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Chair's Blog 会長ブログ ネコの目

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とてもうれしいことがダブルでありました!~玉子さんの受章祝賀会、立派な社会人のユカちゃん~

先週末、福岡で嬉しいことがありました。

新開玉子氏の旭日單光章受章の祝賀会でした。
シンカイさんとお呼びするより、皆さまと同じようにタマコさんと呼ばせていただきますが、タマコさんは20年以上前に無農薬農産物の直売所を立ち上げられた女性企業家です。古いですが、農水省HP(平成27年度九州のがんばる農山漁村の女性たち)福岡市男女共同参画関連ページにご活躍があります。農業実践家であるタマコさんは1992(平成4)年制定の福岡県女性農村アドバイザーの確か一期生とうかがいましたが、それ以前、昭和の頃から農村女性グループをいくつも立ち上げておられます。今では誰もが意識する無農薬農産物の直売所有限会社「ぶどう畑」を開設されたのは1999年、嫁ぎ先の、本当のぶどう畑をお店に変えてしまったのですから、ちょっとやり手のお嫁さん(死語ですね・・・)だった。

ぶどう畑とタマコ社長。少し古い・・・ですが、お店も社長も変わっていない(福岡市男女共同参画HPより)

福岡に職を得た私が「ぶどう畑」に通うようになったのは数年後ですが、それほど広くはないお店はいつも人があふれ、駐車場も満杯でした。遠方からマイクロバスでリピーターが押しかけると伺いましたが、無農薬野菜もさることながら、キャンバス地の赤いエプロン姿のタマコ社長とおしゃべりしたい方も多いように拝察しました。新鮮な野菜果物、近隣の女性の手の入った肉類や加工品も美味しかったですが、「ぶどう畑」の卵焼き入り「かしわ(鶏肉)弁当」をいつも求めました。時々、無料で・・・

農業・・・ちょっと地味産業と思われていますが、私たちは食糧なしでは生存不可能です。その意味でも最もエッセンシャル産業です。その昔は典型的3K(キツイ、キタナイ、キケン)とみなされ、農村へお嫁に行くのは絶対ごめんと!もあったと聞きますが、農業の近代化もあって、現在は女性が主流の感もあります。そして、身近で必須の産業をビジネスにしたタマコさんが、諸々、たくさんの賞を頂かれているのは当然です。

めぐり会いは、異なシンポジウムでした。
「リーダーとそれを支える人の組み合わせ」という、福岡県か福岡市関連組織が企画した集まり。タマコ社長は福岡特産苺「あまおう」開発関連のお仲間とペア、私ははからずも学長になった私を支えて下さった坂本洋子副学長と登壇しました。どちらも支える側の辛らつな言葉に冷や汗をかきましたが、それが故に連帯意識もあって以来20年のお付き合いです。

タマコさんが旭日單光章を受章されたのは令和元(2019)年11月、すぐに始まった新型コロナパンデミックで祝賀会は延びに延び、5年も経ってから!!というなかれ、5年経ってもお祝いしたい人がわんさといるのがタマコさんのお人柄、私も馳せさんじた次第です。参加者の8割は女性、そのまたほとんどが和服と、久しぶりに日本を実感しました。そして・・・

福岡県や県関連のお歴々、農業関係諸団体の方々に加え、多数の女性農業実践家がご参集、その肩書にアドバイザー(米)とか、アドバイザー(いちご)とか、アドバイザー(トマト)とか、アドバイザー(パセリ)、私もいつもその余得にあずかっている柿・ぶどうアドバイザーもおいででしたので、お料理も特別においしい。

祝賀会の様子、8割のご参列者は女性、そのまた8割は和服!!ニッポンです!

その嬉しい集まりで、さらに嬉しい驚きが。
突然「先生!ユカです」と声をかけてくれた女性がいました。お顔はすぐに判りました。前職日本赤十字九州国際看護大学卒業ユカちゃんでした・・・

“エエッなぜここに?”看護師がいて悪くないのですが、思わず、そう尋ねてしまいました。答えは、何とタマコ先生も絡んでいる色々な女性活動の中で活動していて、小さいながらも責任をもっていることもあるというのです。なんと素晴らしい!と思いました。

その後のユカちゃんの言葉に胸がジンとしました。それは・・・看護師数年、保健師数年の間に、親の介護や育児、女性ならではの健康問題もあって勤務を辞めてしまった・・・「センセイに看護を教わったのに続けられなくて申し訳ない・・・」と。看護職ではない私がユカちゃんに看護学を教えたとは云えませんが、その昔も看護(学)の意義や重要性は口を酸っぱくして押し付けていたような気がします。それを記憶していてくれた娘(コ)がなんと素敵なミドルレディになったことか!看護師保健師を数年以上続け、その間親を介護し子育てもしたのなら、どんな分野に転身してもその経験は生きてくる、仕事を通じて社会とつながっていてくれたら素晴らしい・・・と私は申しました。

夜、メイルが追いかけてきました。
「今日は思いがけず、お目にかかることができ、大変嬉しくなりました。
先生に連れて行っていただいたタイ、ラオスは今でも私の宝物のような体験です。
たくさんの貴重な経験、教えをいただきながら、看護職として何一つ満足にできなかった私ですが、
あのような温かな言葉をかけてくださり、先生の変わらぬお人柄に心温まる思いがいたしました。
改めてお礼申し上げます。

看護職から離れ、あっという間に7年経ちます。今は手仕事を通じて、タマコ先生はじめ、日本舞踊家や声楽家など文化が世界平和の架け橋になるようにと願う方々との交流もさせていただくようになりました。

自分が、何を、どうしたいのか、まだ迷うことも多々ありますが、日々家族を大切にし、今、自分ができること、小さなことでも続けてゆくことを心がけております。

先生、お身体を大切にしてくださいませ。ますますのご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

追伸:先生の持ち物が20年前と変わらず猫ちゃん柄で、心が温まりました。」

歳をとったからではなく涙が出ました。教師冥利に尽きるとはこんな場合の言葉でしょうか。

タマコさんの人脈の中に、かつて学びを共にした若者がいて、はからずも再会できた・・・というダブルに嬉しい日・・・でした。
次回、ジョブズを書きます。

ユカちゃんとともに学んだ日本赤十字九州国際看護大学 2010年頃。今は、右奥の楠はない。