ的で、時空を超えて興味深いです。

この洞窟は、豊玉姫(とよたまひめ)がこの神宮にお祀りされている祭神、日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)を産むために産屋(うぶや)をお建てになった場所です。なぜ、こんなにも不便で危険なところにと思うのは俗人です。この難しいお名前の神様は神武天皇のお父上、神話の最後の神様・・・です。

豊玉姫は『古事記』にも『日本書記』にもお名前がありますが、ちょっとウフフのお姫様、やはり神話チックです。なぜなら、わたつみ、すなわち海の神様の娘で竜宮にお住まいだったとされるからです。神話!の真偽を論じても意味がないので、へぇぇ、そうだったのですか〈ピリオド〉です。で、もっとすごいのは、このお姫様の本当のお姿は八尋(やひろ:非常に大きいの意味)の大和邇(おおわに)だそうです。もっとも日本でいう和邇はalligatorやcrocodileのワニではなくニホンアシカとされていますが、いずれにしろ、日本民族のご先祖に海の生き物が関与しているのです。そして、「鶴のおんがえし」や日本の国造りのはじめの神まさご夫妻のお話で、黄泉の世界(よみのせかい。死者の住む地下の世界)に行ってしまった妻イザナミを追いかけていった夫神さまイザナギが見てはいけない!といわれたのに覗き見たことで永遠にイザナミを失ったように、この大和邇ヒメさまも観られた!といって、竜宮への道を閉ざして消えてしまわれました。 まだ、竜宮城におられるかもしれませんが、海底のプラスチックごみを苦々しくご覧になっているかも・・・

眞に神話的ですが、豊玉姫は神武天皇の父上の母、つまり神武天皇の父方のおばば様であると同時に、神武天皇の母である玉依姫(たまよりひめ)の姉にあたります。つまり神武天皇は父が母方のおばと結ばれて生まれられています。エジプト古王朝では、父と娘、兄弟姉妹とかの近親婚もあり、それがすすめられていたとか、洋の東西を問わず、似ています。

鵜戸神宮は、その後、平安時代は修験道の場として、鎌倉時代には藤原の流れをくむ伊東家の保護下に、江戸時代以降は飫肥藩(おびはん)伊東家の保護をうけてきたそうです。
も一つ、中学修学旅行以来の記憶がお乳岩。本殿後ろにある乳房に似たとされる岩の突起です。今回、ケイタイの明かりでとくとく見ましたが、決して乳房に似ているとは思えませんでした。が、そんな無粋なことはしてはいけません。それは、豊玉姫が綿津見国(海のかなたの永遠の国)に去られる時、この現生に残してゆく御子のために残された左の乳房だそうです。鵜戸神宮に祀られている神さまは、その岩から滴り落ちる水滴(お乳水とよばれる)で作られた飴を母乳代わりに育たれた・・・21世紀の現在もこの神宮が安産や健やかな子どもの成長、育児を願う信仰の対象なのですね。

本殿前といっても、ちょっとした断崖絶壁の下には、豊玉姫が竜宮からお越しの際に乗られた亀が石となって残っています。その背中部分にある窪みに、かつては硬貨、現在は「運」と書かれた粘土の素焼き玉を投げ入れて願いをかなえるそうです。もちろん、この地のカンタキだけでなく全国のそれ、在宅看護のつつがなき発展を願いました。

「日本財団在宅看護センター」の中には、既に助産師と組んで妊婦ケア、分娩後の育児と母性のケアに当たっている事業所がありますが、その仲間たちと、いつか、この地で合宿してみたい・・・などと思いました。